2013年12月15日日曜日

昭和18年(1943)2月8日~15日 ニューギニア・モレスビー作戦(マンバレーに撤退) ウィンゲート旅団のビルマ撹乱 客船「龍田丸」撃沈

北の丸公園 2013-12-12
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昭和18年(1943)
2月8日
・朝鮮半島での全面徴用実施
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2月8日
・華北政務委員会人事変更、新委員長に朱深が就任
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2月8日
・ニューギニア・モレスビー作戦、南海支隊戦死約7,600。
クムシ河口よりマンバレー地区に集結の南海支隊・増援部隊1万1千人中生存3,400人。
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2月8日
・ウィンゲート旅団のビルマ撹乱。
ウィンゲート挺身隊(歩77旅団)、インパール(インド東北部マニプール州の州都)からビルマに侵入。ミイトキーナ鉄道攻撃、第18師団防衛地域内。

1942年4月、痩せて背が高く「インドの族長のような顔・・・全身からジャングルと汗と戦争の臭いがただよっている」と称され、ゲリラ戦に異才をもつオード・C・ウィンゲート少将は、ウェーベル英インド軍司令官にニューデリーへ呼ばれ、長距離挺進隊を率いビルマ侵入の命令を受ける。
43年2月8日、ウィンゲート旅団はインパールからビルマ国境に向かう。英・グルカ兵約3千、ロバと去勢した牡牛1千頭の背に武器弾薬を積み、数頭の象を先頭に進む。シッタン川を渡り、湿地帯・ジャングルを突破し、ジビュー山系を越え、小部隊に分れて鉄道破壊作戦を開始。補給は空中投下に頼る。

中旬、北ビルマの中央を縦貫するミ-トキーナ鉄道沿線で、第18、33師団の一部が、兵力不明の敵に遭遇し、既に鉄道数ヶ所爆破も判明。
このウィンゲート旅団の状況は、捕虜訊問を通じ次第に明らかになる第15軍司令官飯田祥二郎中将は、第18師団主力と第33、56師団一部に掃討を命じるが、神出鬼没のウィンゲート旅団に振り廻され、ただジャングルを右往左往するだけ。

16日、有力な英軍部隊がチンドウィン河を渡り、北ビルマ方面に向ったとのビルマ人情報が入る。
19日夜、第33師団の1個大隊が行軍中、英軍の大部隊と遭遇し交戦、大隊長は戦死し、多くの損害を出す。そのうち、侵入部隊はイラワジ河を渡り、ビルマ中央部に現われる。この河の突破は、ビルマ防衛に危険を齎すもの。

4月頃、ウィンゲート旅団は自発的撤退。地形偵察、情報網設置、空挺部隊の降下適地確認、空中補給による長期戦闘の可能性、ジャングル内の大兵力戦闘法の研究等々、来るべき大反攻に必要な多くの事前調査を完了し、英軍にとって、ウィンゲート旅団の成果は大きい。
またウィンゲート少将の壮挙は、米軍も刺激し、やがて「マローダーズ」(掠奪者部隊)と呼ぶ特別遊撃隊をビルマに派遣する計画が立てられる。

日本側にとっても、ウィンゲート旅団の侵入は教訓的で、安全と思われた北ビルマの危険が感知され、同時にジャングル地帯も乾季は大部隊の作戦が可能であることがわかる。
この認識が後にインパール作戦を生む根拠になるが、ウィンゲート旅団の狙いについては、深く検討されなかった。

第18軍司令官牟田口中将は、最も大きな衝撃をうけ、このような挺進作戦をくり返されるとビルマ防衛は危険になると考える。また、英国兵の捕虜の自白で、国境方面での自動車道路建設が明らかになり、連合軍はビルマ奪回作戦のために、進撃道を作っていると考えられ、国境での大部隊移動は困難でなくなるとの認識は牟田口に大きな変化を与える。
牟田口中将側近で、インパール作戦計画を最も強く推進させた情報主任参謀藤原岩市少佐は、「牟田口中将の地形認識の一変と、その感受性の強い性格とあいまって、攻勢主義に一転した」と見る。
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2月8日
・豪華客船「龍田丸」、アメリカの魚雷攻撃を受けて沈没。
この日22時、伊豆諸島沖航行の客船「龍田丸(16,975t)」、米潜ターポンの魚雷攻撃を受け約20分で沈没。乗員・軍人軍属1481全員死亡。
当時海上は風速20m以上の大時化、護衛駆逐艦「山雲」は2回の爆発音を聞いて反転、「龍田丸」に近づき発光信号「イカニセルヤ」と問信、「龍田丸」は右舷回頭し船首を立てて海に沈む。
時化のため救助もままならず翌日から航空機も含め1週間沈没海域を捜索するも「浮遊物ノ片鱗ヲモ拾得スルニ至ラズ」、沈没原因も不明のまま。
戦後、事実が判明。
「ターポン」はSJレーダー(超短波レーダー)を搭載、大時化の闇の中で魚雷4本を発射。当時の日本ではこのような気象・海象状況での魚雷攻撃不可能。
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2月8日
・この日付「大本営機密戦争日誌」。
「斯くしてガ島の消耗戦は茲に終了し、船舶の消耗も次第に減少すべく予想せられ、大東亜戦争は再び常道に乗りたる感あり」

ガ島戦6ヶ月(1942年8月~43年1月)間に、500トン以上の船舶だけで310隻、約58.6万トンの船舶を喪失。
そして、開戦~ガ島戦終了時の被害総計は123.9万トン。
その間の新造、捕獲、引揚げなどを加えても、43年2月初め現在の船舶保有量は、508.7万トンという実状。
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2月8日
・ソ連軍、クルスク占領
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2月8日
・第8軍、チェニジアに入る。ジローの北西アフリカ・フランス軍参加。
3月2日、ドイツ軍、撤退開始。
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2月9日
・アメリカ、8時間労働制が実施
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2月10日
・雷州作戦、23軍、広州湾フランス租界に進駐
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2月10日
・第1軍(満州)司令官山下奉文、大将進級。
中将進級は昭和12年11月。中将~大将は少なくとも4年が必要だが、昭和16年11月にもシンガポール攻略(昭和17年2月)後にもそれはなかった。
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2月10日
・ハイラル輜重兵第23連隊長鈴木庫三中佐、白柳秀湖(日本文学報国会理事)より、「民族日本歴史」王朝編を送られる。この頃、新聞社・出版社関係者との連絡続く。
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2月10日
・アッバースら、アルジェリア人民宣言を発表。自治と民主的改革を要求。
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2月10日
・英当局に投獄のガンジー、無条件釈放要求し3週間の断食開始
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2月11日
・日本・ブルガリア友好文化協力調印
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2月11日
・200tの大サイクロトロンが完成
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2月12日
・劇作家倉田百三(51)、没。
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2月12日
・マレト線の攻防始まる
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2月12日
・~15日。ドイツ、『ウルスラ』作戦(ロガチェフ城でのソ連パルチザン掃討作戦)
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2月14日
・大日本仏教会、聖旨奉戴護国法要執行
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2月14日
・ソ連軍ロストフ占領
ドイツ軍、ロストフ、ボロシーロフグラードから撤退
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2月15日
・55師団、ラテドン(ビルマ)方面から英印軍に反撃
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2月15日
・「南洋地理大系」、軍機保護法抵触で発禁
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2月15日
・アメリカ第12空軍、目標にシシリー島を加える
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2月中旬
・迄に、ニューギニア、第18軍隷下第20師団(青木重誠中将)をマダンへ、第41師団(阿部平輔中将)をウエワクに展開済み
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