2016年5月29日日曜日

「二つの国民 所属なき人 見えているか」 (小熊英二 論壇時評『朝日新聞』2016-05-26)

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論壇時評(『朝日新聞』2016-05-26)
「二つの国民 所属なき人 見えているか」 小熊英二
1962年生まれ。慶応大学教授。『単一民族神話の起源』でサントリー学芸賞、『〈民主〉と〈愛国〉』で大佛次郎論壇賞・毎日出版文化賞、『社会を変えるには』で新書大賞、『生きて帰ってきた男』で小林秀雄賞を受賞。

 19世紀英国の首相ディズレーリは、英国は「二つの国民」に分断されていると形容した。私見では、現代日本も「二つの国民」に分断されている。

 そのうち「第一の国民」は、企業・官庁・労組・町内会・婦人会・業界団体などの「正社員」「正会員」とその家族である。「第二の国民」は、それらの組織に所属していない「非正規」の人々だ

 この分断の顕在化は比較的最近のことである。私が国立国会図書館のデータベース検索で調べたところ、雇用関連の雑誌記事の題名に「非正規」という言葉が使われたのは1987年が初出だ。そしてそれは2000年代に急増する。

 それ以前も「パート」「日雇い」「出稼ぎ」などはいた。だが、それらを総称する言葉はなかった。「パート」や「出稼ぎ」でも「正社員の妻」や「自治会員」である人も多かった。単に臨時雇用というだけでない「どこにも所属していない人々」が増えたとき、「非正規」という総称が登場したともいえる。

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 彼らは所得が低いのみならず、「所属する組織」を名乗ることができない。そうした人間にこの社会は冷たい。関係を作るのに苦労し、結婚も容易でない。

①特集「生涯未婚」(週刊東洋経済5月14日号)
 「週刊東洋経済」の特集「生涯未婚」は、「結婚相談所なんて正社員のためのビジネスだとわかりました」という34歳男性の言葉を紹介している(①)。女性の7割は年収400万円以上の男性を結婚相手に期待するが、未婚男性の7割は年収400万円未満である。その結果、男女とも結婚できない。50歳時点で一度も結婚していない「生涯未婚者」は、2035年には男性で3人に1人、女性で5人に1人になると予測されている。

 これは所得の問題だけではない。昔なら低所得でも、所属する企業・親族・地域の紹介で「縁」が持てた。所属のない人々はそうした「縁」がないのだ。

②藤田孝典・白河桃子 対談「婚活ブームを総括しよう」(同上)
 こうした「第二の国民」は、どの程度まで増えているのか。統計上の「非正規雇用」は4割だが、藤田孝典は「一般的に想像されるような正社員は実は急減している」という(②)。労組もなく、労働条件も悪く、「10年後、20年後の将来を描けない周辺的正社員」が増えている。そして「彼らの増加と未婚率の上昇はほとんど正比例」というのだ。

③番組・NHKスペシャル「そしてバスは暴走した」(4月30日放送)
 低収入で家族もいない人が増加すれば、人口減少だけでなく、社会全体の不安定化に直結する。1月に犠牲者15人を出したスキーバス事故の背景に、高齢単身運転手の劣悪な労働・生活状況があったことはテレビでも報道された(③)。

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 それにもかかわらず、「第二の国民」が抱える困難に対して、報道も政策も十分ではない。その理由は、政界もマスメディアも「第一の国民」に独占され、その内部で自己回転しているからだ。

 日本社会の「正社員」である「第一の国民」は、労組・町内会・業界団体などの回路で政治とつながっていた。彼らは所属する組織を通して政党に声を届け、彼らを保護する政策を実現できた。

 もちろん「第一の国民」の内部にも対立はあった。都市と地方、保守と革新の対立などだ。55年体制時代の政党や組織は、そうした対立を代弁してきた。今も既存の政党は、組織の意向を反映して、そうした伝統的対立を演じている。

 報道もまた、そうした組織の動向を重視する。新聞紙面を見るがいい。記事の大半は政党、官庁、自治体、企業、経済団体、労組といった「組織」の動向だ。一方で「どこにも所属していない人々」の姿は、犯罪や風俗の記事、コラム、官庁の統計数字などにしか現れない。

 政党も報道機関も、「組織人」と「著名人」しか相手にしない。というより、組織のない人々を、どう相手にしたらよいかわからない。私はある記者から、こんな話を聞いたことがある。

 福島原発事故後、万余の人が官邸前を埋めた。米国大統領府前で万余の人が抗議すれば、大ニュースになるはずだ。しかし日本では報道が遅く、扱いも小さかった。その理由について、その大手メディア記者はこう述べた。

 「あの抗議は労組や政党と関係のない所から出てきた。組織がないのに万単位が集まるなんて、何が起きているのか理解できなかった。私たちは組織を取材する訓練は受けてきたが、組織のない人々をどう取材したらいいかわからない」

 30年前ならこの姿勢でもやっていけただろう。だが所属組織のない人々が増えるにつれ、「支持政党なし」も増え、新聞の部数は減る一方だ。「第二の国民」にとって、新聞が重視する政党や組織の対立など「宮廷内左派」と「宮廷内右派」の争いにしか見えないからだ。これは媒体が紙かネットかの問題ではない。

④堀内京子「現実無視のイデオロギーが税制歪(ゆが)める 首相指示により『3世代同居』前面へ」(Journalism5月号)
⑤平山洋介「『三世代同居促進』の住宅政策をどう読むか」(世界4月号)
 政策もまた、認識が古いために、的外れになっている。堀内京子は、官邸主導により、少子化対策として「3世代同居」優遇税制が導入された経緯を検証している(④)。だが平山洋介によれば、3世代世帯は持ち家率が高く、住宅が広く、収入が多い(⑤)。3世代世帯の出生率が高いとしても、恵まれた層の出生率が高いというだけだ。それを優遇しても、少子化対策として効果はなく、恵まれた層をさらに優遇するだけだという。

 放置された「第二の国民」の声は、どのように政治につながるのか。誰が彼らを代弁するのか。この問題は、日本社会の未来を左右し、政党やメディアの存亡を左右する。これは、この文章を読んでいるあなたにも無縁の話ではない。





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