2013年8月13日火曜日

長元8年(1035)3月~12月 延暦寺と園城寺の抗争 「小犬丸妻秦吉子解」 

北の丸公園 2013-08-07
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長元8年(1035)
3月7日
・延暦寺僧徒、園城寺三尾明神祭に赴き乱闘。
29日、園城寺僧徒、延暦寺権僧正明尊の山上坊舎を焼く。
延暦寺と園城寺の抗争、12世紀まで続く。
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5月2日
・この日付の「小犬丸妻秦吉子解(はたのよしこのげ)」(「九条家本延喜式裏文書」収載)は夫小犬丸が獄所に拘禁されたので、妻である秦吉子が夫の釈放を検非違使庁へ願い出たもの。

牛飼童である小犬丸はその日、「榑(くれ、板材)を交易せむが為、三条京極に罷り向かふ」時に拘禁されたとあって、材木の売買に従事していたことがわかる。
三条京極は東海道から京都への入口である粟田口へ向かう地点であり、鴨川も近く、物資の集積場だったと考えられる。
貴族に仕える従者の中で異色な存在として、牛飼童(うしかいのわらわ)がある。
牛飼童は、大人になっても元服せず、童子姿のままで、名前も「犬男丸(いぬおまる)」といった幼名のまま、貴族の家で牛の世話に奉仕する特殊な従者であった。
彼らは単に貴族の家で牛の世話をしていたばかりではなく、中には副業として牛や車を使って材木などを運送し売買していた。
このように、庶民たちの世界は広がっていた。
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5月16日
・藤原頼通、高陽院(かやのいん)水閣歌合(うたあわせ)を催す。
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5月30日
・フランドル伯ボードワン4世(有髭)、没(位988~1035)。ボードワン5世(リールのボードワン)、即位(位1035~1067)。
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7月3日
・6代ノルマンディ公ロバート(ロベール)1世、巡礼途上小アジアの古都ニケーアで病没(位1027~1035)。
ウィリアム2世征服王(7)、7代ノルマンディ公爵となりフランス王ヘンリ1世に臣従を誓う(1028~1087、位1035~1087、イングランド王1066~1087)。
西部ノルマンディ貴族、代々のノルマンディ公の抑圧に不満、次々と反乱。フランス国王アンリ1世、反乱援助。

ノルマン王朝創始者。フランス貴族ノルマンディー公ロベール1世庶子、母は皮なめし職人娘アーレッテ、フランス読みでギョーム。
イングランド王位継承争に介入。
1066年1月サクソン人最後の王エドワード懺悔王没により、ノルマンディー公ウイリアムは王弟ハロルドとイングランド王位継承権を巡り争う(ウィリアムはエドワード王の従兄弟で、ウィリアムがイングランドを訪れたとき後継者に指名されるが、ハロルドはそれを不服とする)。
ハロルドは過去に捕虜になったところをウィリアムに助けられ、その時ウィリアムに臣下の礼をとる。ウィリアムは、臣下が王を名乗る不法を口実にイングランドになだれ込む。
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10月14日
・源師房(1008~77)、権大納言に補任。
村上源氏。父具平親王、母為平親王女子。本名資定王。
寛仁4年(1020)12月26日元服、源姓を与えられ臣籍降下、名を師房に改める。後朱雀天皇の春宮時代、大夫をつとめ、後三条天皇の信任篤い。のち「土御門右大臣」と呼ばれる。

藤原通任(974~1039)、権中納言補任。父済時。

藤原経通(982~1051)、左衛門督に補任。北家。
父懐平、母源保光の女子。権中納言補任は長元2年正月24日、治部卿は治安元年正月24日。「土御門帥」と号す。

源道方(969~1044)、民部卿補任。宇多源氏。権中納言(補任は寛仁4年11月29日)。
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11月12日
・クヌート1世(39、カヌート大王)、没。(996~1035、位1016~1035、妻エマ、ノルマンディ公リシャール2世妹)。
カヌート大王と前王妃エルジバの息子ハロルド・ヘアフットがイギリス王ハロルド1世に、弟ハルタカヌート(ハーディカヌート)がデンマーク王になる (1035~1042)。
この後、「北海帝国」が崩壊に向かう。
カヌート大王はイングランド、デンマーク、ノルウェー3国の王として17年間治世。
ノルウェー王マグヌス1世、即位(位1035~1047、12年間)
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12月14日
・地震あり。
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