2012年7月7日土曜日
「厳重注意」を受けるべきは誰か ~NHK「ETV特集」スタッフへの「注意処分」を考える~
月刊マスコミ市民「放送を語る会 談話室」 からの転載
「厳重注意」を受けるべきは誰か
~NHK「ETV特集」スタッフへの「注意処分」を考える~
戸崎 賢二(放送を語る会会員)
大震災後のテレビ報道の中で、NHK「ETV特集」の「ネットワークでつくる放射能汚染地図」シリーズは、原発事故による放射能汚染の実態と、被害を受けた人びとの悲劇を、地を這うような調査取材で伝え続け、わが国原発事故報道の高い峰を形成してきた。シリーズ第一回にあたる昨年5月15日の番組は、文化庁芸術祭大賞、日本ジャーナリスト会議大賞などを受賞している。
ところが、今年4月、NHKで、この優れた番組群を主導したETV特集班のプロデューサーとディレクターが、口頭での「厳重注意」、もう1人のディレクターが「注意」を受けていたことが明らかになった。
問題とされたのは、取材班が番組の制作記録として刊行した単行本「ホットスポット」(講談社)の内容である。
この「厳重注意」については、NHKの公式サイトで見当たらず、当事者も沈黙しているので、詳細はよくわからない。局内で伝えられているところを総合すると、「厳重注意」の理由は、前記の書籍の中で、執筆者が、NHKが禁じていた30キロ圏内の取材を行った事実を公表したこと、原発報道についてNHKの他部局を批判したこと、などだったとされる。
書籍「ホットスポット」によれば、震災4日後の3月15日、取材班は放射線衛生学の研究者である木村真三博士とともに福島へ向かい、翌16日から、原発から30キロ圏内で、移動しながら放射線量を測定した。各地でチェルノブイリに匹敵する高い線量を記録する中で、研究者のネットワークで、原発事故による汚染地図をつくるドキュメンタリーの企画の着想が生まれた。
この企画は、ETV特集新年度第1回の4月3日の放送分として提案されたが、ネットワークに参加する研究者に反原発の立場の研究者がいることなどを理由に、制作局幹部によって却下される。
このころすでに、政府の屋内退避区域の設定を理由に、NHKは30キロ圏内の取材を禁じていた。3月下旬、再度現地に入ったクルーが、幹部からの命令で現地から撤退する直前、浪江町赤宇木(あこうぎ)で、高線量を知らず取り残されている住民を発見した。住民はのちに取材クルーと木村博士の説得でこの地域を脱出することになる。
「注意処分」の理由とされたのは、このように30キロ圏内で取材した事実を書籍で公表したことだった。しかし、その記述があることによって、当時の原発事故報道の問題点が鮮明に浮かび上がることとなった。
赤宇木のある地域の放射線量の高さは、文科省は把握していたが、地名を公表しなかった。枝野官房長官はこの報告を受けた後の記者会見で、「直ちに人体に影響を与えるような数値ではない」と説明し、テレビ報道はこの会見を垂れ流した。
取材班は「ホットスポット」の中で、「当時の報道は大本営発表に終始し、取材によって得られた「事実」がなかった」と指摘、30キロ圏内の取材規制も、「納得できるものではない、そこにはまだ人間が暮らしているのだ」と書いている。ジャーナリストとしてまっとうな感覚である。
赤宇木の状況は4月3日のETV特集で紹介され大きな反響を呼んだが、3月に測定した汚染の広がりの公表は、5月15日の「汚染地図」第1回の放送まで待たなければならなかった。もし、幹部が遅くとも4月3日に「汚染地図」の放送を許していたら、番組は大きな警告となって、高線量の中で被曝する住民が少しは減らせたかもしれない。
こうしてみると、「厳重注意」を受けるべきは、本来誰なのかを問い直さざるをえない。それは被災地に入り込んで取材し、住民を救った取材班というよりは、むしろ政府発表を垂れ流した報道や、早期に放射能被害を伝えることを制約した幹部のほうではないか。
番組を牽引した七沢潔氏は、本書の「あとがき」の中で、「あれだけの事故が起こっても、慣性の法則に従うかのように「原子村」に配慮した報道スタイルにこだわる局幹部」と、NHK内部に向けて厳しい批判を加え、「取材規制を遵守するあまり違反者に対して容赦ないバッシングをする他部局のディレクターや記者たち」の存在を告発している。
現役のNHK職員のこの異例の記述には、組織の論理よりも民衆を襲った悲劇の側に立つことを優先し、自局の原発報道を問い直す不退転の決意が読み取れる。
このあたりの記述が「厳重注意」の理由とされたのだった。しかし、ここに表明された個々の制作者の精神の自由を「厳重注意」によって抑圧するようでは、企業としてのNHKの「自主自律」は実体を持たない空疎なものとなる。 「ホットスポット」は一方で、NHKは決して一枚岩の存在ではなく、良心的な番組でもNHK内においてはさまざまな圧力の中にあり、視聴者の支持がなければ潰されかねないことをも示唆した。今回の「厳重注意」の動きは、視聴者にそのような重大なメッセージを伝えている。
2012年7月号より
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