鎌倉 北鎌倉古民家ミュージアム 2012-04-28
*ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(3)
「第13章 拱手傍観 - アジア略奪と「第二のベルリンの壁崩壊」」(その二)
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ようやく行動を起すIMF
「危機が悪化する数カ月の間はなんの行動も起こさなかったIMFはようやく腰を上げ、このチャンスを逃してはなるまいと、危機にあえぐアジア各国政府に交渉を持ちかける。
このとき交渉に応じなかったのは比較的債務の少ないマレーシア一国だけだった。
・・・、その他の疲弊したアジア諸岡は喉から手が出るほど欲しい外貨を獲得するため、IMFが持ちかけた数百億ドルの融資話に飛びついた。タイ、フィリピン、インドネシア、韓国の各政府代表者が交渉の席についた。」
交渉を担当したIMFのスタンレー・フィッシャー
「援助を請うようこちらが強要することはできない。向こうからの要請があって話が始まる。しかし、困窮している国にとって頼める先はそれほど多くない」と話す。
「何カ国かは、危機を引き起こした原因はあまりに急激な資本の流出入にあるのだから、それを緩和するためになんらかの手段 - IMF側にとっては聞くもおぞましい「資本移動規制」 - を講じるべきではないかと提案した。」
「フィッシャー以下IMFのアジア担当チームは、その提案を即座に一蹴した。
IMFは危機発生の原因にはなんら目を向けることなく、捕虜の弱みを見つけようとする尋問官さながら、この危機をいかにうまく利用できるかだけに関心を寄せていた。」
IMFはアメリカ財務省の手先
アジア経済再建の「第一段階は「「アジアの奇跡」がもたらされたおもな要因である貿易と投資に対する保護主義、および国家の積極的な介入」をすべて取り払うことだった」(フィリピンの政治学者ウォールデン・ペロー)。
「アジア諸国では記録的な数の自殺者が出ていたにもかかわらず、IMFは公共部門の労働者の大量解雇につながる予算の大幅削減を要求した。
韓国とインドネシアにおける危機は過剰な政府支出とは無関係だとIMFが結論を出したあと、フィッシャーはその事実を追認した。」
「『ニューヨーク・タイムズ』紙はIMFのこうした振る舞いを、「外科医が心臓手術の真っ最中に、肺や腎臓もちょっといじってみようとする」ようなものだと書いた。」
「IMFがアメリカ財務省の手先だとはよく言われることだが、このときの交渉ほどそれが明らかになったことはない。
最終段階においてアメリカ企業の利益が確保されるのを見届けるため、財務省国際問題担当次官のデイヴィッド・リブトン(ポーランドのショック療法の際にはサックスとタグを組んだ人物)は韓国へ飛び、IMFと韓国政府との交渉が行なわれていたソウルのヒルトンホテルに投宿した。
『ワシントン・ポスト』紙のポール・ブルースタイン記者によれば、リブトンの登場は「アメリカがIMFの政策ににらみをきかせているという明日な示威行動」だったという。」
第二のベルリンの壁が崩壊
「こうして「アジアの虎」諸国から古いやり方や慣習を一掃したあと、シカゴ方式による国家の再生が図られる。
基幹サービス事業の民営化、中央銀行の独立化、労働市場の”柔軟化”、社会支出の削減、そしてもちろん完全な自由貿易の実現である。
IMFとの新たな合意によって、
タイでは外国人による銀行の株式保有率の制限が引き上げられ、
インドネシアでは食料補助金がカットされ、
韓国では大量解雇を禁止する労働者法が撤廃されることになった。
さらにIMFは韓国に容赦ない解雇の要求を突きつけた。
融資を受ける条件として銀行業界に五〇%の人員削減を求めたのだ(のちに三〇%に緩和)。
これらの要請は、アジア企業を買収するにあたって徹底的なスリム化を断行したい欧米の多くの多国籍企業にとって不可欠だった。
ピニェーラの言う「ベルリンの壁」が今まさに崩れ始めていた。」
韓国
「当時は韓国の労働組合がもっとも戦闘化していた時期で、雇用の安定を脅かす新労働法案が提出されるや、韓国史上もっとも大規模かつ過激なストライキが決行された。ところが経済危機のおかげで様相は一変する。経済崩壊のあまりのすさまじさに、政府は暫定的な独裁支配体制を敷くことになるが(同じようなことはボリビアからロシアに至るまで世界各地で起きた)、それもIMFが介入するまでのことだった。」
タイ
「一連のショック療法は通常のような議論もなく、四件の緊急命令という形で国会を通過した。
「われわれは自治権も、マクロ経済政策の決定権も失ってしまった。じつに不運なことだ」とスパチャイ・パニッチバクディ副首相は嘆いた(このときの協力的態度への見返りとして、パニッチバクディはのちにWTOの理事に指名される)。
IMFの民主主義破壊工作は韓国ではもっとあからさまだった。
交渉が終盤にさしかかった時期、折しも韓国では大統領選が行なわれようとしており、主要候補者のうち二人はIMF路線反対を掲げていた。IMFはここで主権国家の政治プロセスに干渉するというとんでもない手段に出る。
当選した暁にはIMFの条件に従うという確約を主要候補者四人から得られない限り、融資は行なわないとしたのだ。国を事実上の人質に取ったIMFが勝利を手にし、候補者たちは書面でIMFを支持することを誓った。
経済問題を民主主義の手の及ばないところに保護するというシカゴ学派の至上命題が、これほどまで露骨な形で現れたことはいまだかつてない。
選挙は実施していいが、それによって経済の管理運営をどうこうすることはできない-韓国国民はそう言われたも同然だった
(韓国では交渉が成立した日は即座に「国民的屈辱の日」と名づけられた)。」
インドネシア
「危機がもっとも深刻だった国のひとつ、インドネシアでは、こうした民主主義の封じ込め工作すら無用だった。」
「数カ月の間、スハルトはIMFの要求に抵抗し、大幅削減をはねつけた予算案に固執した。これに対し、IMF側は制裁措置を強化することで対抗した。
・・・、あるIMF高官は『ワシントン・ポスト』紙の取材に応じ、「インドネシア政府上層部がこのプログラム、なかでも要となる改革措置に本気で取り組む気があるのか、市場は懐疑的だ」と語った。記事はさらに、IMFはインドネシアに約束した数十億ドルの融資を保留するだろうと予測した。
この記事が出るやインドネシアの通貨は暴落し、たった一日で二五%も価値を下げた。」
「手痛いパンチを受け、スハルトもついに白旗を揚げた。・・・当然ながらIMFの要求はほぼすべて通った - 合計一四〇件の「調整」である。」
公開のとき
IMFは火事を消すどころか、劇場の中で「火事だ!」と叫んで人々をパニックに陥れた
「一年足らずのうちにタイ、インドネシア、韓国、フィリピン各国の経済を大改造するに等しい交渉をまとめ上げたIMFは、改造劇につきものの決定的瞬間を迎えようとしていた。・・・。
当初のシナリオとしては、・・・、前年にアジアから逃げた短期資金がどっと戻ってきて、今や有望となったアジア諸国の株や証券や通貨を買い占めるはずだった。
ところがその筋書きとは裏腹に、市場はパニックに陥った。
市場はこう理解したのである - アジア諸国を根底から改造しないといけないほど絶望的だとIMFが考えたということは、アジアの状況は皆が考えていたよりはるかに悪いにちがいない、と。」
「資金が戻ってくるどころの話ではなかった。・・・トレーダーたちは資金をさらに引き揚げ、アジア通貨にアタックをかけた。韓国は一日で一〇億ドルを失い、国債の格付けはジャンクボンドのレベルにまで下がった。IMFの「援助」は役に立つどころか、経済危機を大惨事へと変えてしまったのである。
今や国際金融機関を公然と批判する側に立ったジェフリー・サックスの言を借りれば、「IMFは火事を消すどころか、劇場の中で「火事だ!」と叫んで人々をパニックに陥れた」のだ。」
「IMFのご都合主義がアジアにもたらした人的損害も、ロシアに劣らぬほどの規模に達した。
国際労働機関(ILO)の調べによれば、この時期に失業した者は二四〇〇万人という驚異的な数に及び、インドネシアの失業率は四%から一二%へと跳ね上がった。
「改革」がピークに達していた時期のタイでは一日に二〇〇〇人、一カ月で六万人が失業した。
韓国では毎月三〇万人もの労働者が解雇されたが、これもIMF主導によるまったく無意味な政府予算削減と金利引き上げの結果だった。
一九九九年、韓国とインドネシアの失業率は二年前と比べて三倍に急上昇した。
七〇年代のラテンアメリカ諸国と同じく、このときにアジアから消滅したのがアジアの「奇跡」のもっとも輝かしい部分、つまり各国で著しい伸びを見せていた中産階級だった。一九九六年には韓国の国民の六三・七%を占めていた中産階級は、一九九九年には三八・四%へと激減した。
世銀の調べによると、この時期に貧困化したアジア人は二〇〇〇万人に上る。
ロドルフォ・ウォルシュ言うところの「計画された苦難」である。」
「こうした数字の裏には、人々の悲痛な犠牲や苦渋の決断の物語が隠れている。いつものことながら、経済危機の最大の被害者は女性と子どもだった。
フィリピンや韓国の貧しい農家は娘を人身売買業者に売り渡し、少女たちはオーストラリアやヨーロッパや北米の売春市場へと送られた。
タイの公衆衛生当局は一年間に児童買春が二〇%増加したと発表したが、それはIMFの改革が始まってからの一年である。
児童買春に関してはフィリピンでも同様の状況だった。
「経済ブームの恩恵を受けたのは金持ちなのに、危機のツケを払うのは私たち貧民だ」とタイ北東部で地域のリーダーを務めるクン・ブンジャンは訴える。夫が工場から解雇されたため、彼女の子どもたちは道路清掃の仕事に出ているという。
「これまでも教育や医療は不十分だったけれど、今ではそれさえもなくなりつつあるんです」」
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(その三)に続く
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