1899年1月21日に樹立したフィリピン共和国(フィリピン第一共和国)初代大統領
1899(明治32)年
1月26日
室田忠七の鉱毒事件日誌より
1月26日 内閣大臣・内務次官の自宅を訪問するが会えず。内務省で「被害ニ対ス処分並ニ大臣閣下ニ検分ヲ願」う。
1月27日 神鞭知常を訪問するが会えず。
1月28日 内務省、農商務省に出頭する。
1月31日 安蘇郡々長に栃木県新任知事の被害地視察を願う。"
1月30日
梁啓超(25)、1月7日に牛込区早稲田南町42番地に移り、この日(30日)、小石川区表町109番地の柏原文太郎(29)の自宅に移動。
柏原文太郎は、明治26年に東京専門学校英語政治科を卒業後、朝鮮国政府農商務省の招聘を受けて韓国へ渡り、帰国後は駐日朝鮮政府公使館顧問になった。明治29年、東京専門学校の講師に就任して支那研究会を組織し、翌年、東亜同文会を設立して幹事に就任した。梁啓超を自宅に迎え入れたのはこの頃で、ふたりは意気投合して義兄弟の契りを結んだ。
梁啓超は柏原から日本語を教わりながら、日本語の単語帳を作成して、自己流の「日本語速読法」を編み出した。従来のように漢文式に返り点を打って読むのではなく、日本語の助詞と少数の言葉だけ覚えたら、日本文をそのまま中国語で読み下すという方法だ。これで日本語の大意が理解できるという。やがて梁啓超はこの方法をまとめて『和文漢読法』として出版し、清国留学生たちの間でベストセラーになった。
一方、日中関係に強い関心を抱いていた柏原は、梁啓超からたくさんの中国知識を授けられ、中国事情に精通することになった。
明治42年、相原は、細川護成とともに目白中学(現、中央大学付属高校)を創設して私学教育の向上に尽力。1912年には立憲国民党から立候補して衆議院議員を2期務め教育政策の分野で活躍した。
1月31日
第13議会、根本正、有志議員により提案された「国民教育授業料全廃ノ建議案」の趣旨説明。
建議案。「普通教育は自ら専門教育と異り国家の公務に属すべきものなり、授業料を要する学校は真正の公立に非ず、故に普通学校を公立と為し公税を以て之を支弁し貴賤貧富の別なく何人の子弟を間はず無月謝にて自由に普通教育を受くるの学制を立つるは国家の義務なりと信ず、政府は速に小学校の授業料を全廃し公税を以て自由教育を施行するの制度を立て帝国議会の協賛を求められむことを望む」。
根本は、学齢児童773万に対し不就学児童は250~300万にのぼり、小学校の為に34銭/人の負担に対し軍事費は2円40銭を負担しており、米国では同じく小学校に5円22銭、軍事費1円44銭、ドイツでは学校2円91銭、イギリスは2円66銭と、日清戦争後の大幅な軍備拡張財政が教育費を圧迫している事を指摘。この建議案は特別委員会で審議のうえ、衆議院本会議は賛成多数で可決。
政府は、授業料全廃方針を表明するが、校舎不足と教員不足が全国で3万人あり、これを充実するに1千万円余が必要と説明。
翌1900(明治33)年8月公布の小学校令で、市町村立尋常小学校の授業料廃止。但し、特殊事情ある場合は授業料徴収できる。
1月31日
漱石、夜、研屋旅館に村上霽月を訪ねて、夜遅くまで歓談。生と死の問題について意見をかわす。また、俳句を詠む。
翌2月1日、夜、村上霽月が漱石を訪問。遅くまで話す。
鏡子のヒステリー症続く。
2月
河北省淶水県の南洛村、年末(旧暦)の迎神賽会準備のため、地保(保長=1千戸の長)閻洛奉らが教民張才の家の前の十字路を跨いで小屋を掛ける。これ契機に紛争。双方が訴え、知県高正粛は、教民保護の立場を明確に閻洛奉・閻洛福らを逮捕、拘留。後、賠償金を払い釈放。
2月
与謝野晶子(21)、関西青年文学会(浪華青年文学会を改称)機関誌「よしあし草」第11に鳳小舟の名で詩「春月」を発表。晶子の短歌が旧派和歌から新派和歌へ移行する時期。
「うら若き読経の声のきこゆなり一もと桜月にちるいほ 今宵こそハイネとふたりわがぬると友いひこしぬ星合の夜に」新体詩「春月」(一節)
5月「よしあし草」第14号に詩「わがをひ」を鳳小舟女の名で発表。
8月、同特集号に歌「塚」1首、「折に」1首発表。
9月、同第6号に歌「七夕」1首、「折に」1首発表。
10月、同第19号に歌「折に」1首発表。
11月、同第20号に詩「後の身」発表。
12月、同第21号に歌「恋の歌の中に」1首、「群鶴仙唱」1首発表。
2月
大杉栄(14)、北蒲原尋常中学校の三好愛吉校長の留任を求める学生運動に発起人として参加
2月
ハンガリー、パーンフィ首相解任。「鉄拳政策」が危機を招く。
2月
エミリオ・アギナルド、米に対し反乱開始。初代フィリピン総督のアーサー・マッカーサー(ダグラスの父)、米兵7万を投入し民族解放勢力に対する大虐殺指揮。3年間でルソン島住民1/6殺害。
2月1日
東京~大阪間の長距離電話が開通
2月2日
栃木県知事、被害地視察に来る(室田忠七の鉱毒事件日誌より)。
2月4日
米軍とフィリピン独立革命軍の戦闘が始まる(米比戦争開戦)。
2月7日
勅令により、中学校令改正・実業学校令が公布。
8日、高等女学校令公布。
2月8日
政府が納税資格の緩和、無記名投票などを内容とする選挙法改正案を提出するが、貴族院の反対で不成立。
2月10日
田河水泡、誕生。
2月11日
紀元節。第五高等学校でドイツ人教師エルドマンス・エルンスト・デルフェル、拝賀の礼をしないで、途中から退場。中川元校長、大いに困却する。後にデルフェル、頭痛のため精神錯乱していたとの謝罪状を中川元校長に提出。
2月12日
独、スペインより南方諸島購入
2月13日
宮本百合子、東京に誕生。
2月18日
エミール・ルーべ(61)、フランス大統領に選出。第3共和政の基礎を築く。
2月24日
西郷従道内相(第2次山県内閣)、高野事件に関連する衆議院での質問に対して書面で「台湾総督府法院判官は憲法第58条第2項の保障を得るものと認む」と回答。第13議会で花井卓蔵(1月21日)らが質問。台湾総督府判官の身分は制度的・憲法的に明確に保障される。後は高野盂矩の処分問題のみ。
2月27日
ペルーへの移民801人が出発。
2月28日
イタリア、三門湾の租借要求(清朝拒否)
つづく
0 件のコメント:
コメントを投稿