2011年9月6日火曜日

昭和16年(1941)9月6日 「米國と砲火を交へたとへ桑港や巴奈馬あたりを占領して見たりとて長き歳月の間には何の得るところもあらざるべし。」(永井荷風「断腸亭日乗」) 

昭和16年(1941)9月5日
・九月初五。南風吹きてむしあつし。
玉の井廣小路に鑵詰問屋あり。市中にはなき野菜の鑵詰など此店に有り。小豆黒豆の壜詰もあり。其向側の薬屋には蜂蜜有り。北海道より直接に取寄せる由店の者のはなしなり。
此日淺草にて夕飯を喫し鑵詰買ひに行きぬ。路傍に人だかりして巡査の白服も見えたれば何事かと立寄りて見るに、喧嘩にはあらず。
背廣の安洋服着たる役人數名屋臺店の飲食物を取調るなり。
役人の相貌の下賤にて其目付の険悪なること淺草公園に出没する無頼漢の比にあらず

此の如き人物の市中を徘徊して貧民の営業を妨害するは真に痛嘆すべきことなり

歸途オペラ館に立寄るに偶然菅原永井の二子に會ふ。
活動寫真統制の災に遇ひ失業するもの数千人に上るべしと云
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9月6日
九月初六。南風歇まず秋暑甚し。土用中花開かざりし夾竹桃昨今に至り花満開となれり。
街頭の流言に過般内閣総辞職の事ありし其原因は松岡外相の魯国于役(うえき)の際随行せしものゝ中に間諜ありしがためなりと云ふ。

○無題録
今日我國の状態は別に憂慮するに及ばず。唯生活するに甚だ不便になりたるのみなり。

今日わが國に於て革命の成功せしは定業なき暴漢と栄達の道無かりし不平軍人と、この二種の人間が羨望妬視の極舊政党と財閥、即明治大正の世の成功者を追退け之に代りて国家をわがものにせしなり。

曾ては家賃を踏倒し飲酒空論に耽り居たる暴漢と、朋黨相倚り利権獲得にて富をつくりり成金との争闘に、前者勝ちを占めしなり。
今日のところにては未日淺きを以て勝利者の欠點顕著ならざれども遠からずして志士軍人等それ等勝利者の陋劣なること、舊政党の成金と毫も異るところなきに至るは火を見るよりも明となるべし。
幕末西藩の志士の一たび成功して明治の権臣となり忽堕落せしが如き前例もあることなり。

こゝに喧嘩の側杖を受けて迷惑するは良民のみなり。火事に類焼せしと同じく不時の災難にてこれのみは如何ともする道なく、唯不運とあきらめるより外は無し。手堅き商人は悉く生計の道を失い威嚇を業とする不良民愛國の志土となりて世に横行す。

されど暴論暴行も或程度に止め置くこと必要なり。牛飲馬食も甚しきに過ぐれば遂には胃を破るべし。隴を得て蜀を望むといふ古き諺もあり。

志土軍人輩も今日までの成功を以て意外の僥倖なりしと反省し、この辺にて慎しむがその身の為なるべし。

米國と砲火を交へたとへ桑港や巴奈馬あたりを占領して見たりとて長き歳月の間には何の得るところもあらざるべし
若し得るところ有りとせんか。そは日本人の再び米國の文物に接近し其感化に浴する事のみならむ。
即デモクラシイの真の意義を理解する機会に遭遇することなるべし。(薩長人の英米主義は真のデモクラシイを了解せしものにあらず。)
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「★永井荷風インデックス」 をご参照ください。
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