昨年、近代美術館で荻原守衛の「女」に遭遇して非常に驚いたことがあった。
東京 国立近代美術館で荻原守衛のブロンズ『女』に遭遇した
で、今回のMOMATコレクション展でまた驚いたことに、同じく荻原守衛の「文覚」「坑夫」と、さらに高村光太郎「手」までが一同に展示されている。
これにあと、守衛の「デスペア」「労働者」があれば、守衛の代表作が殆ど揃うんじゃないかな。
文覚は、荻原守衛と黒光との関係を強調するために下記のような説明になっているが、この人は、後白河と渡り合ったり、頼朝に挙兵を薦めたり、自身も何度も流罪の憂き目を見たりするほどの剛の人である。守衛の作品にもその面影が見えるように思う。
文覚について (1) 『平家物語を知る事典』(人物編)より
「女」「文覚」「坑夫」、ゆっくり鑑賞させて貰った。
▼荻原守衛(1879-1910)
「女」(1910明治43年)
頭の中でけっこうです。ポーズを真似してみて下さい。
両膝をつき、胴体を右にひねり、顔はさらに右にひねって上をむく。
身体全体が螺旋を描いて上昇する作りになっているのがわかります。
守衛はフランスの彫刻家、オーギュスト・ロダンの影響を日本にもたらした作家の一人です。
ダイナミックなひねりの運動がその最大の特徴です。
ちなみに守衛は、新宿中村屋の女主人、相馬黒光(1876-1955)をひそかに慕っていたと伝えられます。
遺作となったこの作品には、黒光の面影があるとも言われています。
▼荻原守衛(1879-1910)
「文覚(もんがく)」(1908)
文覚(1139-1203)は12-13世紀の日本の僧です。
もとは遠藤盛遠(もりとお)という武士でした。
『平家物語』によると、源渡(みなもとのわたる)の妻、袈裟御前(けさごぜん)に恋をし、渡を殺して袈裟御前を奪おうとしたところ、誤って袈裟御前を殺してしまったあため出家したとされます。
作者の荻原守衛は、新宿の菓子舗、中村屋の女主人、相馬黒光に恋をしていました。
黒光が鎌倉成就院にある文覚自作の木彫の話をしたことに刺激を受け、この作品を制作したといいます。
▼荻原守衛(1879-1910)
「女の胴」(1907)
▼荻原守衛(1879-1910)
「坑夫」(1907)
▼高村光太郎(1883-1956)
「手」(1918大正7年頃)
一見複雑そうなこの作品のポーズを真似るコツをお教えしましょう。
まず左手の5本の指を揃え、中指と人差し指を垂直に立てます。続いて親指をできるだけ前に出し、反対に薬指と小指は後ろに引きます。指が吊りそうですが、これで完成です。
つまり、まっすぐな中指と人差し指を軸にして、左右の指を前と後にひねるのです。
高村光太郎は《女》の作者、荻原守衛とともに、ロダンの影響を日本に広めた彫刻家です。
したがって《手》の見どころも、守衛の《女》同様、螺旋形の力強いひねりと言えます。
ちなみに、「デスペア」と「労働者」はコチラ ↓
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