東京 北の丸公園
*1762年(宝暦12)
5月
・ルソー 『エミール』出版。
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5月5日
・[露暦4月24日]プロイセン、フリードリッヒ2世、ピョートル3世と和約。
ロシアは全征服地をプロイセンに返還
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5月11日
・モーツアルト(6)、「メヌエット ヘ長調」(K.4)作曲。ザルツブルク。
「ヴォルフガンゴ・モーツァルト作曲、一七六二年五月十一日」。
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5月15日
・第9代将軍家重の2男清水重好、幕府から10万石が与えられ、田安家・一橋家につぐ新徳川家の誕生。御三卿の成立。
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5月19日
・ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ、誕生。哲学者
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5月22日
・幕府、無城の大名の在所陣屋普請について、堀・塀など新規普請のみ届け出るよう決める。
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6月
・幕府、倹約のため諸普請の経費限度額を決める。
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・イギリス軍1万6千、ハバァナ東方に上陸。
モロ城陥落でスペイン軍は戦意喪失。スペイン艦隊全滅。死傷者200。
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6月9日
・高等法院、ルソーの「エミール」に有罪判決。
ルソーに逮捕状が発令。以降、ルソーは逮捕を逃れるために、フランスを逃れ、スイスを転々とする。
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6月20日
・[露暦6月9日]普との講和を祝う大宴会。ピョートル3世、妻エカテリーナをなじる。
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6月21日
・ザルツブルク宮廷楽団のカペルマイスター(楽長)ヨハン・エルンスト・エーバーリン、没。
後任はジュゼッぺ・フランチェスコ・ロッリ(1701~78)が選任され、副楽長は翌年2月、モーツアルト父レオポルトが選任される。
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6月23日
・[露暦6月12日]ピョートル3世、デンマーク開戦するために首都を出てオラニエンバウムに入る
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7月
・野間・生島両井組は、西昆陽村字松原における井溝堤切り取り争論について尼崎藩の仲裁で証文を取りかわしす。
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7月5日
・モーツアルト(6)、「メヌエット ヘ長調」(K.5)作曲。
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7月8日
・[露暦6月27日] 反ピョートル3世派、バッセク大尉逮捕。
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7月9日
・ [露暦6月28日]ロシア、女帝エカテリーナ2世即位。
ピョートル3世(34)に対して妻エカテリーナ(33)がクーデタ決行。
皇后エカテリーナ、ペテルゴフ離宮より首都イズマイロフスキイ近衛連隊に向う。連隊長キリール・ラズモフスキイ伯爵。
エカテリーナ2世即位宣言。
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7月10日
・ [露暦6月29日]ピョートル3世、降伏。
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7月12日
・116代天皇の桃園天皇(22)、没。後日、遺髪・爪が高野山奥院へ納められる。
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7月16日
・伯耆大山爆発。激水湧出し、100余人が死亡。(続史愚抄76)
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7月16日
・モーツアルト(6)、「メヌエット ヘ長調」作曲。
「ヴォルフガンゴ・モーツァルト作曲、一七六二年七月十六日」。
これに手を加えて、「パリ・ソナタ」作品1の第1曲ハ長調(K6)の作品の第3楽章の第2メヌエット(トリオ)となる。
5月11日のK4、7月5日のK6のメヌエットの低音の動きと殆ど同じ。
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7月21日
・7年戦争、ブルカースドルフ(ブルケルスドルフの戦い)。
プロイセンのフリードリヒ大王がブルケルスドルフにおいてオーストリアに勝利。
プロイセンの最後の勝利。ロシアのエカテリーナは中立守る。
ロシアの状況
1762年1月にロシアのエリザヴェータ女帝が急死、後継のピョートル3世はフリードリヒ大王の信奉者であり、プロイセンとの戦争を中止して、ロシア・プロイセン攻守同盟を締結。
同盟に基づきチェルヌイシェフ将軍率いるロシア軍がプロイセン軍の援軍として派遣されたが、エカチェリーナ2世が即位すると援軍へ帰国命令が下る。
フリードリヒはチェルヌイシェフに数日だけでも滞在してほしいと願い、ロシア軍は戦闘に参加しないことを条件に要求を容れる。
戦闘はフリードリヒに優位に進み、オーストリア軍はロシア軍が残っていることに疑問を抱きながら退却。
チェルヌイシェフ伯爵は戦闘中フリードリヒと共に戦場を視察し、王が負傷兵にハンカチを渡して手当てしている姿に感銘したと日記に書き残す。
戦いの後にロシア軍は帰国したが、この後にエカチェリーナ2世は戦争から手を引くことを決定する。
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7月27日
・英仁親王が成長するまでということで、伯母宮智子内親王が皇位につく。
第117代後桜町天皇践祚。
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8月
・モーツアルト父レオポルト(43)、「トランペット協奏曲 ニ長調」を作曲。
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8月9日
・山脇東洋(58)、歿。
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