毎日JP
特集ワイド:ひと皮むけた「ニュー安倍」 どれくらいナショナリスト?
2013年01月17日
デフレからの脱却へロケットスタートを切った安倍晋三首相だが、その胸中に秘めるのは「戦後レジーム」からの脱却である。ただ、夏の参院選勝利に向けて「国防軍だ」「改憲だ」といったタカ派的発言は封印しだした。果たして、どれくらい本気の「ナショナリスト」なのか?【鈴木琢磨】
◇「外交は常識の範囲でやるだろう」が「国を愛するなら原発語れ」の声、「憲法改正あせらないで」忠告も
◇「弱いのに強く見せざるを得ない危うさ感じる」
とにかく安倍さん、年が明けるや、あちらでも、こちらでも巳(み)年にからめて「ニュー安倍」を訴えている。7日の連合の新年会では「6年前に首相のときは出席しなかったが、今年は巳年で、私もひと皮むけて出席させていただいた」。同じ日、自動車工業会の新年会でも口にした。「ひと皮むけた首相として、柔軟に、果敢に、大胆に、さらには慎重にやっていきたい」
「さて、どれくらい皮がむけたかだ」。そう心配するのは安倍さんの父、晋太郎さんを知る金巌(こんいわお)さん(79)。晋太郎さんとは毎日新聞政治部の後輩記者に当たり、請われて政策担当秘書になった。オヤブンが病魔に倒れていなければ、首相秘書官になっていたはずが、かなわず、郷里の秋田県象潟町(現にかほ市)に戻った。晋三さんが父の悲願を成し遂げようとしていた06年の春、手紙を出した。
「あなたのおやじは『風格ある国家』を提唱していたんだ。合理性の追求だけじゃなく、日本社会に大事なものが欠けている、それを取り戻したい、と訴えていたんだ、とね。そこはわかっている。教育者で革命家の吉田松陰を尊敬しているから強烈なものはある。だが、一度、失敗しているだけに短兵急は慎むはず」。すると右傾化はしない? 「うーん、内外に懸念はあるけれど、尖閣問題など外交は常識の範囲でやるでしょう。気になるのは、ちゃんとした学者や助言者がいるのかどうか。日ごろの蓄積がものをいう。政府の教育再生実行会議の有識者の顔ぶれなどを見ても相変わらず。若くていい人がいるはずだが」
■
「右」からはどう見えているのか? 新右翼「一水会」代表の木村三浩さん(56)に会った。「愛国者は愛国者ですよ。でも、哲学を持っているようには思えない。そもそも共産主義との戦いが終わった後の政治家ですから。『文芸春秋』1月号に彼の論文が掲載されていましたが、タイトルに驚いた。<新しい国へ>。新しい国って何なのか。日本は日本であって、私は新しい国なんか望んでいない、勘弁してくれ。誰に教わったのか分からんが、瑞穂の国の資本主義なんて表現をしている。しかし、真のナショナリストなら、原発を語らねばならないでしょう。あの事故で美しい国土がけがされた。天皇陛下もずっと被災者に心を寄せられている。その原発をどうするのかをあいまいにしたままでよいはずがない」
いささか顔を赤く染めながらの安倍批判が続く。「首相たるもの、思うところは堂々と語らなければ。フェイスブックでちょこちょこと発信し、<いいね!>の反応に喜んでいるようでは困ります。私心を捨て、国を憂える心を養うには沈思黙考、と言いたい。憲法改正を訴え、戦後レジームからの脱却を言うが、大きな矛盾を抱えている。日米安保体制こそが戦後レジームそのもの。集団的自衛権の行使も、しょせんは日米安保の補強、戦後レジームの持続ではないのか」
■
タカ派だ、ハト派だとムキになる時代ではない。レッテルを貼るつもりもない。むしろ「ニュー安倍」の人間の器がどれくらい大きくなったのかが知りたい。フジテレビの人気キャスターから神奈川県知事に転身した黒岩祐治さん(58)を訪ねた。安倍さんと同じ1954年の午(うま)年生まれで、安倍さんを囲む「午年の会」の発起人。松任谷由実さんや片岡鶴太郎さんら20人ほどが名を連ねている。
「年に1〜2回、レストランでワインを飲みながら食事するんです。同い年同士だからホッとしてね。ああしろ、こうしろと進言したりはしません。前の安倍内閣のころでした。柳沢伯夫厚生労働相(当時)の『女性は産む機械』発言があったでしょ。あのとき、僕はひそかに公邸に忍び込んで直訴した。早く切ったほうがいい、とね。すると安倍さん、いやいや、そうはいっても、柳沢さんは優秀な人だから、と聞く耳がなかった。思えば、あれがきっかけで閣僚がぼろぼろ辞任に追い込まれ、参院選で惨敗したんですよ。午年の会のよしみで言えば、憲法改正をあせらないほうがいい。その機は熟していません。世論を読み誤ったら、かつての二の舞いになりかねません」
■
ひょっとすると誰よりも辛辣(しんらつ)な目で人間・安倍晋三を見つめている人物が安倍さんの選挙区、山口県下関市にいる。芥川賞作家の田中慎弥さん(40)。新年早々、「週刊新潮」(1月17日号)に<再起した同郷の宰相へ 弱き者 汝(なんじ)の名は「安倍晋三」>なる文章を寄せていた。田中さんに聞いた。「政治家としての彼を批判しようというわけじゃないんです。たまたま去年、下関で映画のイベントがあって、そこでお会いしたんです。『田中さんの本は読んだんですが、難しくてよくわかりませんでした』と正直なんですね。ただ、なぜか視線を落として、私を見ようとしない。表情はうつろで、愛想笑いを浮かべるくらい。怒ったわけではありません。悪い人ではない。あまり政治家に向いてない人だなあ、政治家というよろいを着ているんだろうなあ、との印象でした」
そんなオーラのない安倍さんが記者会見やテレビの討論番組で、やたら強い態度に出ることに作家は注目したという。「マスコミに攻められると、いいですか、いま私がしゃべってるんですから、と子供っぽく反応し、意見の違う他党の党首に向かって、せせら笑う。ルーツである長州の政治風土も少し関係している気がします。我の強さ。その強情が外へ向くのが安倍さんで、内にこもるのが小説を書いている私でしょうか。祖父の岸信介元首相と、その弟の佐藤栄作元首相、父の安倍晋太郎元外相……、名門政治家の家系に生まれた自負とプレッシャーがのしかかっているでしょう。弱いのに強く見せざるをえないタカ、勇ましいことを口にしても、ピーピーひなどりみたいに鳴いているようにしか聞こえない。ひなどりのままでいることを許されない安倍さんを危うい、怖い、と正直、感じます」
ほかでもない、安倍さん自身がもがき、苦しんでいるということか。悩ましき「ニュー安倍」である。
0 件のコメント:
コメントを投稿