2012年10月8日月曜日

「日本も韓国・・・この夏の喧噪は、双方のデモクラシーと良識が劣化している兆候に見えました。」(クォン・ヨンソク)

国の枠超えた「ルーズな海」に  クォン・ヨンソク(一橋大准教授)
「朝日新聞」2012-9-12

 領土問題といっても、韓国における「独島」と日本における「竹島」は問題のレベルが違います。

 韓国には強い自己認識があります。「朝鮮半島は900回以上、侵略を受けた」「だが自分たちからは侵略していない」というものです。史実はともかく、国民的な物語として共有しています。大陸からも海洋からも侵略され、抵抗を繰り返す中で、「自分たちの領土」の意識が強くなりました。韓国のナショナリズムの源泉です。

 現在の私たちが「国家」と呼ぶ存在が領土を画定するのは、近代に入ってからです。でも韓国に関しては、そのはるか前から、近代的な領土意識が育っていたといえます。例えば豊臣秀吉が16世紀末に朝鮮を侵略した際、朝鮮側は正規軍が苦戦するなか、民衆や下層の僧侶たちが義兵として戦った。あの時代に近代ナショナリズム的な行動があったのは驚きです。

 日本のワイドショーは韓国の独島教育や島への思いを「なぜここまで?」と奇異な目で報じていましたね。たしかに韓国人の「領土を守る」という意識は強烈です。でも彼らにすれば、隣国に植民地支配された屈辱の歴史があるので、この意識は強くならざるをえません。その象徴が「独島」であり、ここから日本の韓国支配が始まったとみているのです。

 1904年8月に第1次日韓協約が結ばれ、韓国の政府が機能しない状況で翌年1月、日本は竹島を島根県に編入しました。さらに同年11月、第2次協約が結ばれ韓国は日本の保護国と化しました。
 
■問題意識にずれ

 先月29日、日本の参議院が韓国に抗議決議をしましたが、この日は1910年の韓国併合条約の公布・発効の日です。韓国では「国の恥の日」と呼んでいます。韓国にとっては、「植民地支配の象徴だ」と言っているのになぜ日本が領有にこだわるのか、理解できないでしょう。

 韓国紙が「日本は102年前と変わっていないのでは」と報じたように歴史の逆戻りにも見えるし、「植民地支配を反省していないのか」と疑うかもしれません。韓国にとって「独島」は領土問題ではなく歴史問題と言われるのはこうした意識があるからです。

 一方、私はこうも考えます。日中の尖閣諸島の問題も含め、これは東アジアの海の、本来の姿ではないだろう、と。

 近代西洋で生まれた国際法は、線を引いて排他的な領土や領海を規定します。このゼロサムの論理が帝国主義や戦争の原因にもなりました。でもかつての東アジアの海は、はるかにルーズでした。どこから「こっち」でどこから「あっち」なのか、入り乱れた中で交易があり、文化が花開いた。侵略しないかぎり境界は寛容で、多様性を認めていた。様々な地域の文化が混交した国際色豊かな日本の奈良時代は、その典型です。

 もし現在の対立を好機に変えられるとしたら。はるか先かもしれませんが、国家の枠をもう少し柔
軟に考える、新しい「何か」への契機にできたらと思います。「島を持ったもの勝ち」ではなく、当事国も周辺国も資源を共同開発し成果を分配するような、新たな枠組みを考え、つくっていく。ナショナル(国単位)ではない、リージョナル(地域的)な枠組みです。もともと東アジアの海とはそういうところだったのですから。

■良識劣化の兆し

 韓国にも提案したい。歴史問題は常に、日本という国に突きつけるナショナルな問題でした。ナシ
ョナルな枠組みは重要ですが、その枠組みのみで批判を続けたら、逆に日本のナショナリズムを育ててしまう可能性が高い。韓国が最も恐れる、日本の右傾化や歴史の否定、軍事大国化を生むかもしれません。

 日本も韓国も民主主義国ですが、この夏の喧噪は、双方のデモクラシーと良識が劣化している兆候に見えました。東アジアの将来のためにも、両国の知的な連帯や市民的なネットワークの再構築が望まれます。

 この間題はナショナリズムでは解決できません。しかもナショナリズムを装った排外的原理主義に利用されかねません。日韓ともその危うさを知ってほしい。
(聞き手はいずれも
編集委員・刀祢館正明)

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