東京 江戸城(皇居)二の丸雑木林
*昭和17年(1942)
10月1日
十月初一 くもりて風なし。暮方物買はむとて新橋驛のほとりを過ぐ。路傍の廣告を見るに頭山満翁口述英雄を語ると書きたるあり。勤皇志士遺墨展覧會またソロモン海戦記またマレイ語教授の廣告。それに続きて陸軍大将宇垣一成民族科学講習會などいへるもあり。停車場入口には國民服の小役人机を据え弾丸債券といふものを賣らむとて聲をからして通行人を呼び留む。停車場をよこぎり寿司屋横町に入り金兵衛の戸口をくゞるに食卓につける一人の客店のものに向ひ頻に米國飛行機襲来の日の近きに在るべき由を語れり。そこそこに夕餉を食し銀座を歩む。尾張町にて偶然高橋邦太郎氏に逢ふ。近日再び仏印に赴くと云ふ。雨ふり來りたれは別れてかへる。
〔欄外朱書〕都國民の二新聞合併して東京新聞と称す
*
10月2日
十月初二。晴。久しくオペラ館を訪はざれは夕餉の後赴き見るに踊子多く去りて残れるもの七八人となれり。この春頃までは少き時も二十人ぐらゐは居たりしなり。金龍館常磐座にても踊子少くなりてレビユウの演藝困難になりしと云ふ。この夜オペラ館の演藝はいつもの軍歌剣劇とやら称するもの何の面白きところも無けれど見物相應の入なり。
*
10月3日
十月初三。晴。金兵衛に夕飯を喫す。居合す人のはなしにジヨニオカウイスキイ一壜金百圓。キユイラツソオ四五十圓。ベルモツト三四拾圓位なりと云。
*
10月4日
十月初四 日曜日 晴また陰。
*
10月5日
十月初五。防空演習にて崖下の町より人の聾物音折々ひゞき來る。されど我家のほとりは静にて木(こ)の間(ま)に鶯の笹啼をきく。秋海棠の花猶さき残りたるに山茶花の早くも一二輪さき初(そ)めたるを見る。風静にして木の葉のそよぐ音春の日の如し。
*
10月6日
・十月初六 晴れて暑し。隣家墺國人フロイドル氏林檎三顆をおくらる。午後谷口氏來り栗饅頭羊羹林檎をおくらる。薄暮金兵衛に飰す。或人のはなしに市中色町の薬屋に花柳病豫防のサツク品切になりしと云ふ。
*
10月7日
十月初七。晴。北風吹きすさみて俄に寒し。晡下土州橋に至り歸途金兵衛に飯す。
*
10月8日
十月初八。風やみて小春の好き日なり。偏奇館修繕終了す。福井縣今立郡岡本村黒田道宅といふ未見の人奉書紙を郵達し來れり。
*
10月9日
十月初九。陰。夜に入りで雨。
*
10月10日
十月十日。秋雨霏々。和洋蔵書を整理す。
*
10月11日
十月十一日 日曜日 晴れて風甚冷なり。門外に遊ぶ子供のはなしをきくに今日より時計の時間変りて軍隊風になる由。午後の一時を十三時に二時を十四時などゝ呼ぶなりと云。
*
10月12日
十月十二日。くもりで暗き日なり。午後岡崎來訪。夜に入り雨ふる。虫の聲猶盛なり。
*
10月13日
十月十三日。毎年招魂牡の祭禮と池上御會式の夜には雨の降るが例なり。今日も好く晴れたる空夜初更に至り雨俄に來り雷鳴り出しぬ。
*
10月14日
十月十四日。晴。掃庭半日。夜驟雨昨の如し。金兵衛にて偶然三升酒泉五叟等に逢ふ。夜半にかへる。
*
*
0 件のコメント:
コメントを投稿