北の丸公園 2014-08-05
*自画像
ゴヤは、いまやプチ・ブルジョアである
「一七七六年の六月から一七八〇年の早春までに、ゴヤはカルトンの仕事、いくつかの肖像画、それにベラスケスを模写した銅版画などで、二万四〇〇〇レアールをかせいでいる。
これは決して少ない収入ではない。・・・スペインでの一般の生活水準と比べれば、この収入は相当なものなのである。
ゴヤは、いまやプチ・ブルジョアである。
この時期の自画像を描いておかなければならぬ。
・・・
彼はどんな顔をしているのか。」
1775年~1780年に制作された自画像:なかなかのダンディーである
「一七七五年から一七八〇年の間に制作された自画像がある。それは、たった一つの全身像であった。
画家は、おそらくは早朝の光りとおぼしい窓一杯の外光、つまりは逆光線のなかに立っている。左手にパレットを持ち、右手には画筆をもって大型のカンバスに向っている。・・・
頭にはシルクハット類似の円筒形の帽子をかぶっている。帽子のツバはせり上っていて、派手なリボンがまいてある・・・」
「・・・帽子から長く肩まで届く髪が垂れ下っていて、金糸銀糸による縁どりのついたマホ風の、きわめて立派な短胴衣を着ている。そうして胸には、レースのコルバータ・・・をつけていて、それが逆光に透けて見えている。
なかなかのダンディーである。これが青春というものなのであろう。
もしこの服装のままで外出したとすれば、それはもう完全にマホと見なされるものであってその他ではありえない。・・・彼はおそらく本物のマハたちにも、またマハ姿に身をやつした上流階級の女たちにももてたであろう。・・・」
もうひとつの自画像:なんにしてもドン・ファン的な要素を多分に見せた自画像である
「もう一枚、多分自画像であろうと推定されている、大きなソンブレロをかぶった顔だけの未完成画がある。
これはちょっと下った眼尻も、肉づきのよい堂々たる鼻と頬、それにいまにも女体に吸いついて行きそうな赤く部厚い唇など、なんにしてもドン・ファン的な要素を多分に見せた自画像である。」
これら二枚の自画像をじっと見ていると、若き日の彼が愛した生活、彼が愛したスペインというものが、彷彿として浮び上って来る
「それは、まさに彼がタピスリー用のカルトンに描いた、牧歌化され、田園詩化された一八世紀末のスペインである。
それは現実ではない。・・・」
「一八世紀スペインにあって、貴族と高位の聖職者を除いて、生涯に飢えを知らなかった者はいなかった。」
「・・・ゴヤが愛したものは、そういう、生と死の密着した、むき出しのスペインであった。」
「しかし、まだ若き日のゴヤは、その生と死の密着したむき出しのスペインを、宮廷と、高位聖職者の位置からして見ようと努めている。
彼は努めている。しかし、努力というものには限界があるであろう。
いつかはむき出しの現実が、ぬっとその怖ろしい顔を突き出して来るであろう。
そのとき、彼のなかに息を詰めて棲息しているもう一人の地下生活者が、彼に現実の何たるかた突きつけるであろう。」
1783年制作の、もう一枚の自画像:重々しいゴヤ家の家長としてのゴヤ氏
「・・・ゴヤはまったく違う人物として現前して来る。
その顔だけをとりあげて言うとすれば、それは壮年に達したアラゴンの気力旺盛な百姓のそれであろう。・・・彼は三七歳なのである。
この自画像は、サン・フランシスコ・エル・グランデ教会に装飾画を奉献したとき、その画中に自身を描き込んだ、そのための下絵として描いたものに、後になってカンバスの緑止めと画筆を付け加えて自画像としたもののように推察される。
ここについに壮年に達したゴヤは、本質的にはアラゴンの百姓ではあっても、その外見は、要するに重々しいゴヤ家の家長としてのゴヤ氏である。
この絵の前に立った人は、誰にしても、フランシスコ・デ・ゴヤ氏、と呼ばざるをえなくなる。」
「ゴヤ家の堂々たる家長として、彼は栗色の大きなマントを着け、胸を張って世間を睨みつけている。」
「家長としての彼の、一家一族の生活がうまく行っているかどうかという懸念は、この頃以降、実に彼の生涯にわたって彼をわずらわせたものであった。宮廷画家になりたいという熾烈執拗な欲望もまた、そこから出ていたものであった。」
「黒い長髪は吸い込むような背景にとけ込み、栗色の大きなマントの襟許には、白いレースの襟飾りが、小さな稲妻のようにして走っている。
がっしりとした広い額の下で、一対の黒い眼が、いささか観る人に挑戦をするような強い視線を放っている。鼻もロもが意志の強さと、かつての自画像に見られなかった、いわば自信とが加わって来ていることを物語っている。とがっていて、そろそろ二重になりかけている顎もがっしりとして、顔の大柄な造作を支えている。
そうして、耳、である。」
「・・・戦わざるものは、はじめから敗者でなければならぬ。
ゴヤ家の家長として、世間に対しては、そろそろ中年肥りにふとって出て来た腹を突き出して斜にかまえてはいるものの、一旦緩急あれば正面切って立ちはだかり、ゴヤ家とその名誉を守らねばならぬ。
いまとなっては、ゴヤ家の馬車の、〝輪ッパに棒を突っ込む″奴らなどは、立ちどころに叩き殺してやる。」
彼はすでに彼自身に到達しているのに、彼自身はそれに気付いていない
「彼の前半生を刻み込んでいる、これら三枚の肖像画を、他の注文画と比べてみるとき、その技術の自在さ加減は、実におどろくべき差異を皇している。相手が自分自身であれば、大勢順応主義者である必要がまったくなかったところに、その理由が求められるものであろう。
自由に、自在に、自らそうあってほしいと思う自分を、自分で描けばいいというだけのことである。逆光の中に立って、光りと戯れてみせることも、絵具をぐっと盛り上げて形態とその最感を出してみせることも自在に出来る。
彼はすでに彼自身に到達しているのに、彼自身はそれに気付いていない……。
これら三枚、あるいは後の時期の二枚の自画像を見るとき、彼の進歩の遅さ加減、彼自身に到達する道の遠さ加減、まわり道や迂回、サイクルを描いてティエポロに戻ったり、メングスのところへ駈け寄ったりするジグザグの回路は、これは彼が意識的にやって来たことではなかったか、と疑われさえするのである。」
ぼくは老いた、四一という年が重くのしかかって来る
「彼はすでに四〇歳になんなんとしている。そうして一七八七年の秋には、
ぼくは老いた、四一という年が重くのしかかって来る。
とそう親友に告げて彼は画室に閉じこもり、幾日も幾日も出て来ない。突然、まったくの寡黙の人になってしまう。
顆むから聖母マリアに祈ってくれ、ぼくが仕事をする気になれるように、と。ぼくはまったく無力だ、ほんの少ししか仕事が出来ない。」
「彼自身のなかで、いったい何が起っているのであるか? ゴヤは、病気か?」
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