2022年12月8日木曜日

〈藤原定家の時代203〉元暦2/文治元(1185)年3月24日 壇ノ浦合戦(6) 〈のちの世にヒーローとなった上総悪七兵衛景清〉 「上総悪七兵衛景清は、降人に参りたりけるが、大仏供養の日をかぞへて、建久七年三月七日にてありけるに、湯水をとどめて終に死にけり。」(『平家物語』)

 

国芳〈耀武八景 東大寺晩鐘 悪七兵衛景清〉

〈藤原定家の時代202〉元暦2/文治元(1185)年3月24日 壇ノ浦合戦(5) 〈戦場を離脱した盛久と盛嗣のその後〉 より続く

〈藤原定家の時代203〉元暦2/文治元(1185)年3月24日 壇ノ浦合戦(6)

〈のちの世にヒーローとなった上総悪七兵衛景清〉

「上総悪七兵衛景清」とは、上総介の七男で、兵衛尉の任にあった荒々しくて強い男と言う意味。景清は上総介藤原忠清の末子で、忠綱や五郎兵衛・忠光らの弟。

治承4年(1180)3月4日、新帝安徳天皇を守護する瀧口の武士(17名)として補された。のちに「滝口入道」として名を残す藤原時頼もこの時、瀧口の武士に選ばれている。時頼は17歳、景清も恐らく17~18歳だったろうと推察できる。

景清の瀧口の武士在任は、短期間に終ったらしい。景清が瀧ロに補されてから間もない5月に頼政の挙兵があり、治承・寿永の内乱が始まり、彼は平家方の有力な部将として出陣した。間もなくは兵衛尉に任官し、父忠清に従って東国征討の軍旅に加わった。

富士川の合戦(平氏の敗戦)後の11月1日、平家の侍大将であった父藤原忠清は、遠江国府から宗盛に書を致し、末子の景清を信濃守に任じ、追討使とされるよう請うている。しかし、この件は維盛が同意せず、忠清自身は敗軍の責任を問われている時でもあり、実現しなかった。

その後、景清は、北陸戦線を初め各地に転戦。中でも一ノ谷における景清の奮戦は凄じかったという。また、屋島における景清の「錣(しころ)引き」のような武勇談は創作された説話であるが、景清が壇ノ浦の合戦に至るまで戦場で大いに奮闘した。

『錣(しころ)引き』;

錣は、後頭部から首にかけての部位を守る目的で付けられた兜の一部分。景清は、源氏方の美尾屋十郎の錣を素手で引きちぎったという(『平家物語』巻11「弓流」)

景清は、壇ノ浦後、兄の上総五郎兵衛尉忠光や越中次郎兵衛尉盛次らと共に落ち延び、平忠房が紀伊国の湯浅城で旗上げをした時、これに参加した。

ただし、建久7年の伊賀大夫平知忠の叛乱に彼が参与したかどうかは不明。

景清は、潜伏中の建久5年~6年の頃、母方の叔父で日本達磨宗の始祖である能忍を誤って殺害した。その日、能忍は来訪した景清を歓待するため、弟子に命じて酒を求めに走らせたが、景清は、自分の所在を密告するために弟子を走らせたと誤解し、能忍を斬殺し逃走したと言われている(異説あり)。

その後の消息は不明であるが、『平家物語』長門本巻20に、

「上総悪七兵衛景清は、降人に参りたりけるが、大仏供養の日をかぞへて、建久七年三月七日にてありけるに、湯水をとどめて終に死にけり。」

とある。但し、東大寺の供養は建久6年3月12日なので、長門本が記載する日付は間違っている。

景清は、平家再興の望みは途絶え、10年余の逃亡・潜伏生活に疲れを覚えたのであろうか、鎌倉に自首した上で食を絶って自殺したということになる。

謡曲『大仏供養』(作者不明);

戦場から脱出し、都に上った景清は、17日間、清水寺に参籠。ついで、ひそかに奈良に潜入し、母を訪ねて一夜を語り明かした。翌日、景清は春日社の社人に変装して供養場に紛れ込み、頼朝に近づこうとたが、従臣たちに看破られてしまう。警固の武士たちが打ち取ろうとすると、景清は愛刀の痣丸(あざまる)を抜いて斬り払い、やがて痣丸をさしかざし、隠形の呪文を唱え、春日山の茂みの中に消え失せてしう。

謡曲『景清』(世阿弥の作);

景清の娘の人丸は、鎌倉の亀ケ谷に住んでいたが、なんとしても父に逢いたく、日向国宮崎まで訪ねて行った。盲目の乞食となっていた景清は、現在の自分を恥じて父と名乗らず、詳しいことはよそできくようにと言って娘を帰した。しかし、人丸から事情をきいた里人は、彼女を景清の許に伴って彼を諌め、親子の名乗りをさせる。景清は、娘の請い求めるままに屋島の合戦の話や錣引きの武勇談をきかせ、今は衰え果て、心さえ乱れてしまったのを恥しいと述懐する。今は余命いくぱくもないこと故、早く帰って自分の亡きあとを弔ってくれと語り、娘を故郷に帰す。

室町時代に作られた幸若舞の曲『景清』では、捕われて頼朝から助命され、日向国に広い土地を与えられた景清は、復讐の念を断つために両眼を抉り取って西国に発ったと叙ペられている。

なお、『吾妻鏡』の記述によれば、景清の兄、上総五郎兵衛尉忠光は、鎌倉二階堂の永福寺の造営中、頼朝を暗殺しようと土工にまぎれこんだが、怪しまれて捕縛されている。


つづく



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