東京 北の丸公園
*1762年(宝暦12)
この年
・第25代薩摩藩主島津重豪、一橋宗尹の娘保姫と結婚。
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・教育の普及を基礎に、地域では情報の共有化が進む。
出羽国村山郡谷地郷および周辺村々地域(山形県西村山郡河北町)の場合、地縁的共同団体である「講」が相互扶助や自治機能を有するようになり、18世紀半ば以降記録帳簿を整備するようになった。
荒町村では宝暦12年に「念仏契約講年代鑑」が、前小路中組では明和元年(1764)に「契約帳」が、東町では寛政2年(1790)に「契約帳」が、それぞれ作成され始めた。
民間で情報を収集し、記録化する作業が広まっていった。
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・八戸藩飢饉(この年より4年間)『八戸藩史料』
「当年四月上旬より五月中旬まで旱魃、同中旬より下旬まで冷風吹続、氷雨度(たびたび)降り、七月二三、二四日共に大風」があって、この年の収穫は、高2万石のうち1万696石9斗余を失う。
その翌年も、「五月下旬より雨降続き冷風強く、諸作不熱の処、八月十五日夜より同十六日夜中迄東北風烈しく大雨にて、所々山崩れ出水」という状態で、2万石のうち1万9,781石の損毛。
明和元年(1764)は、「三月下旬より七月上旬まで旱魃、其上に八月三日大風」にて、高2万石のうち1万1,354石8斗が不熟。
さらにその翌明和2年(1765)も、「四月下旬より七月迄旱魃、八月二八日二九之両日大風雨にて」、2万石のうち1万785石4斗が損失。
(但し、石高は表高であって、実高は四万石ちかくあったといわれている)
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・篠山藩、他国からの奉公人や酒造出稼ぎ人へ税金として冥加金をかける。
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・出雲の森広伝兵衛が農書「農作自得集」を著す。
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・天草高浜村の庄屋が高浜焼を始める。
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・浄土真宗本願寺派が教義をめぐって分裂し、以降長く対立がつづく。(三業惑乱)
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・田沼意次が5千石の加増を受けて1万5千石の知行となる。
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・フィリピン、イロコス、パンガシナン、カガヤン地方で反乱。
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・ヒランダル修道院修道士バイシイ・ヒレンダルスキ、「スラヴ・ブルガリア史」著作。
ブルガリア人の愛国心を目覚めさせる。
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1月
・長岡藩、新潟の3町の表通りに店を構える表店で販売する絹・縞木綿類58品を決め、他領商人の小売りを禁じる。
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・ロシア、ピョートル3世、プロイセンと休戦
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・モーツアルト父レオポルトの「ナンネルの楽譜帳」に「メヌエット ヘ長調」(K.2)を記入。
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1月2日
・スペイン、フォンテーヌブロー条約にもとづき対英宣戦布告、7年戦争に参入。ジェンキンス戦争の失地回復を狙う。
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1月5日
・[露暦1761年12月25日]女帝エリザベータ(52)、飲酒・乱倫の生活ののち急死。
大公ピョートル、ピョートル3世として皇帝となる
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1月5日
・モーツアルトの妻となるコンスタンツェ、ツェルで誕生。
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1月12日
・モーツアルト(6歳の直前)の最初の旅、ミュンヘン、3週間
~2月初。モーツアルト父子・姉ナンネル(10)の3人。選帝候マクシミリアン3世ヨーゼフ臨席御前演奏(姉弟で)。イタリア歌劇を観る機会を得る。
ミュンヘン:
バイエルンの領土の中心地。選帝侯マクシミリアン3世ヨーゼフの宮廷所在地。人口3万(ザルツブルク:1万6千)
旅行に託す父レオボルトの目的。
①楽才の芽生えを著しい神童に、様々な音楽的経験を積ませ、一層の成長と開花を促す。音楽上の豊かな富の獲得を息子に保証。
②様々な土地、異なった国の人々に、神童の楽才を周知させる。金銭的収入をもたらす。
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1月15日
・幕府、対馬藩主宗氏などへ、明年来国の朝鮮通信使の饗応は節約した天和令で行うよう命じる。
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1月29日
・高松藩主松平頼恭、漁譜「衆鱗」を将軍へ献上。
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2月5日
・イギリスのロドニー少将艦隊40隻・陸兵1万5千、カリブ海のフランス拠点マルティニーク島を攻略。死傷者500。グラナダ島、セントルシヤ島も前後してイギリス艦隊により攻略。
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2月17日
・飯田藩一揆。百姓・町人の連合一揆。千人講騒動。
藩財政窮乏を千人講設置による会金収益で解決しようとした領主権力に対する闘争で、在・町を通じた収奪策である為に、百姓・町人の連合一揆を実現。
百姓と町人の要求は同一でないが、「弐万石之百姓一統千成り、申様ハ、町人不残一統ニ無之ニおゐては、町家不残打破らん」という百姓主導のカによって、村方・町方共同の寄合をもち訴状を作成して闘い、千人講を廃止させる。
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2月18日
・幕府、願主が土地寄進の形をとって自由に寺院の移転や改宗を行っているとして、寺院への土地の寄進を禁止する。
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2月21日
・ロシア、ピョートル3世、秘密調査庁廃止。自らの秘密警察組織の「秘密局」創設。
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2月21日
・尼崎藩は岡村銀札についての不安・浮説の発生に対して触れを出し、両銀札の1日宛の正銀引替え額を定めた。
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2月23日
・奈良で大火。東大寺戒壇院、興福寺などが焼失
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3月
・会津藩、繰綿仕入仲間と雑穀仲間を結成させる。
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3月4日
・モーツアルト(6)、「アレグロ 変ロ長調」(K.3)を作曲。
ザルツブルク、父が通奏低音の数字と転調例を譜面に書く。
「ヴォルフガンゴ・モーツァルト氏作曲、一七六二年三月四日」。
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3月5日
・幕府、農民が目安箱によらず門訴することを禁止
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3月10日
・フランス、トゥールーズ、プロテスタント布地商人ジャン・カラス(64)、息子殺しの罪で死刑。
後、冤罪だとしてヴォルテールら、名誉回復運動起こす
ヴォルテールは、多くの文学・歴史・哲学の著作で知られているが、カラス事件に関して何冊かのパンフレットを出版。ジャン・カラスはトゥルーズに住むプロテスタントで、息子殺しの廉により、トゥルーズ高等法院から死刑を宣告される。
殺害の証拠は無く、カラスは拷問にかけられ、生きながら車責めで処刑される。
ヴォルテールは、フランスの裁判、とりわけ高等法院を激しく攻撃。
高等法院裁判官職は官職株の所有者が就任する職務で、しばしば世襲されている。
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4月
・尼崎浦・鳴尾浦漁場境界争論。
武庫川尻の漁場を巡る尼崎浦と鳴尾浦との境界争論について内済絵図が作成される。
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・遠江の三ヶ日村などが、朝鮮通信使の通行にともなう人馬負担の免除を願う。
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・幕府、大坂金蔵から江戸金蔵への送金方法を変え、為替をやめて銀貨を現金で運ばせる。
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4月13日
・ルソー、「社会契約論」刊行。
ジョン・ロックの思想を援用して、「自然状態」に生きていた個人の結合から国家の形成を説明。
彼らは相互に「社会契約」を結び、この契約によって個々の契約者の代わりに「公共人格」すなわち「共和国」が生まれる。
共和国においては立法権が主権者であり、執行権は立法権に服さねばならない。
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4月22日
・[露暦4月11日]ピョートル3世皇后エカテリーナ、近衛将校オルローフ(27)との間に秘密裏に男児出産。
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閏4月10日
・平賀源内が江戸湯島で第5回「東都薬品会」を開催。
日本に産する草木・鳥獣・魚介・昆虫・金玉・土石を集めて、これを展観し、その性質を探って分類し、集まった人々がお互いの知識を交換し合う会のこと。
前年10月頃から計画され、源内が中心となって、世話人に湯島2丁目の植木屋義右衛門、本所三笠町の植木屋藤兵衛があたり、事実上の世話をやくのは、本所2丁目の相模屋藤四郎、同4丁目の中村屋彦兵衛があたった。
この会は、前の4回に続き、日本全土から珍しいもの未発表のものを集めようというので、京都・大坂にも産物の中継的な受取所ができ、さらにその出張所というような形で、長崎・奈良・明石・伊丹・高松・佐倉・長野等の諸地方に25ヶ所の取扱い所ができていた。
中心となる物品は、源内の師、博物学者田村藍水(らんすい、元雄)が50種と源内自身の蒐集になるもの50種が出された。
物品は、閏4月朔日までに彼のもとに届けられ、源内は、それを分類して、会場の湯島天神前京屋九兵衛宅に並べた。
源内が、その5回の薬品(草木・鳥獣・魚介・昆虫・金玉・土石の類を分類整理して、特に注目すべきものを書きあげた『物類品隲(ぶつるいひんしつ)』には、全てで2千余種、第5回のものは1,300余種にものぼったと記している。
源内はこの会を開くにあたって、「前々の通り飲食の類出し申さず候、遠方の方は食物御用意なさるべく候、会席にて酒宴等堅く是を禁ず」という断わりを出している(学問的雰囲気の確保)。また、「御案内なき方は一切入れ申さず候」とした(ひやかしの見物を抑える)。
源内は、前年、オランダの医者ガランスからドドニヤウスとコロドホックという2冊の博物書を送られていた。それを研究していると、これらの本に載って薬物の種類は、必ずしも外国に頼らなければならないというほどのものでないと思った。
オランダ・中国から渡ってきていたものが、日本で調達できることによって、金・銀の流出を防ぐことができることは、大変な国益だというのが、この薬品会に対する源内の抱負であった。
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