西太后
1898(明治31)年
9月21日
(光緒24年8月6日)西太后、反変法クーデタ(戊戌政変)
朝、西太后、紫禁城に急行。光緒帝を叱責。紫禁城は全て西太后・栄禄に組し、光緒帝は降伏。この日のうちに、「西太后に再び訓政を懇願する」旨の綸旨発布。光緒帝は幽閉。
西太后に仕えた女官、徳齢の手記
英字新聞を翻訳して西太后に伝える役目を持っていた徳齢が、ある朝、読んだ中に康有為がシンガポールに到着したという記事があった。そのとき西太后は激しく興奮し、この康有為こそ、光緒帝に変法どころかキリスト教の移入まで吹き込んで、その後のあらゆる騒動を惹き起こした奴だといって罵り、次のように語った。
「この男は、変法を実行に移すまでまで私を監禁しておこうというので、万寿山(頤和園の西太后の別荘)を軍隊で取り囲む勅令を皇帝に出させようとまでしたのでしたが、軍機処の一員の栄禄と直隷総督の袁世凱との忠義のお蔭で、私はこの陰謀をうち破ることができました。私はただちに当時皇帝が住んでいらっしゃった紫禁城に出かけて、皇帝にこの問題を詰(なじ)りますと、皇帝は自らの誤りを悟られましたから、私に政権を執って、自分の代わりに治めてもらいたいとお頼みになったのです。」(徳齢、太田七郎・田中克己訳『西太后に侍して――紫禁城の二年間』)
その後も、西太后は康有為が逮捕を逃れた後の動向を常に気にしていたらしく、なぜ外国はこのような支那の政治的先導者の罪人に保護を与えるのだ、と怒りが収まらない風だったという。
9月21日
社説「根本的改革」(『万朝報』、「蕨村」(久津見蕨村)の署名)。「政体は立憲的にして、教育は専制的なり」という政体と教育が背馳する状態を改め、教育に対して「根本的改革」を断行しなければならない、と主張。
倒閣勢力はこれを「不忠不義」の「民主論」として攻撃。
9月23日
高野房太郎、労働組合期成会15回月次会で工場法案修正陳情委員に選任。
9月24日
グスタフ・マーラー、ウィーンフィルの指揮者に就任。
9月25日
従来監獄の教誨師は仏教の僧侶のみが用いられていたが、板垣内相は巣鴨監獄にキリスト教の牧師を教誨師として採用した。これに対して、本願寺の石川舜台が反対する意見書を二度にわたって知己の大隈総理、貴族院議員、宮内省職員などに配布した(9月25日、30日)。
9月26日
鉱毒被害民2,500人、第3次「押出し」。雲竜寺発。
28日、田中正造は東京府下南足立郡淵江村保木間において、被害民に「3つの約束」をし、総代50名を残して帰村するよう説得。代表50人、入京し板垣内相・大石正己農商務相面会要請、拒否。
〈請願内容〉
「1.憲法保護請願の事
1.鉱毒被害地土地恢復願の事
1.本年再度の流毒による被害実況見分願の事
1.免租継年期願の事
1.渡良瀬川河身改良及河床浚渫堤防改増築実行再促願の事
1.鉱毒の衛生上に及ぼす事実再調査願の事
1.被害激甚に附窮乏村民へ刻下の衣食救助願の事
憲法保護の請願書に記載之通り
1.被害窮民は窮困甚しく到底司法裁判を起して鉱業主より損害賠償を得るの力なきにより、憲法上相当の保護により損害金救済下附再促願の事
明治三十一年九月
鉱毒被害民一同」
室田忠七の鉱毒事件日誌より
9月26日 第三次東京押出しを決行。雲竜寺事務所境内に集合して出発する。
「九月三日ヨリ七日迄ニ大風雨ニテ沈殿池ハ破壊シ、鉱毒甚シク流沈セシニヨリ被害民一同ハ大ニ撃抗シ是ヨリ一同上京シ、ヲソレ多クモ陛下御膝下ニテ衷訴セントノコトニテ、当日午後一時ヲ期シ一同出発セリ」
9 月29日 田中正造の説得により、多数の請願者の中から選ばれた総代50名が前日、信濃屋に宿泊。この日、代表4名が内務省に行き大臣に面会を求めたが果たせず。内務省の説明は「地方庁ヲ経由シテ参ルべシト。若シ多数ガ出省シテ強テ面会ヲ求ムルトモ地方庁ヲ経由(セ)ザレバ断ジテ面会セズ」とのことであった。
農商務省にも7名が出頭して大臣に面会を求めたが、「明日十二時ニ面会ヲ許ス」との回答を得る。
9 月30日 農商務省に全員で出頭したが、閣議があって出省しないとのことで大臣に面会できず。また明日の面会者は代表5、6名との言に激高、農商務省に夜中12時まで居続ける。
9月26日
米、ジョージ・ガーシュイン、誕生。ニューヨーク、ブルックリン、/'37/7/11.ハリウッドで没
9月27日
原敬(42)、「大阪毎日新聞」社長(~約2年2ヶ月)。
9月28日
(光緒24年8月13日)譚嗣同ら変法派6名処刑。康有為ら日本亡命(百日維新)。
康有為はクーデタ直前に北京脱出。上海に。イギリスは清朝の引渡し要求に応じず康を香港に脱出させる。後、日本に亡命。譚嗣同は逃亡可能であったが、梁啓超(北京・日本大使館に逃亡)に「君は西郷たれ、我は月照たらん」と言い残し変法運動に殉ずる。
つづく
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