2022年12月25日日曜日

〈藤原定家の時代220〉元暦2/文治元(1185)年7月27日~7月29日 「佛厳房来たり。夢想の事を談る。天下の政違乱に依って、天神地祇怨みを成しこの地震有るの由なり。」 「然れども帰する所猶君にあり。何に況んや、その外の非法濫行、不徳無道、勝げて計ふべからず。且つ又流人の間、誤たざる輩等あり。かくの如き等の事、頗る慈仁施されずば、天下叶ふべからず。」(『玉葉』)    

 


〈藤原定家の時代219〉元暦2/文治元(1185)年7月9日~7月26日 建礼門院徳子、大原の寂光院へ移る 後白河、義経に地震後の混乱に乗ずる群盗警戒を命じる より続く

元暦2/文治元(1185)年

7月27日

・この日、まだ余震がつづいているさ中、右大臣家に祈祷僧として出入りしている仏厳房という上人が、兼実のもとを訪れ、自分が体験した夢想のことについて語り、天下が乱れているため、天神地祇が恨んで地震を起こしたという告げが、夢の中で示されたという。

「佛厳房来たり。夢想の事を談る。天下の政違乱に依って、天神地祇怨みを成しこの地震有るの由なり。今日、地中鳴ると雖も震動に及ばず。昨日に至り連日不同。或いは両三度、或いは四五度。またその大小不同。連々不断なり。」(「玉葉」同日条)。

この仏厳房は、この5日後にふたたび兼実を訪ね、より詳しく具体的にその夢想の内容を明かしている。

この大地震を衆生の犯した罪障に対する天神地祇の怒りによるものだとし、源平の争乱で国中に死者が溢れたのもつまるところはそうした罪障によるもので、ことに大きな責任は後白河法皇にあり、その非法や濫行そして不徳や無道の数々がこうしたことを引き起こすもとになったとして、なかんずくこのたび流罪に処せられた人たちの中には罪もない者が含まれており不当であると糾弾。いたずらな祈祷などは無意味で、これを乱すには仁慈に満ちた施政が必要だとしている。きわめて峻烈な国政批判であり、痛烈な後白河への糾弾である。

「この日仏厳聖人語りて云はく、去る頃夢想の事あり。赤衣を着たる人、かの聖人の房〈法皇の御祈りを修し奉る壇所の傍〉に来たり、聖人に謁して曰く、「今度の大地震、衆生の罪業深重に依り、天神地祇瞋(いか)りをなすなり。源平の乱に依り死亡の入国に満つ。これ則ち各々の罪障に依りその罪を報ゆるなり。然れども帰する所猶(なほ)君にあり。何(いか)に況んや、その外の非法濫行、不徳無道、勝(あ)げて計ふべからず。且つ又流人(るにん)の間、誤たざる輩(やから)等あり。かくの如き等の事、頗る慈仁施されずば、天下叶ふべからず。汝等修する所の御祈り、凡そ衆僧の御祈り等、効験量(はか)り難し。悲しむべし悲しむべし。然る間、下官手づから丈尺の杖を取り、地上に降り立ち、京都の狼籍を糺定(きうてい)す。始め九条より漸く京中に入り、一条に及ばんとす。或は人屋を壊退し、或は路頭を栖掃し、その非違を糺し、忽に正路を通ず。聖人中心にこの事を悦ぶ。爰に赤衣の人聖人に語りて云はく、かの〈下官をさすなり〉沙汰としてこの法を行はれば、天下正に帰し、禍乱起らず、祈祷験を彰はすべきものなり。然らざれば、叶ふべからず」と云々。

この夢を見了(をは)り、法皇に注進す。但し非法乱行に依り、天下治まらざる事、幷びに余正路を開く等の事、秘して奏せず。その故は君臣共に隔心あり。正夢を以て奏聞すと雖も、天下の人信用すべからず。恐らくは偽夢詐言(ぎむさげん)に処するか。自らのため他のため、恐れあり益無き故なりと云々。

その後又両三日を経て夢に云はく、帝釈(たいしやく)の御侯と称する者一人、出で来たり(その体を見ず)語りて云はく、「汝幷びに衆僧所修の御祈り等の功力に依り、法皇の御寿命に於ては、この般延べ了んぬ。但し天下の禍乱に於ては、この御祈りの力を以て叶ふべからず。仍つて明日日中の時、御祈りを結願すべきなり」といへり。

この夢又禍乱止むべからざる由は奏聞せず。これ又時議に叶ふべからざる故なり。即ち御祈りを結願し了んぬと云々。

愚心これを案ずるに、以前の夢、その事を以て天下治むべき由、掌(たなごころ)を指しこれを見る。而るにその事天聴に達せず。又施行無き間、後の夢に御祈りに依り天下の禍乱止むべからざる由これを見る。尤もその謂はれあるか。下官至愚と雖も、社稷(しやしよく)を思ふ志、已に人に勝れたり。仍つて自ら天意に叶ひこの霊告あるか。微運に依りその事顕はれず。只宿運を悲しむべき者なり。」(『玉葉』)


〈要約〉

ある夜、夢の中に赤い衣を着た人が現れて、聖人に対面してこのように云った。「今度の大地震は、衆生の犯した罪障が深いため、天の神や地の神が怒って起こしたものである。ここのところ、源平の乱のため国中に死者が満ち溢れた。これはつまるところ、人びとの罪障によるもので、その罪に対する報いとしてなされたのである。けれども、そのすべては法皇の責任に帰する。そのほかにも非法や濫行、不徳や無道の数々は、数えきれないほどである。さらにまた、流罪に処された人びとの中にはなんの罪も犯さなかった者も交じっているというありさまである。このようなことについて、仁慈のまつりごとをおこなわなければ、天下はとても治められるものではない。お前たちがおこなっている祈祷も、多くの僧侶たちがおこなっている祈祷も、とてもその効果は期待できない。悲しいことよ。悲しいことよ」と。

そこでわたし兼実が、手に一丈余の杖を持ち、この地上に降り立って、京都の町の狼籍を取り締まることになった。はじめは九条の方からやっとのことで都の中に入り、一条に向かって、途中家屋を取り壊したり、道端を栖掃したりしながら、人びとの非違をただし、たちまちにしてまっすぐな道をそこに通したのである。それを見て、聖人は心の中で非常に喜んだ。その時、赤い衣を着た人が聖人に語って云うには、「この人(つまり私をさす)のはからいとして、法律が順守されたならば、天下の政道はただされ、わざわいや乱暴狼籍は起こらないようになり、祈祷も効果をあらわすようになるだろう。そうでもなければ、とても事は叶わないであろう」とのことであった。

この夢を見おわり、私はその旨を法皇に注進した。しかし法皇自身の非法や乱行のため天下が治まらないと云ったことや、私が天下を正しい路に導くといわれたことなどは、秘して奏上しないことにした。なぜかというと、いま君臣の間には心の隔たりがあり、夢に見たとおりを奏聞しても、天下の人は決して信用しないに違いなく、恐らくは偽りの夢であり虚偽の言葉だとして処理されることであろう。私自身にとっても、周囲のほかの人たちのためにも、恐れがあり益のないことと思われたからである。

ところが、その後また二、三日経ってから、夢の中でこんなお告げがあった。帝釈天のお使いと称する者が一人現われて(ただしその姿は見えなかった)、語って云うには、「お前や多くの僧侶たちが行なった祈祷の功徳によって、法皇のご寿命についてはこの際延長するようにとりはからった。ただし天下の災厄や騒乱に関しては、この祈祷の力ではとても鎮めることはできない。だから明日の日中にご祈祷は結願としたほうがよい」とのことであった。

この夢についても、また災厄や騒乱は鎮めることができないというお告げについては奏聞することをさし控えた。これまた、現在の事態に望ましくないと思われたからである。そこでご祈祷を結願ということにした。

私にこのことを思案してみるに、前に見た夢では、そのことをもって天下を治めるべき指標が、手のひらを指して見るように明確に示されたが、それを法皇のお耳には達せず、その結果これが行われなかったために、後に見た夢の中でいかなる祈祷をおこなっても天下の災厄や騒乱は治まらないというお告げを見ることになったのである。これはまことに理の当然といってよい。私は愚かではあるが、天下国家を思う心は余人よりすぐれていると自負している。そこで自然とそれが天意に叶って、このようなお告げが下されたのであろう。ただ運勢が弱いためそれが思うように実現しない。その宿運を悲しむばかりである。


7月29日

・院近臣高階泰経の書状、鎌倉に届き、平氏の縁で流罪となった僧の赦免を要請。

兼実の許を訪れた仏厳の夢想のことが報じられ、「平家の縁坐ということで関係ない人までが流罪に処せられたことが地震の原因であるとの告げがあった。宮廷では、滅亡した平家の人びとの罪障の消滅を願って、去る五月二十七日から不断の御読経をはじめており、流罪に処せられた人たちを減刑するよう沙汰がなされた。したがって武家の側でも、しかるべく恩免がなされるようとりはからわれたい」という内容。

「泰経朝臣の消息到着す。今月上旬の比、佛厳上人の夢中に赤衣の人多く現れて云く、無罪の輩、平家の縁坐として、多く以て配流の罪を蒙る。故に地震等有りと。凡そ滅亡の衆の罪を消さんが為、去る五月二十七日不断の御読経を始行せられをはんぬ。然れば流罪中の僧等の事は、免許有るべきかの由その沙汰有り。相計り申し宥めしめ給うべきの趣なりと。」(「吾妻鏡」同日条)。

「高倉の宮一定御坐すの由風聞すと。未曾有の事なり。地震なお止まず。」(「吉記」同日条)。


つづく



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