2013年2月8日金曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(59) 「第4章 徹底的な浄化 - 効果を上げる国家テロ - 」(その8)

江戸城(皇居)東御苑 2013-02-05
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ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(59)
 「第4章 徹底的な浄化 - 効果を上げる国家テロ - 」(その8)

「治療」としての拷問
精神もまた浄化されなければならない
 軍事政権の政策が集団主義を抹殺しようとしたのに対し、刑務所の内部では拷問によって精神と魂が抹殺されようとしていた。
一九七六年のアルゼンチンの政府系新聞の社説
「精神もまた浄化されなければならない。誤りはそこで生まれるからだ」

拷問は治療的な効果を持つと考えられていた
 拷問を行なう者は、医師や外科医のような態度を取ることが少なくなかった。
シカゴ大学の経済学者たちが、ショック療法は痛みを伴うが不可欠だとみなしたのと同様、彼らは電気ショックや他の拷問は治療的な効果を持つと考えていた。
自分たちは拘束者(収容所の内部ではしばしば「アペストソス(=汚れた者、病んだ者)」と呼ばれた)にある種の薬物を授与しており、それによって社会主義という病を治療し、集団行動に出ようとする衝動を除去するのだ、と。
その「治療」は明らかに苦痛を伴い、場合によっては死をももたらすかもしれないが、すべては患者のためなのだ、と。
人権侵害を批判されたピノチェトはいらだたしげにこう言い放った。「もし腕に壊疽が起きたら、その部分を切除しなきゃならないだろう?」

*これによって電気ショックは、ごく初期の悪魔払いとしての用法に戻ったことになる。
電気ショックが医学的に用いられたもっとも古い記録は、一八世紀のスイス人医師にさかのぼる。
この医師は精神病は悪魔によって引き起されると考え、患者に握らせたワイヤーに静電気を流した。
ひとつの悪魔につき一回のショックが与えられ、この治療を受ければ病気は治ったとされた。

目的は連帯の抹殺
 いずれの国の真実和解委員会の報告書を見ても、拘束された者に自らの自己意識と切り離すことのできない信条への裏切りを強制するシステムが存在していたことが、証言によって語られている。
ラテンアメリカの左派の人々の大部分がもっとも大事にしていた理念とは、アルゼンチンのラディカルな歴史学者オスバルド・バイエルの言葉を借りれば、「唯一の先験的神学、すなわち連帯」である。
連帯の重要性を十分理解していた拷間者たちは、拘束した人々にショックを与えることで、人間同士の社会的結びつきへの衝動を抹殺しようとした。
もちろん表向きは、すべての尋問の目的は貴重な情報を得ることにあり、その結果として裏切りが伴うのだとされていた。
だが実際には情報を得ることより(通常、情報はすでに得られていた)、裏切りそのものを行なわせることにはるかに大きな力点が置かれていた、と報告する拘束者も少なくない。
何よりも他人を助けることを優先しようとする彼らの信念、言い換えれば彼らを活動家たらしめている要の部分を回復不可能なほどずたずたにし、代わりに恥と屈辱をすえてやろう - 拷問する側はそう目論んでいた。

 仲間への裏切りが、本人がまったく関与できないところで行なわれることもあった。
アルゼンチンで拘束されたマリオ・ピラーニは連行されたときスケジュール帳を持っており、そこには友人と会う約束の日時が記されていた。
そこで本人の代わりに兵士が待ち合わせ場所に行き、次なる活動家が国家テロ装置により行方不明にされた。
尋問者たちは拷問台に載せたピラーニに、「ホルへはお前との約束を守ったからこそ連れて行かれた」と知らせることで拷問した。
「二二〇ボルトの電気を流すより、そちらのほうが辛い拷問だということをやつらは知っていた。
私は耐えられないほどの自責の念に襲われました」とピラーニは語っている。

人格破壊までも
 こうした状況下では、拘束された者同士が小さな思いやり(互いの傷を手当する、わずかな食べ物を分け合うなど)を示すことが究極の反抗とみなされ、そうした行為が発覚すると厳しい罰が与えられた。
拘束された人々は否応なく個人主義的になるよう仕向けられ、自分に加えられる拷問がさらに厳しくなるか、仲間の拘束者への拷問が激しくなるかの間で、常にファウスト的な選択を突きつけられた。
なかには当局の狙いどおり、仲間が拷問を受けるときに牛追い棒を持ったり、テレビに出演してかつての信念を捨てたことを公言するほどまでに「壊される」ケースもあった。
こうした人々は拷間者たちにとって、究極的勝利を意味した。
彼らは連帯を放棄しただけでなく、生き延びるために「自分の利益だけを考える」(ITTの重役の言葉)という、自由放任資本主義の中核にある冷酷無比な考え方に屈伏した。

アブグレイブ刑務所やグアンタナモ収容所で尚も
*この人格を壊すプロセスは今日、アメリカが運営する刑務所におけるイスラム教徒の拘束者に対する処遇に見て取ることができる。
アブグレイブ刑務所やグアンタナモ収容所から次々に出てきた証拠によれば、二つの形の虐待 - 裸にすることとイスラムの慣習に対する意図的な妨害 - が行なわれていることは明らかだ。
具体的には、髭を剃る、コーランを踏ませる、イスラエル国旗を体に巻きつける、男性に同性愛の体位を取らせる、さらには男性に生理の血を模した液体を付けるなど。
かつてグアンタナモ刑務所に拘束されていたモアサム・ペッグによれば、彼はたびたび無理やり髭を剃らされ、看守に「おまえらイスラム教徒にとって、これは本当にこたえるだろう?」と言われたという。
イスラム教が冒潰されるのは看守たちがそれを憎く思っているからではなく(実際にそう思っている可能性は高いが)、拘束者たちがそれを大切に思っているからだ。
拷問の目的が人格を破壊することにある以上、拘束者の人格を構成するものは衣服から大事にしている信念に至るまで、ことごとく剥ぎ埴られなければならなかった。
七〇年代の攻撃の標的は社会的連帯だったが、今日はイスラム教なのだ。

軍人と経済学者 : ”医師”として共通する隠喩(メタファー)
 ショック療法の”医師”たる二つのグループ ー 軍人と経済学者 - はどちらも、自分たちのしていることをほとんど同じ隠喩(メタファー)を用いて表現した。
フリードマンはチリにおける自らの役割を、「インフレという疫病を終焉に導くためにチリ政府に専門的な医学的アドバイス」を与える医師になぞらえた。
シカゴ大学ラテンアメリカ・プログラムの責任者アーノルド・ハーバーガーはさらにその上を行く。アルゼンチンの軍政終結後かなりの年月が経ってから同国の若手経済学者に向けて講演した際、ハーバーガーは良い経済学者とはその人自身が病を治す治療薬であり、「反経済的な考え方や政策と戦う抗体」の役目を果たすのだと述べている。
アルゼンチンの軍政下で外相を務めたセサル・アウグスト・グゼッティはこう言う。
「国家という社会的身体が内臓を蝕む病気に感染したとき、そこには抗体が形成される。抗体は病原菌とはまったく異質なもの。すでに実際に起きているとおり、政府がゲリラを取り締まり破壊すれば、抗体の活動は消滅する。それは病気の身体に対する自然な反応なのだ」

ナチスとの共通性
 こうした物言いに見られる知性構造は、社会の「病んだ」構成員を殺害することで「国家身体」を治療すると言ってユダヤ人虐殺を正当化したナチスのそれと同じである。
ナチス親衛隊の医師フリッツ・クラインはこう主張した。
「私は生命を守りたいと願っている。人間の生命を尊ぶからこそ、私は病に冒された身体から壊疽の部分を切除する。ユダヤ人は人類という身体に生じた壊疽なのだ」。
カンボジアのクメール・ルージュも「病に感染した部分は取り除かなければならない」と、同じ表現を使って大量虐殺を正当化した。
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