1899(明治32)年
6月
大日本労働協会設立。大阪、大井憲太郎。機関誌 「大阪週報」
6月
小作条例期成同盟会設立。大井憲太郎ら。
6月
日銀、第一銀行に韓国産金購入資金として20万円預入。
6月
足尾銅山鉱業停止請願事務所・足尾鉱毒処分請願事務所から「群馬、栃木、埼玉、茨城四県被害地ヨリ主務大臣ニ提供シタル者」として、「渡良瀬川河身大回復諸工事実行ノ請願書」が提出された。その中で「明治三十年鉱毒調査会ヲ開カレ閣議ヲ以テ設計セラレタル測量ニ基カレ、至急此ノ大施設ヲ実行スルニアラザレバ、已往ノ惨状ヲ回復セサルノミナラス目下ノ危急如何トモスベカラズ」と主張している。
河川改修は内務省の管轄である。知事から河川改修の請願書に対する添書を手に入れ、内務省に働きかけを行ってゆく。
6月
後藤宙外「腐肉団」(時事新報)6~8
6月
ゴーギャン(51)、タヒチ、パペーテの諷刺誌『レ・ゲープ(雀蜂)』に寄稿。
6月
ロマン・ロラン(33)、戯曲『理性の勝利』出版、6 月上演。
6月3日
ヨハン・シュトラウス2世(73)、没
6月5日
子規、「十二俳仙」の一人に選ばれる(『太陽』5巻12号、新派6人=子規・紅葉・竹冷・小波・洒竹・鳴雪)。
6月5日
高野岩三郎、欧州留学に出発。
6月8日
漱石、高等官五等に叙せられる。陸海軍武官でいえば少佐に相当する官等。
6月11日
川端康成、誕生。
6月12日
摂津電気鉄道株式会社が設立。阪神電気鉄道の前身。
6月12日
伊沢修二(47)、横浜で平沼学校開校式に出席。加納治五郎・星亨らも列席。
6月15日
福岡の豊国炭坑でガス爆発。死者210人。
6月16日
森鴎外、近衛師団軍医部長兼軍医学校長から、第12師団(小倉)の軍医部長に転勤。左遷?
6月16日
内務省に出頭し「町村破壊ノ件」で陳情、地方局長・土地局長に面会する(室田忠七の鉱毒事件日誌より)。
6月20日
東京歌舞伎座で最初の日本製映画「芸者の手踊り」が公開。浅野四郎撮影、駒田好洋の日本率先活動写真会が興行。
6月20日
労働組合期成会・鉄工組合、本部を日本橋区本石町1丁目12番地に移転。高野房太郎も本部に住み込む。
25日、労働組合期成会月次会、高野房太郎・片山潜を常任幹事に選任。同日鉄工組合委員総会も常任委員の増員を決議し,高野を選任。
29日、高野を有給の常任委員とし、鉄工組合より月20円、期成会より5円を給与すること決定。
6月21日
漱石、大学予科英語主任を命じられる。
すでに二高校長に任じられていた菊池謙二郎の場合が異例の抜擢だったとしても、漱石の昇進は決して早くない。そして、既に熊本を去った菅虎雄、狩野亨吉に加えて、親しい同僚山川信次郎までが、五高を去ろうとしていた(一高への転任希望)。
6月25日
社会主義研究会第8回例会。幸徳秋水の研究発表「現今の政治社会と社会主義」。
第5回片山潜「フェルジナンド・ラサールの社会主義」、第6回村井知至「カール・マルクスの社会主義」、第7回安部磯雄「ヘンリー・ジョージの社会主義」。
6月27日
女子独立学校校長の加藤俊子(62)、没。
6月末
子規、虚子共に体調不良のため碧梧桐が替って編集して「ホトトギス」を発行する。
「その「ホトトギス」は碧梧桐の手によって矢継ぎ早に刊行された。六月、七月と遅れをとり返し、八月には、虚子がひと月も遅らせていた発行日はほとんど正常に復した。」(関川夏央、前掲書)
つづく
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