2011年9月20日火曜日

永井荷風年譜(20) 大正4年(1915)満36歳 妻八重次の家出、離婚、再燃。そしてまた浮気

永井荷風年譜(20) 大正4年(1915)満36歳
1月20日
『夏すがた』1千部を籾山書店から書き下ろし出版、発禁となる。
(昭和22年3月に扶桑書房から上梓)
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1月下旬
「三田文学」の編集兼発行人の名義が石田新太郎に変更(3月号より)。
荷風はこのことを籾山に報じ、「此後は専ら三味線ひいて暮すべき覚悟に御座候」と心境を吐露した。
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2月10日
夜、妻のヤイ(八重次)が置手紙をして家出。23日、離婚

荷風は自分宛に来た書簡を整理浄書し「知友書翰集」なるものを作っているが、この置手紙もその中の一つ。
「知友書翰集」

〔欄外朱書〕第四
大正四年二月十日

「一筆申残しまゐらせ候 
私事こちらへかたづき候事よくにも見えにもあらずたゞ一ツ捨がたき恋のれきしがいとほしさに候
もとよりなれぬ手業お針もおぼつかなく水仕の事は云ふまでもなく候 
さぞお気に入らぬ事だらけと御きのどくに存上居候も私はそのくらゐの事くんで下さる御方と日々うれしくつとめ居候処 あなた様にはまるで私を二足三文にふみくだし どこのかぼちや娘か大根女郎でもひろつて来たやうに御飯さえたべさせておけばよい 夜の事は売色にかぎる 夫がいやなら三年でも四年でもがまんしてゐるがよい 
夫は勝手だ 女房は下女と同じでよい 『どれい』である 外へ出たがるはぜいたくだとあたまつから仰せなされ候 
なるほどそれも御もつとも 
世のつねの夫婦ならばさうなくてはならぬ処 さなきだに女はつけ上りたがる者 
夫としてはつね日頃そのくらゐに女房をおしつけておかなければならぬ事私とてもよく存じ居候 
私は殊にあなたがそれほどになさらずとも来る時すでに心にちかひし事もあり決して御心配かけるほどせいたくや見えをしたがる者にてはなく候 
そんな事わからぬあなたともおもはれず 
つまりきらはれたがうんのつき 見下されて長居は却而御邪魔 
此意味向嶋の老人に咄し候も通せずよんどころなく候 
此度は父の許へ帰らず候 此手紙父に御見せ下されてあなた様の御気のすむやうどふとも御はからひ被下度候
右申残し候」

(大正四年)二月十日夜八時半」「八重より」「旦那様 御許」とある。

荷風の結婚観、女性観については、下記三点を示す。
とてもまともな結婚などできない。

○昭和12年の随筆『西瓜』。
「病患は人生最大の不幸であるとすれば、この不幸はその起らざる以前に妨止せねばならない。
わたくしは自ら制しがたい獣慾と情緒とのために、幾度となく婦女と同棲したことがあつたが避妊の法を実行する事に就いては寸毫も怠る所がなかった」

「子供が成長して後、其身を過ち盗賊となれば世に害を胎(ノコ)す。
子供が将来何者になるかは未知の事に属する。之を憂慮すれば子供はつくらぬに若くはない」

「窃に思ふにわたくしの父と母とはわたくしを産んだことを後悔して居られたであらう。後悔しなければならない筈である。わたくしの如き子が居なかったなら、父母の晩年は猶一層幸福であったのであらう」

「若しもわたくしに児があって、それが検事となり警官となって、人の罪をあばいて世に名を揚げるやうな事があったとしたら、わたくしはどんな心持になるであらう。
わたくしは老後に児孫のない事を以て、しみじみつくづく多幸であると思はなければならない」

○大正13年『桑中喜語』
「卯の年に生れて九星(きうせい)四緑(しろく)に当るものは浮気にて飽き易き性なりといへり。
凝性の飽性ともいへり。
僕はそもそも此年この星の男なり。
さるが故にや半年と長つゞきした女はなし。大抵は三月目位にて、庭の花にはあらねど時候の変日が色のかはり目とはなるなりけり」

○昭和8年11月11日の「日記」末尾
「妻には妻となるべき決心がなくてはならない。
そこでわたくしは醇々として女に向つて講義を始める。
此講義をきくとまづ大抵の女はびつくりして逃げてしまふ。
別にむづかしい事を云ふのではないが、わたくしの説く所は現代の教育を受けた女には、甚しく奇矯に聞えるらしい。
わたくしの説は一家の主婦になるものは下女より毎朝半時間早く起き、寝る時には下女より半時間おそく寝る事。
毎日金銭の出入は其の日の中に漏れなく帳面に記入する事。
来客へ出すべき茶は必下女の手を待たず自分で入れる事。
自分の部屋は自分にて掃除する事。
家内の事は大小となく一応良人に相談した上でなければ親戚友人には語らぬ事。
まづ此位の事であるが、正面から規則を見せつけられると、大層窮屈に思はれると見え、御免を蒙る方が多い」

これは何気なく鉛筆で書き散らした一文だったらしい。書架を整理したとき見つけたもので、「拙劣にして今更添刪するにも足らぬ」と思い、「反古紙」と題をつけ、日記の昭和8年11月11日の末尾に書き写しておいたもの
のちに随筆『西瓜』の原型になったが、上の一文は削除されている。


「八重次」のその後
荷風と離婚後、大正6年、藤蔭会を創り新舞踊運動を始める。
大正12年、藤蔭流を創立。
昭和6年、藤蔭静枝(初世)となり、昭和32年「静樹」と改名。
昭和39年、文化功労者に選ばれ、昭和41年に没。

実は、八重次とはその後も何回か「再燃」している。
荷風の日記「断腸亭日乗」にぽつりぽつりと八重次の名が出てくる
飲食したり、家に訪ねてきたり。荷風が大久保の邸宅を売り払ったときは、引越しの手伝いに来ている

(大正七年)十二月七日。……新橋巴家に八重次を訪ふ。
其後風邪の由聞知りたれば見舞に行きしなり。
八重次とは去年の春頃より情交全く打絶え、その後は唯懇意にて心置きなき友達といふありさまになれり。この方がお互にさつぱりとしていざこざ起らず至極結構なり

大正8年5月4日の項には、八重次との過去を思い出し「むかし思へば何事も夢なり」とある。

大正8年9月22日には「旧妓八重次」となっている。これはその4ヶ月前に「八重次芸者をやめ踊師匠となりし由」とあることとの関連。

大正11年1月14日には「巴家の老妓に逢ふ」とある。この「老妓」は八重次のこと。


大正14年12月13日、荷風は八重次の夢を見る。
「昨夜就床の後胃の消化不良の故にや、腹鳴りて眠ること能はず、硝子窓薄明くなりしころ漸く睡につきしに、忽旧妓八重次に逢ひたる夢を見たり。

およそ夢といふもの覚むると共に思出さむとするも得ざるが常なるを、昨夜の夢のみいかなる故にや、寤めたる後もありありと心に残りたり。かの女静なる庭を前にしたる中二階の如き家の窓に倚りゐたるを、われ木の間がくれに見て忍び寄り、頻に旧情を温めむと迫りしかど、聴くべき様子もなかりし故悄然として立去りぬ。・・・・・・
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4月
4月より「三田文学」の経済は、一切学校会計にて扱うことに決定(会計年度の会議の結果)。
この頃、胃腸の調子がすぐれず、慶応義塾の方は休講がちとなる。
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5月
京橋区(現中央区)築地1丁目6番地の借家に移転。
八重次との交情復旧、
清元梅吉に師事し清元節に励む。
同月、『荷風傑作鈔』を籾山書店から出版。

われ去んぬる卯年の春(大正4年2月)、鶯の声もやうやう老い行く頃なり、ふと世をあぢきなく思ふ事のありて、生涯再び妻といふもの持つまじ。これよりは独居間適の一生、…」(『築地がよひ』大正六年)

京橋区築地1丁目6番地は、現在の中央区役所の裏手
当時は築地川の流れの曲がり角にあたり、合引橋(のちに三吉橋に架け替え)築地橋軽子橋といった小橋が架かっていた
清元の師匠宅にも近く、慶応義塾にもここから通う。


「汐と真水の逢引橋に芸者がつつむ髱(タホ)の永き日もいつか袷(アハセ)の軽子橋、裾(スソ)吹き払ふ川風に艶めく土地の有様をのぞきて見るも一興と、世を牛込のはづれより誰やらが四十で知つた四谷を過ぎ、室の花なる糀町、外桜田の堀端づたひ三時間あまりの道のりを、家財道具座右の書物四車ほどに積載せてはるばるこゝまで引移りしは、乙卯の其の年も半に近く銀座通の柳かげ早や虫売の荷をおろす頃なり」

「僅に人力車通ずる程の露地一筋あり。
このはづれにおのれが借りたる二階建、上は十畳六畳、下は三畳八畳六畳にして家賃二十六円、近き頃まで待合なりしとか」

「露地の内には待合妾宅のたぐひ多し。
さればや屋根裏の物干竿に下弦の月かゝる頃酔客を扶け送る妓女の嬌声溝板(ドヌイタ)に眠る犬を驚し、真星間旦那といちやつく御妾の鼻声は屋根づたひに背をのす猫の鳴声にまがふ
。爪弾の小唄は常にわが壁隣につゞき新内の流しは夜毎窓外に雨の来るが如し」(『築地草』)

「われ今さへ既に世とそむき果てたる身の、老後に到らばいよいよ尋ね来べき友もなく、訪ひ行きて語らん人もあらずなりぬべし。
かくては雪の日のさびしさ、雨の夜のつれづれをいかにすべき。
消えかゝる炭団果敢き置炬燵の独り居も、もし三味線持つ道知りたらんには、よしや勘処すこし位はづれても、独絃独吟、過ぎし日の夢思出でゝ自ら慰さむたよりともなりなん」 (『築地がよひ』)

元妻の八重次が荷風の家を出て、芸者家「本巴家」の看板を上げたのは京橋区惣十郎町(宗十郎町とも)9番地だが、ここは現在の中央区銀座7丁目の並木通りと花椿通りの交差する辺り。
荷風の築地1丁目から歩いて20分ほど。
そして、何のことはない、再燃。
荷風はその「本巴家」を訪ねるようになり、やがて2階に居候するようになる。
一時的ではあるが八重次とヨリを戻す
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10月(11月か?)
築地の借家を引き払い、京橋区宗十郎町9番地の八重次宅に隠棲。
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12月末
新橋芸者・米田みよを身請けして八重次と別れる。
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「★永井荷風インデックス」をご参照ください。
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