東京 北の丸公園
*1759年(宝暦9)
8月
・灯油原料の統制。
「一、宝暦九己卯年、布令ありて摂州兵庫、西の宮、及び紀州、中国、四国、 西国の産出絞油は、江戸へ直送せず。必ず大坂油問屋へ輸送し、又諸国に 於て絞草、綿実を買集して、猥りに油絞稼をなすことを禁止せられたり。」(「日本財政経済史料」)。
「油問屋、宝暦九(一七五九)年の八月に令を出して、油専売の事を厲行せしめた。それは前の八代将軍の時、寛保三(一七四三)年に燈油の直段が騰貴して町人大に苦んだ。そこで諸国に命じて油種を多く作らして大坂へ運び出して相場の安くなることを図った。しかるに近年また大坂に運び出す油の直段がよほど騰って来た。これはその年々の豊凶にもよることであろうけれども、近頃は段々油の相場が高くなって来たことも事実である。そこで摂津、兵庫、西宮、紀州、中国、四国、西国に出来るところの油はすべて直ちに大坂に送って、菜種も成るだけ多く作って大坂に積み出して売出すべし。棉の実も近年は水油が出来るものであるからこの後棉の実を扱う問屋を定めたからして、国々からその問屋に運送すべし。殊に大坂に送る可き菜種および棉の実はその途中において外に売捌き、或は隠すことある可らず。大坂の問屋にも利を貪ることなど為すまじき旨命ずぺく、すべてその費用は札に記して問屋に掛て置き、一般に示して何分の費もないように致したから諸国すべてこの令に従う可しという事を令した。」(辻善之助『田沼時代』)
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8月10日
・スペイン国王フェルディナンド6世(46)異母弟カルロス、カルロス3世として即位。
ナポリ国王として財政再建に成功していた。疲弊したスペイン経済建て直しのため改革を断行。
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8月12日
・7年戦争、クーネルスドルフ(ノイマルク)の戦い。
プロイセン・フリードリッヒ2世軍5万3千、オーストリア・ロシア連合軍7万に大敗。
7年戦争中で、フリードリヒ大王の最も壊滅的な敗北。
しかし、オーストリア・ロシア連合軍は無防備のベルリンへ進軍せず、プロイセンとフリードリヒ2世は最大の危機を脱する。
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8月19日
・フランス地中海艦隊、ラゴス湾でイギリス艦隊に敗れる。
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9月3日
・ポルトガル、ポンバル侯、前年の国王殺害計画に係ったとしてイエズス会を追放、財産没収。
同会が経営している初等・中等学校、エヴォラ大学を閉鎖、学校教育からイエズス会の影響力を一掃。
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9月12日
・北米、フレンチ・インディアン戦争、エイブラハム平原の戦い(ケベックの戦い)。
夜、ジェームズ・ウルフ将軍(33)率いるイギリス軍1,700がケベック西の輸送船からボートに乗り組み、セントローレンス河を下りエイブラハム平原南岸の断崖に到着。
13日夜明け迄に4,500人の揚陸完了。13日、ウルフのイギリス軍、カナダのエイブラハム平原でフランス軍を破る。死傷者両軍とも約300。イギリスのウルフ将軍、フランス指揮官ルイ=ジョゼフ・ド・モンカルム共に致命傷を受け没。
18日、ケベック(フランス領北米植民地ニューフランスの中心地)、イギリスに攻略。
翌年にはモントリオール(9月)、デトロイトが相次いで陥落。
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9月23日
・7年戦争。ホイエルスヴェルダの戦い。プロイセン軍がオーストリア軍に勝利。
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10月4日
・北米、フレンチ・インディアン戦争、サンフランソワの襲撃。
この日、ロバート・ロジャーズ率いるレンジャーズが、ヌーベルフランスのセントローレンス川南部にあるアベナキ族の集落サンフランソワ(サンフランソワデュラク)を中心に襲撃を行った。
この日早朝、ロジャーズは兵140人を率いて集落に侵入し住人を虐殺しその後集落を焼いた。住人の被害はロジャーズの報告では300人、フランスの報告では女子供を中心に約30人。ロジャーズの兵1人が戦死し、7人が負傷。
襲撃後、ロジャーズと兵たちは、フランス軍と復讐心に燃えるインディアンに追跡され、食糧も不足し、襲撃に参加した兵のうちの3分の1は戻ってこなかった。
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10月26日
・フランス、ジョルジュ・ダントン、誕生。フランス革命指導者。
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11月10日
・独・劇作家フリードリヒ・シラー、マルバハに誕生
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11月20日
・7年戦争、キブロン湾の海戦。
フランス大西洋艦隊(ウベール・ド・コンフラン提督率いる21隻)、ブルターニュ半島ロリアン南部キブロン湾でエドワード・ホーク提督の率いる23隻のイギリス艦隊に敗北。
イギリスは海上制覇確立。
北米での仏との戦い(フレンチ・インディアン戦争)を有利にする。
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11月20日
・7年戦争、マクセンの戦い。
この日、 フリードリヒ・アウグスト・フォン・フィンク中将率いる15,000名のプロイセン軍がレオポルト・フォン・ダウン元帥率いる32,000名のオーストリア軍に完敗。
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12月
・福井藩、吉田郡東古市村の百姓4人が欠落。藩の知るところとなり家財没収、妻子とも居村追放となる。この4人は11石余~23石余を持つ百姓で、彼等のような百姓が年貢のために欠落し、全財産を没収され、家族も村追放となるところに事態の深刻さがある。
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12月1日
・アフマド・シャー・ドッラーニー、デリー入城
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12月3日
・仏、フランソワ・アンリオ(ロベスピエール派のサブ・リーダー、行動派サン・キュロット)、オート・ド・セーヌ県ナンテールに誕生。
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