2012年7月1日日曜日
高橋源一郎「論壇時評」(「朝日新聞」6月28日) 「つながる未来 一から創り出すということ」
ついつい毎月転載するようになってしまった。
ちょっと遅れてるけど。
今月は、
「つながる未来 一から創り出すということ」
冒頭、高橋氏のご両親が亡くなられたことに関する記述。
これは省略させて戴く。
(今年初め、母を亡くした)
①國森康弘『いのちつぐ「みとりびと」』
『いのちつぐ「みとりびと」』は、國森康弘さんの写真集。
國森さんは、滋賀県の小さな集落の人びとの暮らしを追いかけてきた。
いや「暮らし」ではなく、どんな風に、亡くなっていくかを追いかけた。
その小さな共同体では、老いた人・死に近い人のケアに全力が注がれる。
「死」が大切なもの、愛(いと)しいものとされていた。
小学校5年の女の子の大好きな「おおばあちゃん」が亡くなる。女の子の瞳から涙がこぼれる。けれども、最後に女の子は、「おおばあちゃん」にキスをしてお別れする。
強い印象を与えるのは、死者に寄り添うその家族たちの、明るい笑いだ。「生ききった家族」を見送る視線の明るさだ。
この写真集には、たくさんの「遺体」が写っている。
でも、暗くも怖くもない。見ていると、心が穏やかになり、優しい気持ちが溢れてくるのがわかる。
うらやましいと思う。そんな場所に住みたい、そんな家族の一員でありたいと思っている自分を発見して、ぼくは驚く。
多くの人たちは、最後は病院で死ぬものだと思っている。
「死」は家から隔離されるものだと思いこんでいる。
そして、そんな生き方を、ほんの少し、淋しいとも感じているのである。
②吉田徹「いかに共同性を創造するか」(世界7月号)
吉田徹は「いかに共同性を創造するか」の中で、いわゆるポピュリズムについて分析を行っている。
世界中で、ポピュリズムといわれる政治勢力が跋扈している。彼らは、人びとの不満を煽り、時には、厳しい宗教的な倫理を訴える。
吉田によれば、それは「保革政党の差異性までもが消失してしまったため、人々の政治的情念がより原理主義的な方向に向かうようになった」からだ。
誰もが、ことばにならない不満を感じている。
けれども、既成の政治家たちは、それを代弁する術を知らない。
人びとは自分が無視されていると感じる。自分は「代表されていない」と感じる。
だから、ポピュリズムは彼らに、「あなたの声を代弁してあげよう」と訴えるのである。
しかし、それは間違いなのだろうか。
吉田は、そのこと自体は間違いではない、と考える。
「ポピュリズムの最も根源的な定義」が「人々の創造」(自分が何者なのかわからない人々に、たとえば、「あなたはマイノリティ」だと告げ知らせること)であるなら、いま必要なのは、それを批判することよりも、新しい共同性を創造すること、新しい意味を持った「人々」を創り出すことなのではないかと。
③石田雄・池田香代子・松本哉「『有象無象』が一番強い」(世界7月号)
しかし、そんなことが可能なのか。
「『有象無象』が一番強い」という座談会の出席者の一人は、それは可能だというのである。
「一九七四年生まれの三七歳」松本哉は、東京・高円寺でリサイクルショップ「素人の乱」を営む。
彼(ら)を有名にしたのは、さまざまなデモだ。とりわけ、3・11後、大規模な脱原発デモを組織したことだ。では、どのようにして、松本たちは、それをなしとげたのか。
外部からやって来た連中が勝手に騒いでいる、というよくある批判に対して、松本は、こういうのである。
「実は店や地域のつながりで集まってきた人もたくさんいます。ネットだけではなく、直接の人間関係が非常に大きな力を発揮したように思います」
そして、松本は、その一つとして「一人で住んでいる高齢の方に配達や買取に行くと、お茶やご飯を出しでくれてなかなか帰れないこともありますね」と例をあげるのだ。
目の前に、忘れられた人がいる。もしかしたら、「家族」からも忘れられた人なのかもしれない。そんな人たちの「家族」に、松本はなるのである。
彼らの声を「代弁」し、受け止めるのは、いわゆるポピュリズムの政治家なのか、松本たちなのか。
いま、その戦いが始まっている。
④稲葉奈々子「『放射性肉』と呼ばれる人びとのたたかい」(寄せ場・第25号)
稲葉奈々子は「『放射性肉』と呼ばれる人びとのたたかい」で、フランスの原発下請け労働者をとりあげる。
社会的立場の微妙さから日本で「原発ジプシー」と呼ばれるように、フランスでは彼らは「原発ノマド(遊牧民)と呼ばれる。
危険におびえながら、全国を渡り歩くために「家族と生活する権利」さえ剥奪された彼らは、やっと「自分の声」をあげることを選択する。
「『すべての原発下請け労働者の健康のための市民団体』が、フェカン市で二〇〇八年に設立されるまで、原発下請け労働者みずからによる、権利擁護の運動は存在しなかったのである。
⑤想田和弘「言葉が『支配』するもの」(世界7月号)
彼らは「労働運動」であることを求めない。
それは、想田和弘が、「言葉が『支配』するもの」の中で言っているように、「労働運動」という言葉もまた「リアリティを失い、賞味期限が切れてしまっ」ているからなのかもしれな
い。
なにもかも一から創り出すしかないのだ。言葉も「家族」も政治も。そこにしか、未来はないのである。
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■論壇委員が選ぶ今月の3点
小熊英二=思想・歴史
・ハン・ジへ、キム・ヨンギョン「痛ければ『痛い』と声をあげろ!」(インパクション185号)
・兵頭圭児「希望バスに乗りに行く」(同上)
・飯田哲也「破綻した原発再稼働の論理」(世界7月号)
酒井啓子=外交
・青山弘之「挫折の縁に立つ『シリア革命二〇一一』」(世界7月号)
・川上泰徳「エジプト大統領選挙 ムスリム同胞団の勝利宣言を読む」(Asahi中東マガジン=インターネット)
・ダニエル・クレードマン「オバマが変えた対テロ戦争」(ニューズウィーク日本版6月13日号)
菅原琢=政治
・島澤諭「広がる生活保護バッシング 河本準一は悪者なおか」(ウェッジ・インフィニティ=インターネット)
・福元健太郎・堀内勇作「ねじれ国会だから決まらない、のウソ」(日経ビジネス・オンライン=インターネット)
・大竹文雄・江口允崇「財政破綻と世代間格差を知るための8つの論点」(中央公論7月号)
清野智史=メディア
・吉田徹「いかに共同性を創造するか」(世界7月号)
・石田雄・池田香代子・松本哉「『有象無象』が一番強い」(同上)
・駒崎弘樹・田原総一朗「『いい仕組み』を行政にバクらせる」(Voice7月号)
平川秀幸=科学
・澤田哲生・小出裕幸「初の大激突!『原発・放射能』大バトル」(WiLL7月号)
・古市憲寿「ネクタイは電力と共に」(新潮45・7月号)
・「水俣学」(北海道新聞コラム「卓上四季」6月13日、ネット掲載あり)
森達也=社会
・想田和弘「言葉が『支配』するもの」(世界7月号)
・勝田友巳「世間の不寛容への異議申し立て」(キネマ旬報7月上旬号)
・「問われる表現の自由~ニコンサロン写真展中止事件」(Fotgazet通信=インターネット)
※敬称略、委員50音順"
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■担当記者が選ぶ注目の論点
「政治・いのち・・・先入観揺さぶる」
人々の先入観を揺るがせるような論考・提言が目に付いた。
松谷満「誰が橋下を支持しているのか」(世界7月号)は、大阪ダブル選挙後の意識調査をもとに有権者のありようを分析。「弱者がポピュリズムを支えているのだ」という仮説は根拠が弱く、橋下支持の中心はむしろ「ミドルクラス」だと訴えた。有権者の多数派の意識を「そのまま肯定」する主張をしているから橋下市長は受容されている、との指摘も考えさせる。
福元健太郎・堀内勇作「ねじれ国会だから決まらない、のウソ」(日経ビジネス・オンライン)は、政治の機能不全の元凶ともされる日本の「二院制」を歴史的・制度的に再考。〝なぜ人はねじれ国会を異常視してしまうのか″を解説していくことで、民主主義の意味を改めて見つめ直す。
長岡紘司/川口有美子解題「生きよ。生きよ。」(現代思想6月号)は、難病(ALS)患者として28年間、機械と他者の手助けで生命を維持してきた長岡の「遺言」を紹介・考察した。身体機能が損なわれても「自分という心」は侵されなかったという彼が最後に放った「生きなさい」というメッセージを、人々はどう読むか。
ダニエル・クレードマン「オバマが変えた対テロ戦争」(ニューズウィーク日本版6月13日号)は、「平和」志向を打ち出したい大統領が「テロ」への攻撃をどう選択してきたかをたどり、現代の戦争を考えさせる。
ハン・ジへほか「痛ければ『痛い』と声をあげろ」(インバクション185号)は、若者の「非正規職」化が進む韓国で生まれた「青年ユニオン」の奮闘を伝えるインタビュー。アルバイト青年がピザを30分以内に宅配するよう迫られるような働き方は正当か、と問うユニオンの若者たちの運動が世
論を変えていくくだりは示唆的だ。
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