2013年5月16日木曜日

「憲法は何のためにあるのか 自由と人権、そして立憲主義について」(青井美帆、『世界』6月号) (その1)

「憲法は何のためにあるのか 自由と人権、そして立憲主義について」
(青井美帆、『世界』6月号)
1 「普遍的価値」へのコミットメント?
2 明治憲法制定と立憲政体
3 あまりに真摯さに欠けるのではないか?
4 憲法の目的 - 自由と権利
5 「改正草案」における自由と義務
6 私たちの責任
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その1)

1 「普遍的価値」へのコミットメント?

4月12日、第2回「TPPに関する主要閣僚会議」での安倍首相の挨拶。
「……今般、我が国のTPP交渉参加に関し、日米が合意いたしました。今回の日米合意は、我が国の国益をしっかり守る合意であったと思います。……TPPは、日本経済やアジア太平洋地域の成長の取り込みといった経済的メリットに加え、同盟国の米国をはじめ、自由、民主主義、法の支配といった普遍的価値を共有する国々とのルール作りは、安全保障上の大きな意義があると思います」

TPP参加にあたって譲歩が重ねられた結果、経済的なメリットが薄まる中で、「安全保障上のメリット」が強調された。

筆者が焦点を当てたいのは、その安全保障上のメリットを語りうる前提として、「自由、民主主義、法の支配といった普遍的価値」に日本がコミットしていると安倍首相が考えていると思われること。

そして、筆者は、どのくらい真剣に安倍首相をはじめ、わが国の政治家たちがこれらの価値にコミットしているのか、を問う。

例えば、先行論という新手の珍奇な議論が臆面もなく語られ、広く政治の世界に受け入れられつつあるという状況を観察したとき、筆者は、それは、「憲法が何のためにあるのか」、「その目的が何なのか」について、政治家たちが真剣に考えていない証拠なのではないかと、疑っている。

憲法は、私たちの自由や人権が保障されるために、権力分立をともなう統治の仕組み(国家の統治機構)を定めている。このように憲法で政治(権力)を縛るという「ものの考え方」を立憲主義という(注1)。

(注1)
 「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていない社会は、すべて憲法をもつものではない」(フランス人権宣言(1798年)16条)

わが国の憲法学の泰斗、故・芦部信喜の言葉では、・・・。
「立憲的憲法は、権力の法的制限という立憲主義の目的(テロス)を、人間の権利・自由の保障とそのための国家組織の基本(権力分立)の制度化によって具体化したものである」
(芦部信喜『憲法学Ⅰ 憲法総論』(有斐閣、1992年)P.28)。

このような、立憲的憲法の意味についての正しい理解が、かまびすしい改正論議の渦中にあって、蔑ろにされているのではないか。
憲法を変えようという政治家が、憲法を真面目に考えていない事態は、特に極めて由々しきことだ。それは先人の積み重ねてきたところに照らしても、恥ずべきことだ。

2 明治憲法制定と立憲政体

自民党が2012年4月に公にした「自由民主党憲法改正草案」(以下、「改正草案」と略す)についての解説書「日本国憲法改正草案Q&A」のQ1には、「なぜ、今、憲法を改正しなければならないのですか? なぜ、自民党は、『日本国憲法改正草案』を取りまとめたのですか?」とある。

これに対する回答は、「現行憲法は、連合国軍の占領下において、同司令部が指示した草案を基に、その了解の範囲において制定されたものです。日本国の主権が制限された中で制定された憲法には、国民の自由な意思が反映されていないと考えます」である。

日本維新の会が2013年3月に決定した党綱領も同じように、「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真に自立に導き、国家を蘇生させる」と謳っている。

ここに見える<自由な意思・自立への抑圧とその克服>は、日本にとって明治以来の課題であった。

開国という対外的な危機が、日本を近代化に向かわせた。
西欧諸国との不平等条約改定という悲願のために、そして国際政治の荒波に耐えて列強と伍して国家を安定的に運営してゆくために、明治建国期の先達は必死に「立憲政体」(constitutional government)を学んだ(注3)。

(注3)
 立憲主義、立憲政体という概念に関する文書として、古くは文久2年(1862)年の加藤弘之『鄰艸(となりぐさ)』が挙げられる。

なぜ立憲政体について学んだのか。
それが<一人前のまともな国家>と認められるための国際標準と理解されたからである(注4)。
「日本人には真の立憲政治を運営する能力はないから、外観だけの立憲制度で十分だとする白人の立場からの有色人種に対する差別意識(注5)」に背伸びをしてでも挑戦し、西欧先進諸国の仲間入りを果たそうとした。

むろん、抵抗勢力もあった。宮中(天皇、皇族、天皇側近、宮内省関係者等)は、基本的に西欧化に抵抗していた。
他にも、藩閥政治に対する自由民権運動との緊張関係や、西欧化に批判的な文化状況(市民の感覚との乖離)等々、複雑な要因が絡み合う流れがある(注6)。
さらに、明治憲法が建前として掲げる君主主義や「国体」の強調(明治憲法の「告文」・「憲法発布勅語」・「上論」参照)は、立憲主義と逆の方向の論理を内包する。

そんな状況下でも、立憲政体・立憲政治は、近代政治の国際標準として受けいれざるをえないものとの理解は、広く共有されていた。
だからこそ、その国際標準が学ばれ、日本の状況を踏まえつつも、安定的な統治のあり方をつくるための、幾多の努力がなされた。

明治憲法はいろいろな限界をもっていたが、憲法という、国のありようを定める法規範創出に当たって、真摯にこれに取り組まれたさまには、胸を打たれる。

そして、「憲法とは何か」を真剣に学んだその成果として、枢密院での明治憲法草案審議の際の、次に挙げる伊藤博文の言葉は、立憲主義・立憲政体の本質についての理解として、いまなお輝いていよう(注7)。

 「抑(そもそも)憲法を創設して政治を施すと云ふものは、君主の大権を制規に明記し、其の幾部分を制限するものなり。又君主の権力は制限なきを自然のものとするも、已(すで)に憲法政治を施行するときには其君主権を制限せざるを得ず。故に憲法政治と云えば即ち君主権制限の意義なること明なり。……天皇は国の元首なればこそ統治権を総攬し給ふるものなり」(「国ノ元首ニシテ」という文言の削除について。『枢密院会議議事録』第1巻173頁)

「抑立憲政体を創建して国政を施行せんと欲せば、立憲政体の本意を熟知すること必要なり。(「天皇が帝国議会の承認を経て立法権を施行す」という条文の中の--引用者補)議会に承認の文字を嫌て議会に承認の権を与ゆることを厭忌するも、法律制定なり、予算なり、議会に於て承知する丈けの一点は、到底此憲法の上に欠くこと能はざらじとす。議会の承認を経ずして国政を施行するは立憲政体にあらざるなり」(『枢密院会議議事録』第1巻176貢)

「(臣民の権利義務を臣民の分際とすべしとの議論は-引用者)憲法学及国法学に退去を命じたるの説と云うべし。抑憲法を創設するの精神は、第一君権を制限し、第二臣民の権利を保護するにあり。故に若し憲法に於て臣民の権利を列記せず、只責任のみを記載せば、憲法を設くるの必要なし」(有名な、臣民「分際」論議において。『枢密院会議議事録』第1巻217頁)

(注4)~(注7)

4 枢密院(明治21年創設)での明治憲法審議冒頭になされた、伊藤博文の言葉。
「憲法政治は、東洋諸国に於て曽て歴史に徴證すべきものなき所にして、之を我日本に施行するは事全く新創たるを免れず、故に実施の後、其結果国家の為に有益なるか、或は反対に出づるけつ欤(か)、予め期すべからず。然りと雖、二十年前既に封建政治を廃し各国と交通を開きたる以上は、其結果として国家の進歩を謀るに、此れを舎てて他に経理の良途なきを奈何(いかん)せん。夫れ他に経理の良途なし。而して未だ効果を将来に期すべからず。然れば則ち宜く其始に於て最も戒慎を加はへ、以て克く其終あるを希望せざるべからざるなり」
『枢密院会議議事録 第1巻』(東京大学出版会、1984年)P.156。

5 鳥海靖『日本近代史講義』(東京大学出版会、1988年)P.246~247。

6 稲田正次『明治憲法成立史(上・下)』(有斐閣、1960年、62年)など。

7 明治憲法草案の枢密院での審議は、天皇親臨のもと伊藤博文が議長となって行われた。
伊藤は明治憲法制定にあたり、中心的となって万事牽引し統括した人物。
立憲制の導入と伊藤博文について、たとえば坂本一登『伊藤博文と明治国家形成』(吉川弘文館、1991年)など。

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(その2)につづく

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