2012年10月16日火曜日

川本三郎『荷風と東京 「断腸亭日乗」私註』を読む(42) 「二十五 銀座の小さな喫茶店で」(その2)

銀座 パウリスタ
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川本三郎『荷風と東京 「断腸亭日乗」私註』を読む(42)
 「二十五 銀座の小さな喫茶店で」(その2)

喫茶店の普及を考えるとき、コーヒーの産地ブラジルと日本の関係は見逃せない。
明治44年に、現在の喫茶店の原型といっていいカフェー・パウリスタを開いた水野竜は、南米柘植の社長。南米移民に功績があったとして、サンパウロ州政府からコーヒーを大量に無償で供給され、それをもとに安い「ブラジル・コーヒー」を売る店を作った。
「パウリスタ」とは「サンパウロ人」のことで、この店は、「日本でのブラジルコーヒー宣伝のために」作られた(平野威馬雄『銀座の詩情』白川書院、昭和51年)。

池田弥三郎によれば、「パウリスタ」のコーヒーは安さが有名で、そのために、カフェー・プランタンのほうには文壇・詩壇・画壇・劇壇の人家が集まったのに対し、パウリスタのほうには若い人たちが集まったという。コーヒーは一杯五銭で、その安さは、「ブラジル・コーヒーの市場拡大の拠点」ならではである。

主人の甥は戦前の二枚目スター、大日向伝。ときどき店にあらわれては、コーヒーを入れるのを手伝ったりしていたらしい。
「日乗」昭和7年9月29日
「帰途万茶亭に立寄るに高橋神代其他の人々居合せたり。映画俳優大日向某氏来り浅間山に遊びての帰りなりとて携来れる野花一朶を贈らる」とある
。荷風が草花を愛しているのを知っていて、この日、浅間山で取ってきた野花を贈った。荷風はその野花(リンドウ)をスケッチして文章に添えている。

萬茶亭で友人たちと落ち合ってカフェーに行ったり、縁日に出かけたりすることもある。
昭和7年9月17日
「夜万茶亭に往きて神代氏の来るを俟つ。高橋生田の二子亦来り会す。一同出雲町のカツフヱーに入りて飲む」

同年9月18日
「晩間銀座に飯して後いつもの如く万茶亭にて阪泉神代の二子に逢ふ。三十間堀地蔵尊の縁日を歩む」

同年9月19日
「晩餐の後万茶亭に往き珈琲を喫す。神代氏来り澤田卓爾氏を紹介す。坂東氏来り会したれば相携へて銀座会館南店に往きて飲む」

同年10月7日
「西銀座万茶亭に至り更に鄰家なるラインゴルドの酒場に入り一酌する程に、高橋神代の二君来り、談笑して夜のふくるを忘れぬ」

同年12月25日
「日暮銀座に飯して後万茶亭を訪ふ。神代高橋の二子に逢ふ。神代子来春銀座小誌と題する小雑誌を刊行すと云」
親しい友人たちと万茶亭を中心に、ドイツ酒場のラインゴルドや近くのカフェーに繰り出している。夜の銀座を回遊している。狷介孤高の荷風がこのときばかりは別人のようだ。

12月31日には、萬茶亭にみんなが落ち合い、年を越す。
「夜また銀座に往き万茶亭に憩ふ。神代高橋生田の三子相前後して来り会す。笑語の中除夜の鐘をきく。汁粉屋梅林にて雑煮を食し銀座通夜店の賑ひを観る。偶然タイガの女給お妻に逢ふ。頃日朝鮮京城より帰りしと云ふ。高橋神代の二子と共にオリンピクに入り一茶して後家に帰る。暁三時を過ぎたり」

荷風がよく通った銀座の喫茶店に、もうひとつ「きゅうペる」がある。
「腕くらべ」(大正5~6年)に描かれた金春新道にあった喫茶店(現在の銀座八丁目、千疋屋の裏、割烹料理屋「大隈」の隣り)で、「きゅぅペる」(Cupel)とは英語で「金を吹きわける器具」のこと。
主人の道明眞治郎が東京工業大学の前身蔵前高等工業冶金科出身で商工省工業試験所で二十年以上、”きゅうペる”を吹いていたためである。昭和7年開店。

昭和8年刊の『大東京うまいもの食べある記』の紹介。
「茶寮キュッベル 入口ドアの具合など、こったバーそっくりですが、内部は小倶楽部といった風の店で、安楽椅子の座り心地もよく、インテリらしいこゝの親父さん自ら自慢の飲物を作って居り、文壇、劇壇人等の集合所みたいになっています」

平野威馬雄によれば、ここは「新感覚派的喫茶店」。
野口富士男「『濹東綺譚』覚書」(『文学とその周辺』筑摩書房、1982年)で「その店は私も幾度か行ったことがあるし、生前の荷風をただいちど自身の眼で見た場所であるばかりか、後には宇野浩二の日曜会もそこを会場にしたことがあるために、私にとっても忘れがたい店の一つ」としている。文人たちのサロンのような店だった。

荷風が「きゅうペる」に行くようになるのは昭和8年1月31日から。
「夜オリンピク店頭にて神代氏に逢ひ旧金春通の喫茶店キユベルに憩ふ。此邊もとは妓家のみにて他の商売をなすものは湯屋車屋位なりしが、今はカツフヱーおでん屋喫茶店の如きもの多く、妓家は却て稀になりぬ」。
かつて「新橋夜話」の舞台となった花街が次第にその面影をなくしている。妓家が喫茶店に取って代られている。
ここにも時代の変化が見える。荷風はいつものように気に入ると何度も通うようになる。

昭和8年4月29日
「晩間土橋の罃碗(エーワン)に飯して銀座通に出るに五月人形の露店出で人の出盛ること夥し。キユベル喫茶店に憩ひ高橋酒泉竹下三瀦神代の諸子に逢ふ」

同年4月30日
「晩間銀座に飯す。喫茶店キユベルにて偶然岡鬼太郎君に逢ふ。又酒泉三瀦竹下白鳩其他の諸子に逢ふ」

同年10月17日
「昏刻銀座に往き風月堂に飯す。飯後きゆうペる佃茂の二亭を訪ふこと例の如し」

「荷風にとって、モダン都市に新しく出現した喫茶店は、息抜きの場であり、友人たちと談笑を楽しめるサロンのような場所でもあった。他人が家に入ることを嫌う知識人にとっては、喫茶店は絶好の応接間でもあった。そこに行けば知人、友人に会える。会話を楽しむことが出来る。偏奇館での孤高の生活とは対照的なサロンの楽しさがある。荷風はそうやって精神のバランスを取っていたに違いない。」(川本)

若い友人として荷風に接していた沢田卓爾と高橋邦太郎の回想(岩波書店『荷風全集』第22巻月報、昭和38年)。
「その頃、(昭和七年八年の二カ年にわたって)私は屡々銀座で、荷風先生に親しく御目にかかっていました。先生は毎日のように三四時頃銀座へ出て来、万茶事と称するコーヒー店に立ち寄られて、いつも先生の周辺に集る知人たちと落合うと、其処に腰を据え、彼等を相手に (私もその一人であった)雑談に耽けるのでした」(沢田卓爾「荷風追想」)

「昭和九・十・十一年ごろ、毎晩のようにぼくたちは、銀座の千疋屋の裏の喫茶店きゅーペる、並木通りの珈琲店〝万ちゃん″、銀座四丁目フジ・アイス、あるいは新橋駅西側の小料理店『金兵衛』、しるこや『梅林』などで荷風先生にお目に掛った」

「先生は、黙って、ぼくたちの雑談をしずかに聴いておられる」「時には先生も御自身の意見をのべられることもあり、むかし話、人についての思い出を話し出されることもあった。とりわけ、森鴎外、上田敏のことを話される時は、キチンと膝を正されたのが印象的であった」(高橋邦太郎「荷風先生とぼくたち」)

昭和10年3月19日
「點燈後銀座不二氷菓店にて夕餉を食しキユベルを訪へば既に九時に近し。いつもの諸子と諧語夜半に至る」

同年3月23日
「夜キユベルにていつもの諸子に逢ふ」

同年6月16日
「日暮銀座に往き不二あいすに飯す。キユベルの諸子と金兵衛に立寄りてかへる」

「いつもの諸氏」の顔ぶれ。
「濹東綺譚」の校正者・廣瀬千香の回想記『私の荷風記』(こつう豆本 日本古書通信社、平成元年)。

「芋づるのやうに連り集まる人々は、キッカケはそれぞれ異ってゐた筈であるが、主なる人たちの顔ぶれを挙げておかう。
築地に住む歯医者さんの酒泉。「劇と評論」の同人で、早稲田、上智、中央入学などのドイツ語教授、杉野。岡鬼太郎先生の弟子、慶応義塾のオールドボーイ、竹下英一。その頃、NHKにゐられた、日本フランス文化交流研究会の高橋邦太郎、邦さんの名で通る銀座ボーイ。
一番年かさと思はれるのは、六本木の鰻店、大和田主人の味沢貞次郎老、この方は河東節の大旦那である。萬ちゃんこと、萬本はもと築地小劇場関係、土方与志の配下で、銀座裏の通の通。日劇関係の安東。某電気会社のサラリーマン、歌川。銀座並木通りに住む経師屋、阿部。松竹の斎藤(大斎とアダ名)、この人は戦後すぐに東京劇場の支配人になった。もう一人の斎藤(小斎)、小柄でタップダンスの巧者。この大躰、小躯の二人の斎藤は、カップルで映画に出たことがあった。
時折来たのは河村敏雄、加藤利正、両人は必ず連れ立ってやって来た。松居桃太郎は松葉(のちの松翁)の息。役者の簑助(後の八代三津五郎、フグで亡くなった)。歌舞伎の段四郎、新劇の東山千栄子、その他は、名前も覚えてゐない。
これら一聯の一人々は、表通りをぶらつく事は稀で、大抵は茶房の椅子にくすぶってゐる。時間潰しの雑談は、盛り上がったり低迷したりであったが、中心は荷風に定まってゐる。
最初は梅林、次は松坂屋裏手のアボン。その次はさくら屋(並木通りの角店)、そして富士アイス(教文館ビルの地階)、次はきゆうペる。此処が一番永かった。マスター道家(ママ)さんは、小柄で、何時も黒い蝶ネクタイ。当時ラヂオの童話の時間を受持ってゐたとかで、その昔は、築地小劇場にも関係した人らしい。
レコードをかけない静かな茶房で、マスターは荷風の理解者なので、気がおけない為か、最も永つづきした店であった」

銀座の喫茶店で、五十歳を過ぎた荷風が若い人に囲まれている。
彼らのとりとめもない話に耳を傾け、ときどきは自分も昔の思い出を話したりする。
子どものいない荷風には、彼らが子どものように見えたかもしれない。
人間嫌い、孤高のイメージの強い荷風だが、このときばかりは優しい好々爺のようだ。
銀座の喫茶店は、荷風にとって、隠れ家のような役割も果していたのだろう。
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