海の見える丘公園ローズガーデン 2016-05-21
*あいなめ 茨木のり子
愛を舐めることでもなく
愛を鞣すことでもない
あいなめは魚の名前でした
と書いてきて 気づくのは
だいぶ前から食べてはいない
幼時にしたしかった粋な味
又の名は あぶらこよ!
鰊とおなじく寄りつかなくなったんでしょう
わたしゃ立つ鳥 浪に聞け ちょい
浪にひしめき うねって来た 春告魚は
何処へ行った
声をたてず 音もあげず ひっそりと
遠ざかってゆくものの気配
別れも告げず 脅迫もせず 彼方へと
去りに去りゆくものの気配
ことあげしないことがなにかひどくおそろしい
記憶のなかでだけ ふかふかと明滅する蛍
渡り鳥は大和絵のなかにのみ姿態をとどめ
次第におぼろになってゆく蛙の性の鬨の声
青い穂波の麦畑をシューベルトのように
走り抜けたいのだけれど 麦秋とは名ばかりで
青年の頸すじのような匂いも思い出になった
つくしこいしのひと声を聞きたいばかりに
せっせと樹などを植えてみるけれど
金木犀も咲かなくなった 濁った空気を
嫌い抜いて
言葉をもたず燃えつきる
やさしいものたちの系譜は絶えるか
言葉の化学(バケガク)を見出した
したたか者がはびこりすぎたか
生き残るのは醜悪無惨のことでした
それをひたかくしにしたくって
幼稚園の頃から唄わせられる
<生きることは美しい>と
手をかえ 品をかえ
馬鹿の一ツおぼえに
習い性となるまでに
『茨木のり子詩集(現代詩文庫20)』 (1969年3月 思潮社刊)
詩人43歳
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