2016年5月4日水曜日

「教養」とは「勉強」ではなく「自分を解放すること」である!?(中原淳)  ; 教養(リベラルアーツ)とは、もともと、日常生活で獲得してしまった様々なドクサ(教条・因習・固定化した概念)を相対化し、ぶちこわしながら、「自己を解放すること」ができるということ


 (略)

教養とは、知識を頭に詰め込んで「能力を向上させる」的なメタファで語られるものじゃないんじゃないの

と思うのです。



よく知られているように、教養(リベラルアーツ)の原義は、聖書(ヨハネ書)にあるワンセンテンス

「真理はあなたがたを自由にする」

という言葉にあると記憶しています。

もともとリベラルとは「自分に力をつける」ものではなく、「自分を解放する」という意味です。

つまり、日常生活で様々に獲得してしまった素朴概念、ステレオタイプ、思い込み、そして流行の言葉やコンセプトを解体し、疑い、、自分を自由にすることこそ、教養です。

もちろん、相対化しうる概念のひとつには、たとえば、「人間力」といった「意味不明な怪しげな概念」も含まれましょう(笑)。

教養(リベラルアーツ)とは、もともと、日常生活で獲得してしまった様々なドクサ(教条・因習・固定化した概念)を相対化し、ぶちこわしながら、「自己を解放すること」ができるということです。

一言でいえば、

教養とは、ステレオタイプをUnlearn(学びほぐし)、自己を開放すること

ではないかと思うのです。

あるいは、

教養とは"自省の学"である

といってもよいかもしれません。

 (略)

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