2011年9月11日日曜日

「原発は、炭鉱とちがって地域に歌も物語も生まなかったのですね。」(赤坂憲雄)

「東北学」を提唱する民俗学者で福島県立博物館館長の赤坂憲雄さんのインタビュー記事が「朝日新聞」9月10日付けに掲載されていました。

以下、その内の半分ほどをご紹介する。

*******************(段落を施す)
---震災直後、赤坂さんは「東北はまだ植民地だったのか」と発言しました。どういう意味ですか。

「戦前、東北は『男は兵隊、女は女郎、百姓は米を貢ぎ物として差し出してきた』と語られていました。いわば、国内の植民地の構図があった。
現在はさすがに違うだろうと思っていましたが、震災でいくらか認識を改めました」

「食糧もそうですし、電力は典型的です。東京で使う電力を東北が供給している。巨大な迷惑施設と引き換えに巨額の補助金が落ちる。
今まで意識してこなかった構造が、震災を契機にはっきりと浮かび上がりました。
きわめて植民地的な状況です。
中心と周縁、中央と地方という構図が依然として東北を覆い尽くしているのです」

「モノづくりの拠点の東北が被災した、大変だ、と言われた。モノづくりの拠点になったのは、企業にとって安価な労働力を入手できる土地だから。
村の中では下請けのさらに末端のような仕事を女性たちが行っています。ここには時給数百円の世界があります」

(略)

---宮城・岩手両県ではようやく復興が進み始めましたが、福島県は状況が大きく違います。

(略)

「私は福島県の復興ビジョン検討委員会の委員も務めました。
県が8月に発表した復興ビジョンは、基本理念として『原子力に依存しない、安全・安心で持続的に発展可能な社会づくり』をうたっています。

福島県は『脱原発』を掲げ、原発のない社会に向けて歩き出すと宣言した
県も県議会もドミノのように脱原発にかじを切った。
これまでの福島県ではありえなかった事件です。でも、みなさん知っていましたか?」

福島からの『脱原発』はイデオロギーではなく、生存の危機にさらされている無数の命の叫び声のようなものです


(略)

---原発事故の被災地のこれからをどう見ますか。

「実は私は原発立地の町や村が新たな地域社会を立ち上げていく姿を想像できないでいます
とても厳しい言い方になってしまいますが。
原発は、炭鉱とちがって地域に歌も物語も生まなかったのですね
きわめて特異な地域社会なのです」

「原発事故によって日本地図が変わってしまった。
関東から太平洋岸を北上する鉄道や高速道路は当分、不可能です。
福島原発とその周囲は長期にわたって人が住めなくなるでしょう。
日本列島の中に、人が足を踏み入れることができない「ノー・マンズ・ランド」(無人地帯)が生まれてしまう
すでに多くの人が気づいているはずです」

「政府は早く、きちんと語るべきです。
正確な情報を開示した上で、将来へのシナリオを描いてほしい。
10万近い人たちが住む家を追われ、町や村が消え、仕事を奪われ、避難を強いられています」

---近代の日本社会が、戦争以外では体験したことがない事態です。

「津波や地震の被害にあった土地の人たちは、もちろん苦難が待っていますが、いずれ帰ることができる。帰って、自分たちの地域を再建するシナリオを、なんとか描くことができる。
でも原発被災地の人たちには難しい。
これが何をもたらすのか。まだ我々がまっすぐに向き合うことを避けているテーマです」

「こんな国土の狭い、人口の多い国が、原発の被災地をチェルノブイリのようにしてしまったら、深刻なモラルハザードが起きるでしょう。
そもそも、原発事故の被災者だけに苦難を押しつけ、差別の対象にするなど許されるはずがありません。日本人は恥を忘れたのですか」

---するべきことは。

「除染活動を大規模な国家プロジェクトとして進める。
放射性物質の健康被害を長期にわたって徹底的に調べ、情報を蓄積し、最先端の医療拠点を育てる。
原発から自然エネルギーへの転換を進める特区にする。
これによって日本社会は世界がこれから直面するに違いない、たくさんの難問に対して貢献できるし、その責務を我々は負わされたのではないでしょうか。
難しいです。でもやらないといけない」

「前向きに立ち向かうことが、新しい風景をつくるよりどころになります。
そのとき、日本の最先端の科学技術や医療がぎりぎりのところで生かされ、鍛えられる。
そうあってほしいと願っています」
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