水俣病と原発事故
チッソと東電
前者から我々は何を学んだのか
先週の「朝日新聞」
7月3日に「水俣病に「解決」はない 魚屋の領収書は不条理」(池澤夏樹)
7月4日に「私たちは国土と民を失った 政治生命かけるべきものは」(藤原新也)
が掲載された。
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池澤の書き出し
「今月の末、「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法」の申請期限が来る。
一九五〇年代にこの病気が発生して以来、加害者であるチッソと県ならびに国は、
患者の訴えを無視し、
原因をすり替え、
責任を回避し、
謝罪を拒み、
事態を矮小化し、
補償の額を値切り、
収束を宣言しようとしてきた。」
と、チッソ批難によって、東電を批難・告発している。
ラストは、
「振り返ってみれば、この数十年、チッソだって辛かっただろうと思う。その場その場を強引に切り抜けただけで、会社にとっていいことは一つもなかった。「猫四〇〇号」で撤退していれば、と後悔はしなかったか。それは国が許さなかったのかもしれない。国は会社より更に冷酷になれるから。
去年の九月、野田首相は国連の演説で「原発の安全性を世界最高水準に高める」と言った。ご本人、よもや忘れてはいるまい。
で、その結果が大飯原発の運転再開なのか? 地震と津波の危険がある場所で何の対策も実現しないままの再稼働が本当に「世界最高水準」の安全性か?
「解決」のない福島人の受難はいったい何のためだったのだろう?」
と原発再稼動を批判する。
文中の「猫四〇〇号」というのは、池澤の文章を引用すると、
「一九五九年十月、チッソ水俣工場附属病院の細川一医師は猫への廃液の投与で「奇病」と同じ症状を再現した。世に「猫四〇〇号」として知られることになった実験である。
会社はこの結果を握りつぶした。その段階で会社が非を認めてあの方法によるアセトアルデヒドの製造を止めていれば被害者の数はこんなに増えなかった。たくさんの人が普通の人生を送れた。しかし製造が終わったのはほぼ十年後の一九六八年五月であり、有機水銀を含む汚泥の除去が始まったのは更に五年後の一九七三年だった。」
とある。
チッソ(国)にも引き返すチャンスはあったのに・・・、ということである。
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藤原の文章は、彼の写真付きであるので、JPGで表示させて戴く。
藤原は、水俣病と原発事故の違いに触れる。
「かくも相似した二つの忌まわしい歴史が繰り返されているわけだが、水俣と福島はすべてが軌一であるというわけではない。
水俣の水銀汚染は被害が長期にわたりかつ深刻だが、海洋に限定されたその性質上、被害の拡散範囲に地域性があるのに対し、福島の場合は、チェルノブイリ原発事故によって三重のお茶から多量のセシウムが検出されたことが示すように、福島を最大被害地として日本のみならず全世界に広がる。海底に沈潜した水銀は浚渫(しゅんせつ)と埋め立てで封印さらたが、陸、海、空に拡散した放射性物質賓の封印は不可能だ。
もうひとつ私たちが十分に銘記していない決定的な違いがある。それは水俣では土地や家、家族は残ったが、福島では我々は「国土を失った」ということだ。そしてその国土に住む国民から土地や家を奪い、流浪の民に追いやったということだ。この”原発難民”とも言える方々は人知れず私たちの傍らにいる。」
藤原のラスト
「こんな第一級の緊急時にドジョウの誠実を騙(かた)った野田さん、あなたは消費増税法案成立に政治生命をかけると言った。大飯原発の再稼働にも政治生命をかけていたらしい。
しかし、いま一国の長が政治生命をかけるべきことは明白だ。この広大な国土の喪失に対しどう対処するかであり、日本を壊滅に導くかも知れない福島第一原発4号棟の倒壊阻止、そして路頭に迷う国民をどう救済するかである。」
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しかし、残念ながら
松下政経塾・官僚言いなり首相は、経団連と連携を密にして、
次にはTPPに政治生命を賭けることになりそうだ。
かくも軽く安き「政治生命」。
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