明治36年(1903)3月
この月
・台湾銀行香港支店設置。
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・桂内閣第2次鉱毒調査委員会報告「足尾銅山に関する調査報告書」。
5月、第18議会に提案。
作物被害をもたらす銅分は明治30年鉱毒予防令以前に排出されるか残留しているものが大部分として、古河鉱業の責任解除。
現在の被害の原因は鉱毒と洪水にある。
鉱毒処分法は、
①足尾銅山の予防工事、
②足尾の林野経営
③渡良瀬川の治水事業。
渡良瀬川治水事業による谷中村問題が浮上(渡良瀬川・利根川・思川合流地点付近に遊水地を設ける)。
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・荒畑寒村(16)、元海軍大尉軍司成忠の「報効義会」に入会。
少年隊を千島占守島に送り、開拓・北門防衛に備える計画。
8日、ゼームス・バラ氏より洗礼受ける。
4月初、占守島に赴くにも職業を覚える必要があるとのことで、横須賀海軍造船工廠木工部見習い職工となる。日給25銭。
この頃「万朝報」を愛読し内村鑑三に傾倒。やがて幸徳秋水・堺利彦らの社会主義的評論にひかれていく。
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・東京築地活版所、大阪で開催の第5回内国勧業博覧会にポイント式活字を出品。
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・国木田独歩「運命論者」(山比古)
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・大井憲太郎「平民の友」刊行。
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・原抱一庵(余三郎)翻案小説「聖人乎盗賊乎」(上)出版、好評。明治33年に「東京朝日新聞」に連載して後、原自身の著述生活も安定。5月には下巻出版。
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・(露暦3~5月)ロシア、南ロシアでゼネスト。
ズバートフ組合「ユダヤ人独立労働党」オデッサ支部は指導的役割。
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・ロンドン~ニューヨーク間で電信によるニュースの定期通信業務、開始。
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・ドイツ、児童労働法(児童労働を制限する法律)施行。
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3月1日
・第8回総選挙
立憲政友会175、憲政本党85、中正倶楽部31、帝国党17、政友倶楽部13、無所属小会派55議席。
野党が圧倒的多数を占める。
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3月1日
・大阪、第5回内国勧業博覧会。山田式気球が飛揚。7月31日閉会。入場者は435万人。
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3月2日
・レーニン、プレハーノフにトロツキー(23)を「イスクラ」の7人目の編集者に加える提案。
10日、マルトフ、ロンドンよりアクセリロートにレーニン提案に賛成する手紙。
結局、プレハーフの反対により挫折。
編集部再編は大会まで持ち越すことになるが、トロツキーに審議権を与えて編集部会議に参加させる(プレハーノフはこれにも反対)。
「イスクラ」編集部構成:
①古参派:プレハーノフ、ザスーリッチ、アクセリロート。
②若手派:レーニン、マルトフ、ポトレソフ。
「イスクラ」の政治的指導者はレーニン(「硬派」)、主要論説家マルトフ(「軟派」)。
両者の関係は冷ややか。
レーニンは党綱領作成をめぐりプレハーノフと衝突。仲介者はレーニンにはマルトフ、プレハーノフにはザスーリッチがあたる。
■トロツキーの逮捕~流刑~国外脱出の経緯(トロツキー「わが生涯」より)
1898年1月28日、「南ロシア労働者同盟事件によりニコラエフで検挙(200人以上の大量検挙)。
ニコラエフ監獄(3週間)~ヘルソン監獄~オデッサ監獄と移り、
1899年末、東シベリア4年間流刑の判決
モスクワの中継監獄を経て、
1900年秋に流刑地に着く(レナ河を下ったウスチ・クートの村)
数ヶ月後、南のヴェルホレンスクに移り、再度ウスチ・クートに戻った頃から、イルクーツクの新聞「東方評論」に寄稿を始める
1902年の秋が近づく頃、脱走
シベリア鉄道を西に向かいサマラに到着。ここで「イスクラ」派に入って活動。暫らくしてレーニンが呼び寄せる。
オーストリア国境を越え、ウィーンではオーストリア社会民主党指導者ヴィクトル・アドラーの世話になり、チューリッヒ、パリ経由で、1902年10月、ロンドンに到着。
ロンドンでは、レーニン夫妻のアパートから数ブロック離れた、ザスリッチやマルトフと同じアパートに住む。
トロツキーは、ここからブリュッセル、リエージュ、パリに派遣され活動を開始。
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3月3日
・漱石(36)、東京市本郷区千駄木57(第二高等学校教授斎藤阿具の持ち家)に転居。
(所謂「猫の家」---コチラ)
家財道具などの新調のため、五校の退職金を使い果たし、友人大塚保治(東大教授)から借金する。
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3月3日
・尾崎紅葉(36)、帝大病院に入院。
14日、胃がんを告知される。この日、退院。
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3月3日
・「労働世界」を改題して「社会主義」刊行。月2回。
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3月3日
・米議会、新移民法を可決。移民削減と「好ましくない人間」の入国拒否。
1900年迄に3,500万人以上の移民を受け入れ。来るものは拒まずの移民政策が大きく方向転換。
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3月5日
・ドイツ・オスマン帝国、バグダッド鉄道建設本協定(仮協定は1899年12月23日)締結。
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3月10日
・元老会議(伊藤博文、松方正義、井上馨、山県有朋元帥、大山巌元帥、西郷従道元帥)、対ロシア戦回避方針議決。
ロシアが朝鮮半島に手を出さぬ限り、その満州経営に反対しない。
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3月10日
・ジョゼフ・ピューリッツァー(56)、コロンビア大学にジャーナリズム学部建設資金寄付。のちピューリッツァー賞設立。
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3月12日
・大谷光瑞、西域探検から帰国。
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3月12日
・ロシア皇帝ニコライ2世、宗教の自由を含む重要な改革に関して声明。
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3月15日
・イギリス、2月3日の北部ナイジェリアのカノ占領に続きソコト占領。
1900年からの北部ナイジェリア占領完了。北部ナイジェリア保護領は1914年1月に初めて連邦統治下に。
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3月15日
・元老会議。
出席は、伊藤博文、松方正義、井上馨、山縣有朋元帥、大山巌元帥、西郷従道元帥。
対ロシア戦の回避、ロシアが満州から撤兵し朝鮮半島に手を出さぬ限り、その満州経営には反対しない、という結論。
①満州問題
英独が武力でロシアに対抗する意思はない。
日本は単独でロシアにあたり戦争も覚悟せねばならぬ。
「最後ノ決心ヲ要スルモノトセパ、甚(はなはだ)危険ナリトス。此際ハ、成ルベク我行為ヲ英独意嚮ノ範囲ニ制限スルノ外ナシ」
②韓国問題
「露国モ今遽(にはか)ニ日本卜之ヲ争フノ意ナシトセバ、現状ヲ維持スルヲ目的トシ、若シ時機アラバ露国卜協商ヲ試ミ、其ノ独立ヲ主持シ、日露両国衝突ノ種子タラザラシムルヲ努ムベシ」
③清国問題
「列強協同若シ破綻ノ端ヲ啓(ひら)キ、清国分割ノ止ムヲ得ザルニ至ラバ、我ハ浙江、福建ニ地歩ヲ移スノ外ナシ」
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3月16日
・山陽鉄道、宇品(広島県)~高浜(愛媛県)間の航路開設。伊予鉄道との連絡運輸開始。
18日、尾道(広島県)~多度津(香川県)間、および岡山~高松間航路開設。讃岐鉄道と連絡。
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3月18日
・フランス政府、宗教が教育に及ぼす影響を制限する政策の一環として、宗教団体が教育を行うために提出した申請をすべて却下。
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3月26日
・伊沢修二、東京小石川、吃音矯正のための楽石社設立。
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3月26日
・フィンランド、ボフリコフ将軍による独裁政権成立。(1904年6月23日暗殺される)
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3月27日
・珍田捨己外務総務長官、各地方長官にアメリカ・カナダ行きの移民禁止の続行を訓令。
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3月27日
・駐韓公使林権助、小村外相に、ロシアは2月26日、かねて韓国から取得していた鴨緑江沿岸の森林伐採権の行使を申し入れ、近く「経営ニ着手」する気配であると打電。
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3月28日
・札幌麦酒会社、隅田川吾妻橋東岸にビールガーデンを開く。
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3月28日
・英のスコットを隊長とする南極探検隊が探検史上最南端の地点に到達したという情報が伝わる。
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3月30日
・米、革命内戦中のドミニカに武力介入。
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3月31日
・農商務省商工局編『職工事情』3巻刊行。
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トロツキーわが生涯〈上〉 (岩波文庫)
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