2016年5月31日火曜日

岡本太郎(1911-96) 『遊ぶ』(1961) 『反世界』(1964) 『夜明け』(1948) 『燃える人』(1955) 『コントルボアン』(1935/54) (国立近代美術館常設展示MOMATコレクション) 2016-05-12

▼岡本太郎(1911-96)
『遊ぶ』(1961昭和36)
 太郎は1960年代に入ると、それまでの画面にぎっしりとモチーフが登場する作風をガラリと変え、黒い梵字のように見えるモチーフを大きく中央に描くようになります。
《燃える人》など1950年代に描かれた作品は原爆など社会問題に眼を向けていましたが、この作品は日常のアクシデントの中で生まれたもの。
1961(昭和36)年4月3日、草津白根山でスキー中に左足を骨折。1ヶ月後に迫った「第6回日本国際美術展」に新作を出品予定だった太郎は、松葉杖をつきながらこの絵を描くことに挑戦。
太郎いわく「《骨折》という題名をつけてやろうかとふざけてみた」そうですが、そのコメントを知ると、画面左の5つの線が足の指のようにも見えてきます。


▼岡本太郎(1911-96)
『反世界』(1964昭和39)


▼岡本太郎(1911-96)
『夜明け』(1948昭和23)
 岡本太郎は、さまざまな矛盾を矛盾のままに対決させる「対極主義」という制作理念を唱えて戦後の美術界に旋風を巻き起こし、八面六臂の活躍をみせました。
夜の闇を切り裂くように、画面中央の怪物が天に向かって遠吠えするこの《夜明け》は、まさに太郎自身の戦後の第一声といえる作品です。
怪物の左右には、耳をふさぐ男と、のけぞる女が対をなすように配置され、その周りを赤や黄などの原色が乱舞する。
様々なエネルギーが衝突し、軋みを上げるこの作品は、「対極主義」の主張の具体化を目指したものなのです。


▼岡本太郎(1911-96)
『燃える人』(1955昭和30)
 本作は、1954(昭和29)年3月1日に起きた第五福竜丸の被爆事件に着想を得ています。
同船が太平洋のビキニ環礁近くでマグロ漁をしていたところ、アメリカ軍の水爆実験に巻き込まれて、乗組員23人全員が被爆したという歴史的な事件です。
本作の中央には、爆発のモチーフが見えます。
左下にある擬人化された船は第五福竜丸、右下から上にかけて大きく目のついた物体は、キノコ雲でしょう。
時代背景としては、1952年、サンフランシスコ平和条約(日本国との平和条約)の発効。
同年、アメリカが水爆実験に成功。
1953年、アメリカ大統領のアイゼンハワーが国際連合総会で「平和のための原子力」について演説。
1955年12月、日本で原子力基本法が制定される、などといったようなことがあります。


▼岡本太郎(1911-96)
『コントルボアン』(1935/54昭和10/29)
 タイトルの《コントルボアン》とは、フランス語で音楽理論の用語です。
旋律どうしを同時に組み合わせる作曲技法を意味しています。
この作品の原作は戦災に遭い消失、1954年に再制作されました。
1935(昭和10)年当時の太郎はアブストラクシオン・クレアシオン(抽象・創造協会)に参加しながらも抽象表現に限界を感じ始め、翌1936(昭和11)年に脱会。
魔術を研究し、特異なオブジェや幻想的な絵画を制作したクルト・セリグマン(1900-62)とともに手の届く実感のあるものを追究する「ネオ・コンクレティスム(新具体主義)」を唱え始めました。
この作品に描かれた生き物を思わせる左右の二つのモチーフは、太郎自身が語った「バルバーブル=手に触れ得るもの」へと新たな表現を探っているようにも見えます。







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