2013年12月13日金曜日

堀田善衛『ゴヤ』(17)「マドリード」(6) 「ゴヤは後日、・・・サン・アントニオ・デ・ラ・フロリダの教会のフレスコ画を描くとき、誰よりもティエポロに学んだ手法を、全的に発揮するであろう。」

北の丸公園 2013-12-12
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石を投げれば・・・(フランス人かイタリア人にあたる)
 「マドリードで、石を投げれば坊主にあたるだろう、と書いたのは、ハブスプルグ家から王が来ていた時代のことであったが、王がブルボン家から来るようになってからは、芸能、芝居、オペラから、化粧、服飾、整髪、料理、家具、装飾などの職人仕事も、ほとんどがフランス人かイタリア人に独占されてしまい、ここでも石を投げれば……、になってしまった。しかも、生粋のスペイン人でその種の仕事に従事していた連中までが、情けないことにフランス名か、イタリア名を名乗るにいたってしまったものである。」

1762年、66歳のティエボロ(ベネチア画派)がマドリードに来る
 「美術の分野・・・
・・・この世界にも、実は二つの流れがあった。それは、ベネチアから来ていたティエポロ一族と、ボヘミアで生れてイタリアで学んだラファエル・メングス一家の二つである。そうしてこの二つの流れは、実はヨーロッパにおける、歴史の新旧と、ほぼ軌を一にしたものでもあった。

ティエポロが、助手としての二人の息子をつれてマドリードに来たのは、一七六二年、彼が六六歳のときであった。・・・」

”自然の”風景”を描くことが得意のベネチア画派
 「ティエポロは、いわばベネチア画派最後の人であったのである。一五世紀にベルリーニあたりからはじまって、ジョルジョーネ、カルパッツィオ、ティツィアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼなどを含む、約二〇〇年にわたるベネチアの画家たちの巨大な仕事も、ようやく終熄の時期を迎えていたのであった。・・・
・・・
この、空と水と石しかない町の画家たちは、しかし、自然の”風景”を描くことを得意としていた。この町では、余程大きな館にでなければ、庭園というものすらがありえない。・・・」

自らの身のまわりに存在しないものを描くことにかけての天才
 「巨匠たちは、自らの身のまわりに存在しないものを描くことにかけての、大天才たちであったのである。ジョルジョーネの『嵐(ラ・テンペスタ)』などが代表作となるものであろう。そうして二重に奇妙なことに、彼らが生れの町の、水と空とビザンチン風な聖堂と橋とゴンドラと人間を描くについて、オランダやベルギーなどの低地諸地方からタピスリー用の技術を導入して来て、それによって描いたものである。カルパッツィオの『イギリス大使着任図』が代表作となろう。

自らの身のまわりにない、非現実を描くについてわが持てる技術を存分に発揮し、自らの身のまわりの現実を描くについて、技術を他から借りて来る……。芸術、あるいは人性そのものが、その内奥にもつ秘密の一つであろうか。

一七世紀の末に生れたティエポロには、言うまでもなく大才があった。けれども、如何に大きな才能をもって生れた芸術家といえども、時代がその頽廃期に入っていたのでは、自らの才能を自分で食って行くようなことになってしまうのである。・・・」

ティエポロ作(ベネチア画派の最後の人)、宮殿王座の間の天井画『スペイン及びその諸地方』
 「ティツィアーノの”動く空気”、ティントレットの”青”を経て、ベネチア画派は、時とともに対象を見失って行く。・・・
・・・

ティエポロが、六六歳という高齢で、マドリードまで出掛けての仕事を引受けたことの理由、あるいは背景にどのようなものがあったか、それはわからない。しかし、つい自分の背後に、新しい時代の新しい力がひたひたと押し寄せて来ていたことだけは、暗黙に自覚されていたであろう。彼は二人の息子の助力をえて、新宮殿の天井に、全力をふるってフレスコ画を描く。そこには、神話中のもろもろの神々や女神たちが描かれてはいるのであるが、それらの神々、女神等は、すでに神々としての重みも威厳も失っていて、あたかも妖精ででもあるかのように、あるいは光そのものの破片ででもあるかのように、ベネチアの天空の夕陽に映えて浮遊しているだけである。
宮殿の、王座の間の天井画、『スペイン及びその諸地方』と題されたものは、おそらく様々な地方から来ていた人々からの示唆をうけて描かれたものであったろう。・・・」

ベネチアの夢幻劇の最終幕
 「この天井画で、しかし、もっとも人の目を惹くものは・・・、中央穹窿の光り輝く青の色であった。この青は、去りがてに去って行く夏の太陽に、バラ色に染め上げられた雲によってとりかこまれた、一つの穴のようなおもむきがある。その穴は無限へと抜けて出ているのであって、ティエポロとその画派は、この穴から訣別をして出て行ってしまうのである。ベネチアの夢幻劇の最終幕であった。
私はいつも、このティエポロの絵を見ているとき、マラルメの次のような詩の一節を思い出す。

逃げ出そう、かの空の高みへ逃げ出そう!
天使たちはどうやら酔っているらしい…・・・。

しかし、この甘美きわまりないものだけを描いたマドリードのデラシネ(根無草)の巨匠は、胸中に、どうやら言うに言われぬ苦いものを蔵していたようである。廃墟にかくれている魔女や、不吉の象徴としての梟のまんまるい眼や、蛇がうようよとはいまわっている版画を刻したというのであるが、私はそれを見たことがない。」

「ゴヤは後日、・・・サン・アントニオ・デ・ラ・フロリダの教会のフレスコ画を描くとき、誰よりもティエポロに学んだ手法を、全的に発揮するであろう。」
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