2012年7月7日土曜日

昭和17年(1942)7月2日 「しのぶ身と知れど是非なき蚊遣哉」(永井荷風「断腸亭日乗」)

江戸城(皇居)東御苑 2012-07-04
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昭和17年(1942)
7月1日
七月初一。晴。京都陶工中川泰蔵來書。京都にでは陶工の合同組合をつくりしため加入せざるものは制作をなすこと能はざるやうになると云。藤蔭静枝のもとにむかしの手紙を一包にして返送す。
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7月2日
・七月初二。晴。午後熱海の木戸氏小星同伴にて來話。晩間淺草向島散策。雨後夕涼の人おびたゞし。

雨はれて町の人出や夏柳
われ勝に町は浴衣となる夜かな
縁日の遠き火影や皐月川
上汐のあふるゝ岸や夏の月
手拭の浴衣にかこつむかし哉
さもあらばあれ洗ひざらしの古浴衣
裏町や出水かはきて夏の月
店先に雨の出水やところてん
しのぶ身と知れど是非なき蚊遣哉
鬼灯や人のそしりも何のその
人中を家出娘の浴衣かな
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7月3日
七月初三。晴。暑さ猶甚しからず。午後土州橋に至る。脚気注射例の如し。歸途明石町を歩みかちどき橋の欄干に倚りて涼を納む。對岸月嶋の方より女工とおぼしき少女群をなし陸続として歸り來るに會ふ。歩みて芝ロに至り金兵衛に飰す。偶然獨逸大使館通譯梅澤氏に會ふ。靴にすべき皮を貰ふ。談話中燈火管制の令出づ。
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7月4日
七月初四。晴。鴎外先生書簡集 岩波版全集本 を讀む。
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7月5日
・七月初五 日曜日 晴れて暑くなれり。午後谷口氏來り菓子及び食麵麭を贈らる。また過日余の贈りたる書画の禮なりとて金子一封を示さる。辞するも聴かざれは納め置きぬ。


談話中××の近況につきて知る所尠からず。次の如し。××が妻子を棄てゝ情婦と共に同居するに至りし始まりは房州××に住みし時なり。同所に灸點をなして暮しゐたる若き夫婦者あり。夫は生來肺結核にて養生のため東京より房州に來りおのれの病を治するため多年自ら灸を据ゑゐたりしが追々人にも請はるゝがまゝに灸をすゑ遂に半これを業とするやうになりしなり。××夫婦もいつか灸師と心安くなり互に徃徠する中灸師は病俄に重くなりて死去し三十ばかりなる寡婦一人残りたり。此女には少しばかりの財産あり麻布櫻田町邊に家作もあり。××はその事にて相談かけられしを幸ひ忽情を通ずるに至りぬ。××の本妻と娘の中の長女既に十五六になりしもの早くも密通の事を知り一時家内にこたごた起りしかば××は寡婦と手をとり東京に來り本所石原町に間借をなし寡婦の財産にて生活をつゞけゐたり。××の妻はこの有様にあきれ果て娘三人をつれて中山の實家に歸り長女と共に貯金局に雇はれ自活をなし一時××とは全く音信を絶ちゐたりしが其後に至り××を窃に呼出し寡婦の眼をしのびて密會することあり。主客の地位全く顛倒するありさまなり。寡婦は所持金も××の為に日々つかひ果されて今は残り少く前夫より傳染せし病次第に重くなり今は枕も上らず。半年一年とは命つゞくまじく哀なる有様なり。×Xはやがて其死するを待ち遣残りの金をさらひ本妻方へかへるならむ。若しさうなれば怪談の序幕があくわけなり。××の性質淫蕩にて強慾冷酷なること南北劇中の人物に彷彿たりと謂ふぺし。猶又×Xの情婦は東両國にて有名なる×××××屋 ××屋 の養女なりといへば×の崇りもあるなるぺし。云々
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7月6日
七月六日。酷暑俄に來る。深夜腹痛あり。
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7月7日
七月七日。晴。腹痛やまず午後に至り鳩尾に差込み起り苦痛に堪えず。よろめきつゝ谷町通に至るに幸にタキシ來りし故呼留めてこれに乗り土州橋の病院に至る。注射二針に及びしが苦痛去るべき様子もなし。看護婦に扶けられ階上の病室に入りで臥す。終夜呻吟。
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7月8日
七月八日。暁明苦痛初て去る。午後看護婦を偏奇館留守宅に遣り戸締をなさしめ郵便物を持來らしむ。昨來暑気酷烈華氏九十度に達すと云ふ。病院箱崎川に臨み涼風颯々として絶えず。安眠するを得たり。院長の診断によれば一種の胃痙攣なるべし。然らざれは臍石の病なるぺしとて排泄物の検査をなす。
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7月9日
七月九日。晴。病室風通よく病苦全く去り気分平生に復す。再び看護婦を麻布の家に遣る。郵便物中河與一氏の來書を持ち來る。此日朝夕共に流動物を食す。
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7月10日
七月十日。晴。川風吹き入りて西日烈しき病室も暑気甚しからず。夕飯に初めて粥と南瓜の惣菜を食す。看護婦麻布の家に行き洗濯物を持來れり。病院内には入院患者僅に二名のみ。盆前には毎年かくの如しと云ふ。・・・(略)・・・町は再び物音なく川風も吹き絶え寂寞たること寒夜の如き気勢となれり。眠つかれぬがまゝに


ふけ渡る夜や夏ながら犬の聲
水無月の川水ひかる闇夜哉
川風や水打つ町の橋だもと
橋の灯や月なき夜の涼台
爪びきや竹の出窓の螢かご
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7月11日
七月十一日。晴。いよく暑し。午後家にかへり風呂に入る。夕風すゞしくなるを待ち金兵衛に至り夕飯を喫す。雨來らむとして遂に來らず。
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この月の出来事(「黙翁年表」ピックアップ)
7月1日
・日本海軍第13設営隊(岡村徳長少佐)、ガダルカナル島上陸。飛行場建設の為。
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同日
・第17軍司令官(百武晴吉中将)、「リ」号作戦研究下命。
ブナ~ココダ~オーエン・スタンレー山系越えポートモレスビー侵攻路の偵察。
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7月5日
・泰緬鉄道建設始る。
タイ領ノンプラドック駅構内に日本軍鉄道隊が泰緬鉄道起点のゼロキロポストを打ち込む。
昭和17年初、南方軍は、きたるべきビルマ作戦に備え、タイ領ノンプラドック~ビルマ領タンビザヤの約416km(東京~関ヶ原に相当)の鉄道建設計画を立てる。
この地帯は、ジャングルに覆われた険しい山岳と世界的な多雨に加え、マラリヤやコレラなど悪疫で名高い難所で、英国は戦前調査を行うが工期10年とみて放棄した前例もあり、大本営は承認せず。
6月、ビルマ方面の情勢が緊迫化し始め、大本営も泰緬鉄道建設準備命令に踏み切る。
命令は、鉄道連隊2個と現地労務者・連合軍捕虜を動員して昭和18(1943)年末迄に泰緬鉄道を完成すべしというもの。
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7月8日
・物理懇談会、第1回会合を行い、原子爆弾と電波兵器研究を協議
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7月11日
・大本営、ミッドウェー敗戦の結果、南太平洋進攻作戦中止を決定、ニューギニアのポートモレスビーに対する陸路進攻作戦を命令。
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同日
・この日付で堀辰雄から中野重治へ手紙。
宇野千代から匿名で、三好達治-堀辰雄を通じ中野重治に生活費援助の申し出。
重治は、好意を謝し、援助は辞退。
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