2016年1月25日月曜日

四海波静   (茨木のり子)

皇居東御苑 2016-01-19
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四海波静       茨木のり子


戦争責任を問われて
その人は言った
  そういう言葉のアヤについて
  文学方面はあまり研究していないので
  お答えできかねます
思わず笑いが込みあげて
どす黒い笑い吐血のように
噴きあげては 止り また噴きあげる

三歳の童子だって笑い出すだろう
文学研究果さねば あばばばばとも言えないとしたら
四つの島
笑(えら)ぎに笑(えら)ぎて どよもすか
三十年に一つのとてつもないブラック・ユーモア

野ざらしのどくろさえ
カタカタカタと笑ったのに
笑殺どころか
頼朝級の野次ひとつ飛ばず
どこへ行ったか散じたか落首狂歌のスピリット
四海波静かにて
黙々の薄気味わるい群衆と
後白河以来の帝王学
無音のままに貼りついて
ことしも耳すます除夜の鐘


     「ユリイカ」1975年11月号
     (第五)詩集『自分の感受性くらい』(1977 花神社)


 昭和天皇在位半世紀の1975(昭和50)年10月、初めての(そして唯一の)公式の記者会見が皇居であった。
 日本記者クラブ理事長の代表質問は、前月の訪米の印象などのについて。
 続いて、ロンドン・タイムズの中村浩二記者が関連質問をし、天皇は以下のように回答した。

 「天皇陛下はホワイトハウスで、「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」というご発言がありましたが、このことは戦争に対して責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。また、陛下はいわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますかおうかがいいたします。

天皇 そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えが出来かねます」(朝日新聞1975-11-01)

 茨木のり子のこの詩には、この天皇発言への憤りが噴出している。

 ご本人は、動機について

 《野暮は承知で「四海波静」という詩を書かずにはいられなかった》(「いちど視たもの」/共著『女性と天皇制』収録、思想の科学、1979年)

 と述べている。


「倚(よ)りかからず」 (茨木のり子 詩集『倚りかからず』より) : もはや できあいの思想には倚りかかりたくない ・・・ じぶんの耳目 じぶんの二本足のみで立っていて なに不都合のことやある

「自分の感受性くらい」 (茨木のり子 詩集『自分の感受性くらい』) ; 自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ

汲む - Y・Yに -  (茨木のり子)

ある一行     (茨木のり子)

波の音   (茨木のり子)

麦藁帽子に (茨木のり子)

いちど視たもの - 一九五五年八月十五日のために -  (茨木のり子)

通らなければ  (茨木のり子)

初秋    (茨木のり子)

ぎらりと光るダイヤのような日  (茨木のり子)

別れる練習をしながら (趙炳華) 茨木のり子『韓国現代詩選』より






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