法制局長官人事 「法治」の原則捨てるのか
2013年8月7日
あまりに強引な人事だ。安倍晋三首相は内閣法制局の山本庸幸長官を退任させ、後任に小松一郎駐仏大使を充てるという。
長官人事は首相の専権事項というが、集団的自衛権行使の容認に向けた布石であるのは明らかだ。政府は「適材適所」(菅義偉官房長官)などと抽象的説明でかわすのでなく、この恣意(しい)的人事の是非を堂々と国民に問うべきだ。
小松氏は条約畑の外務官僚で、名うての行使容認論者だ。2006年の第一次安倍内閣当時の外務省国際法局長であり、集団的自衛権行使容認を打ち出した当時の政府有識者懇談会に事務方として深く関わった。
内閣法制局長官は同局の法制第一部長を経験した内閣法制次長が昇任するのが慣例だ。法解釈の継続性や職務の専門性を考えれば一定の説得力はある。そこに法制局未経験者が就くのも外務省出身者が就くのも前代未聞だ。
安倍首相が再設置した有識者懇談会は今月下旬から議論を再開し、行使容認の報告書を秋にもまとめる。行使の手続きを定める国家安全保障基本法案も、早ければ秋の臨時国会に提出する構えだ。
その法案提出を控え、容認論者をトップに据えて国会答弁に備えるつもりなのは間違いない。解釈改憲に逆らう法制局をけん制し、圧力を加える狙いもあろう。
集団的自衛権について内閣法制局は「国際法上保有しているが、行使は憲法の限界を超え、許されない」との見解を保持してきた。
憲法解釈は長年の政府答弁の積み重ねであり、精密な法解釈の結果である。政権の意に染まないからと言って答弁者の首をすげかえ、憲法解釈を変えるのなら、もはや法治国家と言えない。
憲法9条を改正したいが、難しいから改憲の要件を定める96条を改正する。その96条先行改正論が批判を浴びたら、今度は集団的自衛権行使容認へと憲法解釈を変える。解釈変更に内閣法制局が抵抗するなら、今度は長官の首をすげ替える。正面突破が難しいから裏口から入ると言うに等しい。あまりに姑息(こそく)だ。
第二次大戦後、戦争でどの国の人も殺さなかった国は日本を含め世界に6カ国しかない。憲法の平和主義の成果だ。集団的自衛権の行使は、戦後日本が積み上げてきたそうした国際的信頼を根こそぎ失いかねない。なし崩しで貴重な資産を失う愚を犯してはならない。
朝日新聞 2013年 8月 8 日(木)付
天声人語
「法匪(ほうひ)」という、ふだんはほとんど使われない言葉がある。広辞苑によれば、匪は賊を意味し、「法律を絶対視して人を損なう役人や法律家をののしっていう語」だ
▼「法の番人」と言われる内閣法制局も、かつては法匪と呼ばれた。長官経験者がそう述懐するのを聞いたことがある。自衛隊と憲法との関係が争われた時代、違憲論を唱える陣営から浴びせられたという。合憲とする法制局は敵役だった
▼時代は変わった。こんどは反対側から目の敵にされているようだ。同盟国の米国のために、集団的自衛権を行使できるかどうか。法制局は一貫して憲法9条の下ではできないとしてきた。行使できることにしたい安倍政権は不満である
▼そこで奇手に出た。トップの交代だ。きょう、新しい長官に外務省出身の小松一郎氏をあてる人事が閣議決定される。法制局の経験はない。内部から昇格させる慣例を覆した。憲法解釈を変えて行使を認めるようにする。その布石という
▼無理筋だろう。長年、9条の意味はこうですと言ってきたが、やっぱりそれは違ってました、実はこういう意味でした……。こんな気まぐれな言い分が通るなら、日本は法治国家なのかと疑われる
▼そもそも法制局はいわば助言機関であり、内閣の一組織にすぎない。これまでの憲法解釈を最終的に決めてきたのは歴代内閣、多くは自民党政権である。それを変える先頭に、一つの役所を、一人の個人を立たせよう。そんな考えなら、姑息(こそく)のそしりを免れまい。
とうとう集団的自衛権容認派の小松一郎氏が法制局長官に就任。自分の言うことを聞く人ばかりを周りに集めることで、好き勝手な政治を行う。国が壊れていく。
— 鈴木 耕 (@kou_1970) August 8, 2013
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