2013年8月9日金曜日

長崎原爆投下後、敵味方問わず治療 英国軍医師に“感謝”の軍刀

西日本新聞
長崎原爆投下後、敵味方問わず治療 英国軍医師に“感謝”の軍刀 [長崎県]
2013年08月09日(最終更新 2013年08月09日 03時00分)

 長崎市の捕虜収容所で原爆被害に遭いながら、敵味方に関係なく負傷者を治療したという英国軍医エイダン・マッカーシー氏(1914~95)に、旧日本軍の「楠野」という将校が軍刀を贈っていたことが分かった。軍刀は今も故郷アイルランドに残るが、なぜ贈られたか詳しいいきさつは分かっていない。マッカーシー氏のドキュメンタリーを作るアイルランドの映像制作会社が、その謎を探ろうと8日に来日し、取材を始めた。

 自叙伝などによると、マッカーシー氏は1944年、インドネシア・ジャワで日本軍の捕虜となり、長崎市にあった捕虜収容所に移送された。原爆投下直後、被爆者のやけどや骨折の治療に当たった。帰国後、刀はマッカーシー氏の娘に引き継がれ、故郷のパブに飾られている。

 制作会社ガンビットピクチャーズがマッカーシー氏のドキュメンタリーを企画。今年7月、遺族が遺品の中から、軍刀を持った日本軍の将校の写真を発見。裏には「□(判明せず)しき友マッカーシー少尉に餞別(せんべつ)と共に贈る 君の御多幸を祈る 昭和二十年八月平和到来の日 楠野」と日本語で書かれてあった。

 軍刀に詳しい日本近代刀剣研究会の大村紀征顧問(71)は、写真の中で将校が持つ軍刀と、マッカーシー氏に贈られたものを比較し「金具の形状などから同じものではないか。軍刀を贈ったのは特別な感謝の意味があるはずだ」と話している。

 制作会社の取材によると、楠野という名の将校は長崎市の収容所の勤務者名簿には名前がないが、福岡県桂川町の収容所にはあるという。マッカーシー氏も戦後、桂川町の収容所で帰国準備をしていた時期があった。

 取材班は9日に長崎市である原爆犠牲者の慰霊式などを取材し、2人の接点を探る。15日まで日本に滞在し、福岡県や東京でも取材。楠野氏の遺族が見つかればアイルランドに招くことも検討しているという。

 同社のボブ・ジャクソン・プロデューサーは「なぜ敵国の軍人から刀が贈られたのか理由を知りたい」と情報提供を求めている。
=2013/08/09付 西日本新聞朝刊=

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