2012年3月22日木曜日

昌泰3年(900) 三善清行、来年が辛酉の年で変革の年に当たることを奏上、 道真には警戒を怠ってはならず、栄達よりも自適の道を選ぶよう勧告

東京 江戸城(皇居)東御苑
*
昌泰3年(900)
この年
・朝鮮半島情勢。
9世紀初め、新羅で内乱が起き、豪族が群雄割拠する状態になる。
この年、半島西南部に後百済が起こり、翌年には中北部に後高句麗が建国される。
*
1月3日
・醍醐天皇、朱雀院に行幸して宇多法皇と密議。道真に天下の政を一任しようとする。
左大臣藤原時平は、大職冠鎌足の子孫で、まことに「摂籙高貴」の家柄であるが、未だ30歳にも満たず、かつ資質や才能は道真には及ぶべくもない。
対して右大臣道真は、「重代の執政」の家柄ではないが、器量才能ともすぐれ、聡明有徳の賢人である。

召し出された道真に、その旨が下されるが、左大臣は「御気色をうらみて」陣外に退出。
道真は、強く辞退の意を示し、召し出しに臣下たちが怪しむであろうと思い、詩題を示して、両皇からは詩を奉るよう仰せつかったと称し、左大臣も一応は納得して帰宅。

しかし、その後に催された詩宴では、道真に両皇並びに后宮(きさいのみや)から直々に御着衣の下賜があった(正暦三年託宣記)。

「扶桑略記」では
「昌泰三年庚申正月三日、朱雀院行幸す。安楽寺託宣に云はく、件の日、関白の詔有り。然れども菅相府固辞す」とある。
*
5月
・上野国が賊首の物部氏永の追捕を報じる。
しかし、この年、今度は武蔵国で群盗が蜂起する。
*
8月16日
・道真、「菅家文草」以下父祖の集を献上す
道真の詩文を集めた「菅家文草」12巻、父是善(これよし)集「菅相公集」10巻、祖父清公(きよぎみ)の集「菅家集」6巻を醍醐天皇に献上。
*
10月
三善清行、来年が辛酉の年で変革の年に当たることを奏上。
清行は、10月には道真に書簡を呈し、翌年が辛酉にあたるので異変への警戒を怠ってはならず、このさい栄達をきわめずに自適の道を選ぶべきことを勧告
この少し前、道真は、祖父清公・父是善・道真の儒林3代の詩文が収められている家集28巻を天皇に捧げている。
*
*
翌年の時平派のクーデタに繋がる。

0 件のコメント: