東京 北の丸公園 2012-06-01
*ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(14)
「序章 ブランク・イズ・ビューティフル
- 三〇年にわたる消去作業と世界の改変 -」(その3)
スリランカでもニューオーリンズでも
災害で茫然自失の間に自由市場が便乗する
大惨事のショック時に自由市場がいかに便乗するか、私が調査を開始したのは二〇〇三年五月にイラクが占領統治されてから間もない頃だった。・・・
二〇〇四年末に大津波がスリランカを襲ってから・・・、私はここでも同じような手口を目撃することになる。
災害後、外国投資家と国際金融機関はただちに結託してこのパニック状況を利用し、村を再建しようとした数十万人の漁民を海岸沿いから締め出したうえで、この美しいビーチ一帯に目をつけていた起業家たちの手に引き渡したのだ。
彼らはまたたく間に大規模リゾート施設を海岸沿いに建設していった。
スリランカ政府は「悲惨な運命のいたずらとはいえ、今回の天災はスリランカにまたとないチャンスをプレゼントしてくれた。この大惨事を乗り越え、わが国は世界でも一流の観光地となるだろう」と発表した。
要するに、ニューオーリンズで共和党政治家とシンクタンクと不動産開発業者が三者一体となり、「白紙の状態」を口にして浮き足立つずっと以前から、これが企業の目標を推進するうえで好ましい手法だという理解はすでに確立していたのだ。
つまり、人々が茫然自失としている間に急進的な社会的・経済的変革を進めるという手口である。
惨事便乗型資本主義者たちは、元通りに修復することにはまるで興味はない
・・・イラク、スリランカ、ニューオーリンズにおいて「復興」という名で呼ばれた作業とは、つまるところ災害の後片づけと称して公共施設やその地に根づいた地域社会を一掃し、すかさずそこに企業版「新エルサレム」を打ち立てることにほかならなかった。
それも戦争や災害の被災者たちが結束して自分たちの所有権を言い立てる前に。
「イラクに広がる恐怖と無秩序は、わが社に有利な将来を約束している」
・・・。米中央情報局(CIA)の元諜報員で、民間セキュリティー会社カスター・バトルズ社を創設した三四歳のマイク・バトルズ(の言葉)・・・。
「自由化」を進める手法が惨事便乗型に変化した
・・・。一九九九年にシアトルで開かれた世界貿易機関(WTO)閣僚会議では、大企業支配の肥大化に異議を申し立てる市民の声が、初めて世界の注目を集めた。・・・
民営化、規制緩和、社会支出の大幅削減という三点セットの押しつけ・・・。
それが今や、同じイデオロギーに基づく政策(*自由主義経済政策)をもっともひどい強制的手段で、つまり他国に軍事侵略したあとの占領体制下や自然災害による激変の直後に強行するようになってしまったのだ。
どうやら9・11を機に、アメリカ政府は世界各地の国々がそれを望むのかどうかを顧みることなく、「衝撃と恐怖」の軍事力を行使してアメリカ流の「自由市場と民主主義」を推し進めてもかまわない、と自己判断するに至ったらしい。
フリードマンは最初からショック・ドクトリン(惨事便乗型自由主義経済)を唱えていた
こうした市場モデルがいかに世界を席捲してきたか、その歴史を調べていくうちに見えてきたのは、危機や災害に便乗するという考えはフリードマンが最初から唱えてきた手法だったという事実である。
彼の説く原理主義的資本主義は、常に大惨事を必要としてきた。
より大規模で衝撃的な惨事が煽られるようになったのはたしかだが、イラクやニューオーリンズで取られた手法は、9・11以降に考案されたものではない。
イラクやニューオーリンズでの惨事便乗型の大胆な実験は、過去三〇年実行されてきたショック・ドクトリンが頂点をきわめた姿なのだ。
暴力・弾圧と自由主義経済:アルゼンチン、チリ、中国、ロシア
・・・過去三五年間・・・。この間に世界各地で起きた数々の忌まわしい人権侵害は、・・・じつのところその裏には、自由市場の過激な「改革」を導入する環境を整えるために一般大衆を恐怖に陥れようとする巧妙な意図が隠されていた。
一九七〇年代、アルゼンチンの軍事政権下では三万人が「行方不明」となったが、そのほとんどが国内のシカゴ学派の経済強行策に反対する主要勢力の左翼活動家だった。
チリの経済改革の際にもこれとまったく同様のことが起きた。
一九八九年には中国の天安門広場で衝撃的な虐殺事件が起き、その直後から何万人という人々が逮捕されていった。中国共産党政権はそのショックを利用して国土の大部分を広大な輸出区とする改革路線に乗り出すが、そこで働く労働者たちは恐怖ゆえに自分たちの権利要求など口にできなかった。
また、一九九三年にはロシアのボリス・エリツィン大統領が最高会議ビルを戦車で砲撃して反対派勢力を封じ込める行動に出るが、ここからロシアは民営化大売出しの道へと突き進み、悪名高いロシア新興財閥を生むことになる。
イギリスで、そして旧ユーゴで。
イギリスのマーガレット・サッチャー首相もまた、同じような目的から一九八二年に起きたフォークランド紛争を利用した。
サッチャーは紛争によって生じた混乱と愛国的熱狂に乗じ、強権を行使して炭鉱労働者のストライキを潰すとともに、西側民主主義国家で初めて民営化狂乱の道へと歩み出す。
一九九九年、北大西洋条約機構(NATO)軍のベオグラード攻撃〔いわゆる「コソボ紛争」〕によって旧ユーゴスラビアには民営化即時導入の環境が整ったが、それは軍事行動を起こす以前から掲げていた達成目標だった。
これらの戦争や紛争が経済的動機のみで起こされたとは言えないにせよ、いずれのケースでも大規模なショック状態が経済的ショック療法導入に利用されてきたことはたしかである。
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