国会事故調の報告書が出た。
自民党寄りだとか何とか批判もあるようだし、
個人的には、官邸の過剰介入批判などの個所でウザイと思うところもある。
それでも、さすがに頭のいい方が揃って纏めたものだ。
勉強になるところが多い。
これが大飯再稼動判断の前に出ていたら、
或いは、
報告書の付録にでも再稼動判断(まだ再稼動できる状況にない)に触れていたら、
と思うのはない物ねだりか。
報告書の概要は、事故調HP(ココ)からでもダウンロードできるが、
毎日JP(毎日新聞)が例によってコンパクトに纏めてくれているので、
大変申し訳ないけど、これを(↓)拝借させて戴く。
東日本大震災:福島第1原発事故 国会事故調報告書 要旨(その1)
東日本大震災:福島第1原発事故 国会事故調報告書 要旨(その2止)
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国会の事故調査委員会が5日発表した東京電力福島第1原発事故に関する調査報告書の要旨は次の通り。
◆第1部 事故は防げなかったのか?
◇東電の対応遅れ、保安院も黙認
1 事故直前の地震に対する耐力不足
11年3月11日の東日本大震災発生時の福島第1原発は、強大で長時間の地震動(揺れ)にも耐えられると保証できない状態だった。1〜3号機が設置許可申請された昭和40年代前半は周辺の地震活動は低いと考えられたため、安全機能保持のために確認すべき地震動の最大加速度は265ガル(加速度の単位)で耐震性能は著しく低かった。
経済産業省原子力安全・保安院は06年、指針を改定し全国の事業者に耐震バックチェック(既設原発の安全性評価)の実施を求めた。東京電力は08年3月、福島第1原発5号機の耐震バックチェック中間報告を提出し、耐震設計の基準地震動を600ガルとし、安全性が確保されるとした。保安院はこれを妥当としたが、原子炉建屋のほかに耐震安全性を確認したのはわずか7設備だった。1〜4号機と6号機についても09年に中間報告を提出したが、5号機と同様に耐震安全性を確認した設備が極めて限定的だった。東電はこれ以後、耐震バックチェックをほとんど進めず、最終報告の期限を09年6月から16年1月に延ばしていた。さらに、新指針に適合するためには多数の耐震補強工事が必要であることを把握していたにもかかわらず、1〜3号機については東日本大震災発生時点でもまったく工事を実施していなかった。保安院も東電の対応の遅れを黙認していた。
東電と保安院は、事故後の解析によって、5号機の重要な配管に耐震安全性が確保されていない所があることを確認している。東電は、現地で目視調査をしたところ有意な損傷がなかったとしているが、非破壊検査等の詳細調査はしておらず、地震動による破損がなかったとは結論できない。5号機よりも古い1〜3号機で地震動による損傷がなかったかどうかについては何も言えない。
2 認識していながら対策を怠った津波リスク
06年の段階で福島第1原発の敷地の高さを超える津波が到来した場合に全交流電源喪失に至ること、土木学会の予測を上回る津波が到来した場合に海水ポンプが機能喪失し炉心損傷に至る危険があることは、保安院との間で共有されていた。
改善が進まなかった背景には三つの問題がある。
第一は、保安院が津波想定の見直し指示や審査を非公開で進めており、記録も残しておらず外部には実態が分からなかったこと。
第二は、津波の高さを評価する土木学会の手法は電力業界が深く関与した不透明な手続きで策定され、保安院が精査しなかったこと。
第三は、東電は低い津波発生頻度を根拠として対策を施さないことを正当化しようとする一方、津波の確率論的安全評価が不確実であるという理由で対策を先延ばしにしていたこと。東電の対応の遅れは保安院も認識していたが具体的な指示をしなかった。
3 国際水準を無視したシビアアクシデント対策
日本では、過酷事故(シビアアクシデント)対策は自主対策とされた。そのため高い信頼性が求められず、従来の安全設備が機能できない事故時に必要にもかかわらず、その安全設備よりも先に機能を失う可能性が高いという矛盾を抱えた実効性の乏しい対策となっていた。その検討、整備も海外に比べ大きく遅れた。事業者の自主的な対応であることは、電気事業連合会(電事連)を通じ規制当局に積極的に働きかけを行う余地を生じさせた。折衝方針には最新の知見を既存原発に適用する「バックフィット制度(既設炉にも最新基準への適合を義務付ける制度)」が行われないことなどが挙げられ、確率は低いが壊滅的な事象を引き起こす事故シナリオに対応されなかった。
◆第2部 事故の進展と未解明問題の検証
◇電源喪失原因など調査・検証が必要
1 事故の進展と総合的な検討
東電経営陣は福島第1原発の耐震工事が進まず、津波による溢水(いっすい)対策もされていない状況を把握していたと考えられる。さらに事前の過酷事故対策も限定的だった。
東電新福島変電所などからの送電機能を失い全号機で外部電源喪失となった。全交流電源喪失で仮定していない直流電源も失われた。過酷事故対策に不備があり、マニュアルも事前準備もなく、運転員、作業員に十分な訓練もしていなかった。原子炉の圧力を下げるベント(排気)も図面が不十分だった。東電の組織的な問題と捉えるべきだ。
1、3、4号機で水素爆発が起き、2号機では格納容器の破損が生じたと推測される。5、6号機では炉心損傷が回避されたが、2、3号機ではさらに悪い状況が起こり得た。炉心の状態は把握できず、事故はまだ収束していない。
2 未解明部分の分析・検討
重要な機器・配管類のほとんどが実際に調査、検証できない原子炉格納容器内にあり、多くの重要な点が未解明。しかし、東電は事故の主因を津波とし「安全上重要な機器で地震により損傷を受けたものはほとんど認められない」と中間報告書に明記し、政府も事故報告書に同じ趣旨を記している。国会事故調は以下6点で今後規制当局や東電による調査、検証が必要と認識した。
(1)原子炉緊急停止の約30秒後に激しい揺れが襲い、50秒以上揺れが続いたため、地震動で無事だったとはいえない。基準地震動に対するバックチェックと耐震補強がほとんど終わっていなかった事実を考えると、地震動は安全上重要な設備を損傷させる力を持っていたと判断される。
(2)地震発生直後に大規模な「冷却材喪失事故」が起きていないことは、津波襲来までの原子炉の圧力、水位の変化から明白。しかし、配管の微小な貫通亀裂から冷却材が噴出する小規模事故の場合、原子炉の水位、圧力の変化は、亀裂がない場合とほとんど変わらない。小規模事故でも約10時間放置すると数十トンの冷却材が喪失し、炉心損傷や炉心溶融に至る可能性がある。
(3)事故を決定的に悪化させた非常用交流電源の喪失について、東電と政府事故調の中間報告書、保安院の全てが「津波による浸水が原因」とし、津波第1波は午後3時27分ごろ、第2波は午後3時35分ごろとしている。この時刻は、沖合1・5キロの波高計の記録時刻で、原発への到着時刻ではない。少なくとも1号機の非常用交流電源喪失は、午後3時35分か36分とみられ、津波によるものではない可能性があることが判明した。電源喪失は津波による浸水と断定する前に、基本的な疑問に対する筋の通った説明が必要。
(4)地震発生当時、1号機原子炉建屋4階で作業していた東電の協力企業社員数人が、出水を目撃。国会事故調は地震によって5階の使用済み燃料貯蔵プールの水はあふれていないとほぼ断定した。しかし、現場調査ができないため、出水元は不明。
(5)1号機の非常用復水器は、午後2時52分に自動起動、11分後に復水器を2系統とも手動で停止。東電は一貫して「操作手順書で定める原子炉冷却材温度変化率を順守できないと判断した」と主張。しかし、複数の運転員は「原子炉圧力の降下が速いので冷却材が漏れていないかを確認するため復水器を止めた」と説明した。この説明は合理的で判断は適切だが、東電の説明は合理性を欠く。
(6)1号機の逃がし安全弁(SR弁)は、実際に作動を裏づける記録が存在しない(2、3号機には存在)。2号機は、中央制御室や現場でSR弁の作動音が頻繁に聞こえたが、1号機SR弁の作動音を耳にした者は一人もいないことも分かった。実は1号機SR弁は作動しなかったのではないかとの疑いが生まれる。1号機では地震動による小規模の冷却材喪失事故が起きた可能性がある。
◆第3部 事故対応の問題点
◇過剰介入で混乱、官邸の姿勢理解困難
1 東電の事故対応の問題点
(1)事故時に会長と社長がそろって不在だった
(2)シビアアクシデント対策が機能せず、緊急時のマニュアルも役に立たなかった
(3)緊急時の指示命令系統の混乱
(4)本店側が技術的な援助ができなかった
(5)東電に染みついた特異な経営体質(エネルギー政策や原子力規制に強い影響力を行使しながらも、自らは矢面に立たず、役所に責任を転嫁する黒幕のような経営体質)が事故対応をゆがめた。
2 政府による事故対応の問題点
政府の事故対応体制は、本来の機能を果たすことができなかった。地震・津波の影響によって、通信・交通などのインフラや、整備してきた災害対策のためのツールが使えなくなったことが影響を及ぼした。原子力災害対策本部(原災本部)事務局では、事故の進展や対応の進捗(しんちょく)に関する情報収集・共有の機能不全に陥った。組織としての助言を提供できなかった安全委員会や、放射能拡散状況の把握に当たってツールやシステムを生かしきれず、モニタリングデータの共有も不完全だった文部科学省に問題があった。
3 官邸が主導した事故対応の問題点
政府は、東電から通報を受けてから、政府の事故対応体制起動の大前提になる原子力緊急事態宣言を出すまでに2時間強を要し、初動から問題点を残した。首相をはじめとする官邸の政治家は、初動対応を担う危機管理センターが地震・津波への対応で手いっぱいと考え、事故への対応を自ら主導して進めていった。官邸は、ベントや海水注入について、東電はじめ関係者が実施を合意し対応しているにもかかわらず、その情報を把握できないまま介入し、混乱を引き起こした。避難指示案の作成を担うべき原子力災害現地対策本部が機能せず、原災本部事務局の対応も遅れる中で、官邸から避難指示が出された。しかし、避難区域の決定の根拠は乏しく、政府内各機関との連携が不足していたなどの問題があり、現場に混乱を生じさせた。
4 官邸及び政府(官僚機構)の事故対応に対する評価
事故対応を主導した官邸政治家は、真の危機管理意識が不足し、官邸が危機において果たすべき役割についての認識も誤っていた。東電の撤退問題は、東電が退避の了解を求めるほど原子炉が予断を許さない深刻な状況であったということでもある。このような状況下では、全員撤退が必要な事態に至る可能性を真剣に検討し、住民避難等の住民の防護対策に政府の総力を結集することこそ官邸の役割だった。東電自身が対処すべき事項に関与し続けながら、東電社長の「撤退は考えておりません」という一言で発電所の事故収束を東電に任せ、他方で統合対策本部を設置してまで介入を続けた官邸の姿勢は理解困難。また、首相の福島第1原発の視察も含めた官邸の直接介入が、指揮命令系統の混乱、現場の混乱を生じさせた。首相の福島第1原発の視察を契機として、東電は保安院への情報伝達だけでなく、官邸への対応も求められることになった。
5 福島県の事故対応の問題点
県の原子力防災体制は、原子力災害と地震・津波災害とは同時発生しないという前提に基づいたものだった。このため初動の対応体制立ち上げに困難を伴った。避難指示を住民に周知するよう努めたが、防災行政無線の回線不足や地震・津波による通信機器の損壊で困難を極めた。
6 政府の情報開示の問題点
記者発表について、速報性より正確性を重視した。住民の安全を守る視点で最悪の事態への進展を想定した情報開示をすることはなかった。
◆第4部 被害状況と被害拡大の要因
◇避難の判断、住民に丸投げ
1 原発事故の被害状況
事故により、ヨウ素換算でチェルノブイリ原発事故の約6分の1に相当する約900ペタベクレル(ペタは1000兆倍)の放射性物質が放出された。福島県内の一部は空間線量が年間5ミリシーベルト以上となる可能性がある地域になった。
福島県の調査で、住民約1万4000人の事故後4カ月間の外部被ばく積算実効線量の推計値は、12年6月のデータで、1ミリシーベルト以上10ミリシーベルト未満が42・3%、10ミリシーベルト以上が0・7%。数値は低いが、住民の不安は根強い。政府はきめ細かな調査を徹底して継続すべきだ。
2 住民から見た避難指示の問題点
事故翌日までに避難指示は繰り返し拡大され、住民は不安を抱えたまま長時間移動した。20キロ圏内の病院などでは避難手段や避難先の確保に時間がかかり、3月末までに少なくとも60人が亡くなった。
3月15日には20〜30キロ圏の住民に屋内退避が指示されたが、長期化でライフラインが逼迫(ひっぱく)し、生活基盤が崩壊した。3月25日には、同圏の住民に自主避難が勧告された。
政府は住民に判断材料となる情報をほとんど提供していない中、避難の判断を住民個人に丸投げしたともいえ、国民の生命、身体の安全を預かる責任を放棄したと断じざるをえない。
3 政府の原子力災害対策の不備
保安院は、防護措置を国際基準並みに引き上げると、住民の不安を募らせ、原発の(燃料の再利用に関する)プルサーマル計画推進に影響が出ることも懸念。原子力安全委員会は住民の防護に役立つという説明が十分できぬまま、国際基準の導入は見送られた。
07年の新潟県中越沖地震で、複合災害を想定した対策の必要性が唱えられた。しかし、国の関係機関や一部立地自治体は、対策費負担の大きさなどから反発し、保安院は打開策を見いだせなかった。
住民の防護対策のため、政府は緊急時対策支援システム(ERSS)、SPEEDIを整備してきたが、事故前に予測システムの計算結果に依存して避難指示を行うという枠組みの見直しまでに至らなかった。
ERSSから長時間、放出源情報が得られず、保安院や文部科学省などの関係機関は、計算結果は活用できないと考え、初動の避難指示に役立てられなかった。緊急被ばく医療体制も、広域にわたる放射性物質の放出や多数の住民の被ばくを想定して策定されていなかった。
4 放射線による健康被害の現状と今後
放射性ヨウ素の初期被ばくを防ぐヨウ素剤の投与で、原災本部や福島県知事は住民に服用指示を適切な時間内に出すことに失敗した。
住民の被ばく量を減らすためには、汚染された食品の摂取を制限し、継続的な内部被ばく線量を計測することが必要。しかし政府や福島県は依然としてほぼ無策のままである。
東電は、シビアアクシデント時の作業員の安全対策について事前に想定していなかった上、被ばく線量管理が集団で行われる例もあるなど、対応が不十分な点もあった。チェルノブイリ原発事故後も社会問題となったメンタルヘルスへの対策を早急に打つべきだ。
5 環境汚染と長期化する除染問題
流出した放射性物質は、将来にわたって存在し続ける。政府は長期的視野で環境汚染への対応に迅速に取り掛かる必要がある。
除染の課題の一つが汚染土壌の仮置き場の確保。政府・自治体は実施計画策定や仮置き場の選定などのプロセスで住民とのコミュニケーションに努め、住民の判断の材料となる情報を提供した上で、ニーズに対応した施策を実施することが望まれる。
◆第5部 事故当事者の組織的問題
◇東電の危機管理、根本的な欠陥
1 事故原因の生まれた背景
今回の事故原因は、何度も地震・津波のリスクに警鐘が鳴らされ、対応する機会があったにもかかわらず、東電が対策をおろそかにしてきた点にある。東電は実際に発生した事象については対策を検討するものの、その他の事象については、たとえ警鐘が鳴らされたとしても、発生可能性の科学的根拠を口実として対策を先送りしてきた。リスクマネジメントの考え方に根本的な欠陥があった。
こうした東電の姿勢を許してきた規制当局の責任も重い。規制当局はその力量不足から、電気事業連合会(電事連)を通じた電力業界の抵抗を抑えきれず、指導や監督をおろそかにしてきた。電事連側の提案する規制モデルを丸のみにし、訴訟リスクを軽減する方向で東電と共闘する姿勢は、規制当局としての体をなしておらず、行政側に看過できない不作為があったものと評せざるを得ない。
東電および保安院は勉強会などを通じて、土木学会評価を上回る津波が到来した場合に海水ポンプが機能喪失し炉心損傷に至る危険性があること、敷地の高さを超える津波が到来した場合には全電源喪失に至ること、敷地の高さを超える津波が到来する可能性が十分低いとする根拠がないことを認識していた。東電および保安院にとって事故は決して「想定外」とはいえず、対策の不備について責任を免れることはできない。
2 東電・電事連の「虜(とりこ)」となった規制当局
電気事業者は安全規制強化につながる動きをかたくなに拒み続けてきた。結果、事故リスク低減に必要な規制の導入が進まず、原子力施設の安全対策の考え方である5層の深層防護の思想を満たさない点で世界標準から後れを取った。
規制側と事業者側は、過去の規制と既設炉の安全性が否定され、訴訟などによって既設炉が止まるリスクを避けるため、「原発は安全が元々確保されている」との大前提を堅持し、既設炉の安全性を否定するような意見が回避、緩和、先送りできるように学界及び規制当局などへの働きかけを行ってきた。
電気事業者と規制当局との関係は、必要な独立性や透明性が確保されることなく、まさに「虜」の構造といえる状態で、安全文化とは相いれない。
3 東電の組織的問題
東電はエネルギー政策や原子力規制に強い影響力を行使しながらも、自らは矢面に立たず、役所に責任を転嫁する黒幕のような経営を続けてきた。そのため、東電のガバナンスは自律性と責任感が希薄で官僚的であった。その一方で原子力技術に関する情報格差を武器に、電事連等を介して規制を骨抜きにする試みを続けてきた。
原子力部門の経営が厳しくなる中でコストカットや原発利用率の向上が重要な経営課題として認識されていた。安全確保との間で衝突が生じ、安全を最優先とする姿勢に問題が生じていたと考えられる。配管などの図の不備が長年放置されてきたことはその象徴で、今回の事故処理でベントの遅れを招いた原因の一つとなった。
事故後の情報公開は必ずしも十分だったとは言えず、結果として被害拡大の遠因になったと考えられる。
4 規制当局の組織的問題
規制当局には国民の健康と安全を最優先に考え、安全に対する監督・統治を確固たるものにする組織的な風土も文化も欠落していた。
(1)国民の安全を前提に規制する仕組みを再構築する
(2)規制組織立ち上げに当たっては高い独立性・透明化を進める
(3)国際基準に沿い規制体制を向上させていく「開かれた体制」に切り替える
(4)緊急時の迅速な情報共有や意思決定に向け効果的な一元化を図る−−ことなどが必要だ。
◆第6部 法整備の必要性
◇外国の事故例、真摯に受け止めず
1 原子力法規制の抜本的見直しの必要性
日本の原子力法規制の改定は、発生した事故のみを踏まえ対症療法的対応が重ねられてきた。諸外国の事故や安全への取り組みを真摯(しんし)に受け止め見直す姿勢にも欠けた。
まず規制当局に対し、法律上、内外の事故に基づく教訓と最新の技術的知見を反映する法体系を迅速に整備し、継続的に実行する義務を課し、履行を監視する仕組みを構築する必要がある。
改定された新ルールを既設の原子炉に遡及(そきゅう)適用(バックフィット)することを原則とし、廃炉と、次善の策が許される場合との線引きを明確にすることが必要だ。
諸外国で取り入れられている考えを反映すべく、法規制全体を通じ、施設の安全確保の第一義的責任は事業者にあると明確化すべきだ。原災法上、事故対応で事業者とそれ以外の当事者の役割分担を明確にすることも重要。安全確保のために深層防護が十分確保されることが望ましい。
法規制は、国民の生命、身体の安全を第一とする一元的な法体系に再構築することが必要だ。原災法は複合災害を想定し、災害対策基本法から独立した一群の法規制に再構築する必要がある。
◆結論
◇地震や津波に耐える保証なく
<根源的原因>
福島第1原発は、地震にも津波にも耐えられる保証がない、脆弱(ぜいじゃく)な状態だったと推定される。事業者が、規制当局を骨抜きにすることに成功する中で、「原発は安全が確保されている」という大前提が共有され、既設炉の安全性、過去の規制の正当性を否定するような規制、指針の施行が回避、緩和、先送りされるように落としどころを探り合っていた。歴代の規制当局は電力事業者の「虜(とりこ)」となった。その結果、原子力安全についての監視・監督機能が崩壊した。「自然災害」ではなく明らかに「人災」だ。
<直接的原因>
国会事故調の調査では、地震リスクと同様に津波のリスクも東電及び規制当局関係者によって事前に認識されていたことが検証されており、(原因は想定外の津波との)言い訳の余地はない。
<運転上の問題の評価>
過酷事故に対する十分な準備、レベルの高い知識と訓練、機材の点検がなされ、緊急性について運転員・作業員に対する時間的要件の具体的な指示ができる準備があれば、より効果的な事後対応ができた可能性は否定できない。すなわち、東電の組織的な問題だ。
<緊急時対応の問題>
1号機のベントについて、官邸はいつまでも実施されないことから東電に疑念、不信を持った。官邸による発電所の現場への直接的な介入は、現場対応の重要な時間を無駄にするだけでなく、指揮命令系統の混乱を拡大する結果となった。東電の「全面撤退問題」の根源には、東電の清水正孝社長(当時)が官邸の意向を探るかのようなあいまいな連絡に終始した点があったと考えられる。
ただし、(1)発電所現場は全面退避を一切考えていなかった(2)東電本店でも退避基準の検討は進められていたが、全面退避が決定された形跡はない−−などから、首相によって東電の全員撤退が阻止されたと理解することはできない。被害を最小化できなかった最大の原因は「官邸及び規制当局を含めた危機管理体制が機能しなかったこと」などにある。
<問題解決に向けて>
関係者に共通していたのは、およそ原子力を扱う者に許されない無知と慢心で、世界の潮流を無視し、国民の安全を最優先とせず、組織の利益を最優先とする組織依存のマインドセット(思い込み、常識)だった。
<事業者>
東電のガバナンスは、自律性と責任感が希薄で、官僚的であったが、その一方で原子力技術に関する情報の格差を武器に、電気事業連合会などを介して規制を骨抜きにする試みを続けてきた。東電は、官邸の過剰介入や全面撤退との誤解を責めることが許される立場にはなく、むしろ混乱を招いた張本人であった。
<規制当局>
事業者の「虜」となり、規制の先送りや事業者の自主対応を許すことで事業者の利益を図り、同時に自らは直接的責任を回避してきた。推進官庁、事業者からの独立性は形骸化し、その能力、専門性、安全への徹底的なこだわりという点でも、国民の安全を守るには程遠いレベルだった。
<法規制>
法規制は対症療法的、パッチワーク的対応が重ねられ、諸外国における事故などを真摯(しんし)に受け止めて法規制を見直す姿勢にも欠けていた。法規制は、世界の最新の技術的知見などを反映し、この反映を担保するための仕組みを構築すべきだ。
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■ことば
◇SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測システム)
事故時に原発から伝送される放射性物質の放出量や気象条件、地形などのデータを基に、放射性物質の拡散範囲や量、大気中の濃度などを予測するシステム。文部科学省所管の原子力安全技術センターが運用し、予測結果は経済産業省原子力安全・保安院や原発立地県などに送信される。79年の米スリーマイル島原発事故をきっかけに開発が始まり、これまで約124億円が投じられた。
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報告書は国会事故調査委員会のホームページ(www.naiic.jp)で閲覧できる
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国会事故調、地震による損傷の可能性を指摘 津波だけに限定すべきではないと指摘
国会事故調報告書 3月11日 事故を知らされなかった東電下請け従業員や周辺住民
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