2012年10月21日日曜日

清志郎の反原発ソング 「素晴しすぎて発売出来ません」(1988年6月22日)

「朝日新聞」連載「原発とメディア」252
「マネー」26

清志郎の曲

 原発問題が絡むと、曲も自由に出せなくなる。

 「素晴しすぎて発売出来ません」。
1988年6月22日の朝日新聞の商況面に不思議な広告が載った。
人気ロックグループのレコードの発売中止について、東芝EMI(当時)がそんな言葉で明らかにした。

 レコードは、RCサクセションのシングル「ラヴ・ミー・テンダー」とアルバム「COVERS」。
シングルA面「ラヴ・ミー・テンダー」は、ボーカリスト忌野清志郎(いまわのきよしろう)がエルビス・プレスリーの曲に日本語の歌詞をつけた。
「何言ってんだ! ふざけんじゃねぇ! 核などいらねえ」
「放射能いらねえ 牛乳を飲みてえ」
「たくみな言葉で 一般庶民をだまそうとしても ほんの少しバレてるその黒い腹」

 B面「サマータイム・ブルース」の歌詞も忌野が手がけた。
「人気のない所で泳いだら 原子力発電所が建っていた」
「東海地震もそこまで来てる だけどもまだまだ増えていく 原子力発電所が建っていく」
「それでもTVは言っている 『日本の原発は安全です』 さっぱりわかんねえ 根拠がねえ」。
この2曲はアルバムにも収められていた。

 この広告掲載後、「御質問は一切御返事を差し控えさせていただきたい」といったコメントしか出さなかった東芝EMI。
福島の原発事故後の昨年8月の毎日新聞記事によると、当時の邦楽部門の最高責任者が取材にこう語ったという。
「すごい圧力はなかったと思いますが、子会社が自粛したような格好だったかな」。
東芝EMIには、東芝が出資していた。
日立製作所、三菱重工業と並ぶ原子炉メーカーだ。

 結局、レコードは別会社から出された。
歌の世界でも、原発がタブーであることを示す象徴的な出来事といえる。
当時の東芝EMIの責任者への取材は断られた。

 忌野は2009年5月2日に58歳で亡くなった。
2年後の命日。親交のあった歌手らが日本武道館で開いた追悼ライブ会場に男性歌手が登場した。
この歌手はライブ前に反原発の替え歌を歌い、動画サイトで話題になっていた。
歌手は冗談めかして言った。
「清志郎さん、まだまだ替え歌は怒られちゃいますよ」
(編集委員・小森敦司)

<転載終り>

上記記事にある「清志郎三回忌ライブ」の日、たまたま武道館の前を通った。
その時の記事はコチラ(↓)
東京 靖国神社 本殿裏の池の畔 武道館では清志郎の三回忌コンサート
(2011/5/3)

当日のコンサートの模様は、日刊スポーツ記事が残っていたので、下記に転載する。
日刊スポーツ

清志郎三回忌ライブ 黒柳は反原発歌に涙

 2009年5月2日に死去したロック歌手忌野清志郎さん(享年58)の三回忌の2日、東京・日本武道館で、スペシャルライブが開催された。清志郎ゆかりのミュージシャンが19組も集まり、RCサクセションや清志郎さんの歌を48曲も披露した。清志郎さんの日本武道館公演は、がんの闘病生活から1度復帰したときの08年2月以来3年ぶり。仲井戸麗市ら元RCのバンドメンバーらが再結集し、ゆず、奥田民生、トータス松本ら後輩から矢野顕子ら同世代の仲間までが、歌いつないだ。

 ビデオメッセージには、SMAPらも出演。高校の同級生三浦友和は「震災が起きた今こそ、清志郎ならどうしただろうと考える。僕らが気持ちを受け継いでいかなきゃ」。黒柳徹子は「あなたが20年以上前から反原発の歌で真剣に訴えていたことの重大さを、私たちは分かっていませんでした」と涙ぐんだ。泉谷しげるが反原発ソング「サマータイム・ブルース」を歌うと、1万2000人超満員の観客は総立ちになった。
 [2011年5月3日7時47分 紙面から]

尚、歌の詳細はコチラが詳しい(↓)
忌野清志郎などの反原発ソングと歌詞(ブルーハーツ 浜田省吾 桜井和寿)
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