先にご紹介した野坂昭如の寄稿(コチラ)が掲載された「朝日新聞」(3月13日)の同じ紙面に、
「普天間・原発 重なる構図」と題する北村毅(文化人類学者、早大准教授)の文章が掲載されていた。
忘れてはいけない重要な視点なので要点を一部メモしておく。
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(見出し)
危険性直視しない社会の意識
普天間飛行場を見渡せる宜野湾市の嘉数(かかず)高台は、閣僚や国会議員の視察に利用されることで有名だ。
(略)
一方、嘉数高台に立つ政治家は米軍機の離着陸を眺め、そこから見えるものが極東の平和と安全を守っているという安保の論理で現状を追認し、<基地があるのが当たり前>の風景を裏書きして帰っていく。
(略)
沖縄の友人は、その俯瞰的なまなざしを「上から目線」「他人事(ひとごと)の目線」と表す。
そもそも普天間は安保や抑止といった国家間の高所の議論である以前に、爆音や事故の危険に晒される生治者の問題であるはずなのだが、俯瞰的な位置からは人間の生活は見えてこない。
何もこれは単に政治姿勢の問題ではなく、自分に見えないことは存在しない(関係ない)と思いたい本土のマジョリティーの無意識の反映である。
かように「他人事の目線」が共有化されることで、沖縄の基地被害は空気のように(見え)ないこととされてきた。
見ようとしなければ、それは意識の上では存在しない。
3・11以前は、原発問題もそうであった。
社会は常に原発の危険に晒されていたのだが、大多数は(私を含め)見ようとはしてこなかった。
事故の映像が報じられて初めて、自分の命や日常を脅かす危険な代物として視界に入ったのである。
それまでは「安全神話」を担保してくれる「原子カムラ」の俯瞰的なまなざしを内面化することで、今そこにある危機を(見え)ないことにしてきたのである。
しかし、それは原発との共存を強いられている地域住民、原発労働者、反原発派の視界にいつもあった。
原発依存社会は、沖縄に基地を隔離することで成り立つ日米安保と同様、見る人と見ない人の間の格差や距離に支えられてきたといえよう。
3・11を機にその現実を直視せざるをえなくなったとき、都市に住む多数者は、自分がいかに目に見えるものだけに支配されてきたのかに気づかされたのである。
いま日本社会は、誰の目にも見えない放射能を相手にしている。
見えないからといって、存在しない、関係ないものにはできない。
3・11を経た本土の人々に対し、沖縄の基地もまたそのようなものとして問い返されている。
****************************************(終)
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