2025年9月1日月曜日

大杉栄とその時代年表(604) 1905(明治38)年9月1日 各新聞、一斉に日露講和条約反対の論陣  「大阪朝日新聞」 第1面真ん中に黒枠。中に「請和条件」と見出し。「…一切日本の譲歩のみにして、吾人はこれを急報するを恥ず。今御用紙国民新聞の報じたる講和否請和条件なる者を左に掲ぐ」と記し、「国民新聞」記事を転載。その下、紙面の1/4の大きさで折れたサーベルを前に草むらに転がるしゃれこうべ、その目から涙。 社説「天皇陛下に和議の破棄を命じ給はんことを請い奉る」は、未調印の講和条約破棄を天皇に願い、「重ねて軍人に命ずるに進戦を以てしたまわんことを」と、戦争継続を要望。

 


「大阪朝日新聞」(1905(明治38)年9月1日)

大杉栄とその時代年表(603) 1905(明治38)年9月 夏目漱石『一夜』(「中央公論」) この小説を夏目に書かせるために毎週のように通って来ていたのは、「中央公論」の編輯者で東京帝大法科に籍を置いていた滝田哲太郎(23歳、秋田出身、仙台・第二高等学校から東大文科、明治37年法科に転じる)。 滝田は漱石に心酔し、次作をもとめて夏目家に通いつづけた。 より続く

1905(明治38)年

9月1日

各新聞、一斉に日露講和条約反対の論陣を敷く。「国民新聞」以外。

「大阪朝日新聞」の紙面。

第1面真ん中に黒枠。中に「請和条件」と見出し。「…一切日本の譲歩のみにして、吾人はこれを急報するを恥ず。今御用紙国民新聞の報じたる講和否請和条件なる者を左に掲ぐ」と記し、「国民新聞」記事を転載。その下、紙面の1/4の大きさで折れたサーベルを前に草むらに転がるしゃれこうべ、その目から涙。

社説「天皇陛下に和議の破棄を命じ給はんことを請い奉る」は、未調印の講和条約破棄を天皇に願い、「重ねて軍人に命ずるに進戦を以てしたまわんことを」と、戦争継続を要望。

「東京朝日」社説「講和談判の成立」(池辺三山)

講和条件中の満韓処分問題は、既に日本が「実力」で解決したことであり、償金、割地、露艦交付、ロシアの海軍力制限が講和条件であるのに、政府はこの主張をことごとく放棄した、樺太分割もロシアの提議であり、講和はロシアの言うままになった。これらは日本政府による日本国民の侮辱である、と主張。社説(池辺三山)「説明の必要」(「東京朝日新聞」2日~5回)、桂の責任追及

「万朝報」

「弔旗を以て迎えよ」の題を掲げ、「彼(小村全権)の帰朝の日は、市民一切閉戸して顔を彼に背けよ」と呼びかけ。社説「嗚呼、千古の大屈辱」

「報知新聞」

社説「批准拒絶の一途あるのみ」

3日付「報知新聞」、「国民と軍隊とは全く桂内閣及び小村全権に売られたり」と慨嘆。

「時事新報」ポンチ絵「ウィッテの七笑い」(2日)。

「時事放言」(「時事新報」)は、ルーズベルトの仲介は日本から働きかけたのではないか、そうなると、講和会議前に日本は譲っているので小村を責めるのは酷とはっきり指摘


「国民新聞」

社説「講和成立」、満韓問題処理という開戦目的を達したとの政府と同一見解に立ち、「吾人と雖も若し出来得可くんば或る極端なる論者の如く樺太のみならず沿海州を割取し、バイカル湖を以て其区分界とせんと欲せざるにあらず。然れども是れ赫々たる戦功より幻生したる空想にして、是を実現せざるが為に直に平和条約を詛うが如きは是れは寧ろ狂漢に類せずや」と述べる。

9月1日

午後2時20分、首相ら、治安対策協議(内相芳川顕正、法相波多野敬直、内務省警保局長仲小路路廉ら)

9月1日

夜、桂首相官邸に石が投込まれ、紙屑買いに変装した3人が門内に入ろうとして逮捕。

9月1日

桂の官邸から歩いて10数分の赤坂榎坂にある愛妾お鯉(24)のもとにも「桂を殺せ」などの手紙が届く。

お鯉:新橋の評判の美妓、安藤照、2~3ヶ月前に落籍。桂は54歳。1903年6月ロシア陸相クロパトキン歓迎会でお鯉を知る。

9月1日

講和問題同志連合会総会。9月5日日比谷公園で国民大会、その後新富座で演説会、終了後芝・紅葉館で懇親会の開催決定。3日、ビラ3万枚出来あがる。

9月1日

「○還しっちまへ還しっちまへ 熊公

何だ馬鹿馬鹿しい、樺太が半分になった上に償金が一文も取れネーというぢゃネーか。己ら昨夜号外を見てから腹が立って忌々しくって夜の目も合わなかった。一体政府は何でアシナに弱かったのか。己らアさっぱり合点が行かネー、アンナ事なら己らア稼人の体を二人迄戦争に遣って殺してしまうんぢゃネーンた。」


「○村内の申合 神奈川某村民

我等同村の有志は一同申合せ、今後戦争の相起り候うとも、兵役の召集は勿論、国債の募集にも一切応ぜざる決議いたし候。若し之が為に露探などと罵しらるること有之候わは、露操の好模範は誰が示したるぞとやり返す覚悟に候。」

(「講和条約に関する投書」『東京朝日新聞』)

9月1日

東京株式市場暴落。

9月1日

日本製銅硫酸肥料株式会社創立(岡山県)。資本金100万円。

9月1日

鈴木商店(名)、小林製鋼所買収。神戸製鋼所と改称。1911年6月分離して株式会社神戸製鋼所に改組。資本金140万円。

9月1日

(漱石)

「九月一日(金)、曇。夜、寺田寅彦と共に、若竹亭に行く。野村伝四も来ている。竹本朝太夫の『新版歌祭文』「野崎村の段」を聴く。

九月二日(土)、曇。寺田寅彦来て、日比谷公園の音楽堂で行われる音楽会に誘われる。坂本四方太と若竹亭に行くので断る。

九月三日(日)、曇。坂本四方太と上野の日月会を見て、根岸の岡埜栄泉(菓子製造販売、下谷区坂本町二丁目十九番地、現・台東区池之端)から中村不折(下谷区中根岸町三十一番地、現・台東区根岸三丁目十二番二十二号)を訪ね、夜、若竹亭で竹本朝太夫を聴く。」(荒正人、前掲書)

「上野公園二号館で開かれた美術展覧会。八月十五日(火)から九月二十八日(木)まで、第一部絵画(第一類日本画、第二類西洋画)、第二部彫刻(当分陳列を除く)、第三部図案(美術工芸応用)、第四部新古参考品である。漱石と坂本四方太が、どんなふうに見て歩いたか、よく分らぬ。」(荒正人、前掲書)


9月1日

米、日露休戦に関する協定(議定書)調印。

9月1日

カナダのサスカチェワンとアルバータ、連邦加入。


つづく


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