2025年6月9日月曜日

大杉栄とその時代年表(520) 1904(明治37)年6月23日~30日 「戦争俄[にわ]かに起るに及んでや、彼等は直ちに之を忘却し尽して、昨日戦争の猛悪、無用、無意味を説けるの同一人[にん]にして、今は可及的多数の人類を殺戮し、可及的多額なる人間労働の生産物を暴殄[ぼうてん]し破壊し、而して平和、無害、勤勉なる人民の間[あいだ]に可及的甚[はなはだ]しき憎悪[そうあく]の念を煽起[せんき]せんことをのみ思考し、口にし、筆にするなり、然り此等[これら]曲学の識者は、実に人民の労働に依りて其衣食を得、生活を支えながら、却って彼等人民を強[しい]て、其良心、安寧、若くば信仰に背きて、這箇[しゅこ]の暴挙を敢てせしむる者也」(秋水「トルストイ翁の日露戦争論」)

 

1908年5月23日のトルストイ

大杉栄とその時代年表(519) 1904(明治37)年6月12日~20日 「もし文明国が平和的な手段によって国際問題を解決し得なかったならば、彼等にとって大いなる恥辱である。(略)もし武力に訴えることが日露両国にとって恥辱であるならば、ただの傍観者として佇立していることは列国にとって更に大きな恥辱である。今こそ文明国にとって、極東アジアに平和をもたらすために何事かをなすべき時である。故にこの瞬間において、社会主義者は彼等のみが勇敢大胆に軍国主義に抵抗し得るが故に、その責任の特別な重要性を感じなければならぬ。吾人をしてアムステルダムに会同するわれらの同志が、日露戦争に関して適正な決議を通過すべきことを望ましめよ。」(第2インターナショナル大会に対する決議 『平民新聞』第32号) より続く

1904(明治37)年

6月23日

ロシア旅順艦隊(ウイトゲフト少将指揮)、旅順港脱出。

午前5時40分、哨戒中の第1駆逐隊がこれを発見し連合艦隊に通報。

午前8時20分、連合艦隊は裏長山の仮泊地を出発。

午後4時、旅順南東の遇岩南方に到達。

6時15分、旅順艦隊を発見。

6時30分、東郷司令長官は丁字戦法による決戦を企図し反転開始。

7時30分、距離1万4千m以内となる。

8時、旅順艦隊は北方に反転、旅順港に戻る。東郷は追撃するが日没近く取逃がす。

6月23日

清国、商標註冊試弁章程制定。

6月23日

天地会、清国の広西で蜂起。柳城県占領。

6月24日

(漱石)

「六月二十四日(金)、小雨、二十五日(土)、小雨。野間其綱と共に散歩し、西洋料理馳走される。翌日から下痢起し、二十九日(水)まで粥食べる。(医師尼子四郎の診察を受ける。第一高等学校の試験答案調べ進まない。)」(荒正人、前掲書)

6月25日

芝浦製作所(株)設立。三井鉱山(名)芝浦製作所の分離独立。資本金100万円。東京芝浦電気(株)の前身の1つ。

6月26日

第1軍、草河嶺、四道溝、剣山占領

6月26日

午前9時、駒込吉祥寺で高野房太郎納骨式。横山源之助「高野房太郎君を憶ふ」(「東洋銅鉄雑誌」)。

6月26日

大杉栄(19)、午前9時、新宿十二社の梅林亭で開かれた堺利彦出獄歓迎会を兼ねた園遊会に参加。午後4時散会。

6月27日

第1軍、分水領を占領

29日、第一軍、北分水領を占領

6月27日

二葉亭四迷に次男富継、誕生。昭和33年6月53歳で没。

6月27日

(漱石)

「六月二十七日(月)、東京帝国大学文科大学で、午前十時から十二時まで「英文学概説」を講義する。畔柳都太郎(芥舟)(本郷区駒込西片町十番地、現・文京区西片町二丁目)宛手紙(使い持参)に、試験答案採点の延びていることについて、「別紙御廻付及候間可然御取計願上候」という。(「別紙」の内容は分らぬ)」

「六月二十七日(月)付畔柳郡太郎(芥舟)宛手紙に、「小生轉宅の野心を起し候」(中略)「両三日前乙なる西洋料理を御馳走になり果報相つゞき候結果下痢を催ふし試験調もものうく候」と書き、六月二十九日(水)付野間其綱宛手紙に、「先日は失敬諸々ぶらつきの上西洋料理の御馳走に相成候處其翌日より下痢を催ふし今に至る迄粥を食ひ居候」とある。以上からの推定である。」(荒正人、前掲書)

6月27日

トルストイ長論文「汝等悔い改めよ」(『ロンドン・タイムズ』)。キリスト教的、人道、博愛の立場から、日露戦争の原因をもって、個人の堕落に帰し、「汝等悔い改めよ」と叫んでこれを救わんとした。

ロシアはこのトルストイの文章の印刷を禁止したが、秘密のうちに各地に撒布された。

日本では、『東京朝日新聞』(杉村楚人感冠の訳)と『平民新聞』(幸徳・堺の訳)が全文を掲げた。

全12章からなり、概要は下記。

1. 日露戦争への批判

日露戦争の無意味さを強調し、両国の国民が互いに殺し合う行為を厳しく批判し、戦争の責任をロシア政府に帰責し、戦争を辞さない政府の姿勢を非難している。

2. 暴力と非暴力:

暴力がどのような形で人間を堕落させ、社会を破壊するのかを詳細に論じ、非暴力の重要性を強調し、愛と慈悲こそが真の解決策であると説く。

3. 宗教と倫理:

キリスト教の教えに基づき、人間が罪を犯してはならないこと、そして悔い改めることの重要性を説き、戦争は罪であり、それを許すことはできないという倫理的な立場を明確に示す。

4. 人間の価値:

すべての人間が神の創造物であり、平等な価値を持つという考え方を展開し、戦争は人間の価値を否定する行為であると批判する。

5. 社会改革:

戦争をなくすためには、根本的に社会の構造を改革する必要があると訴え、そのために、富の分配、教育の改革、宗教的意識の改革などが重要であると主張する。


〈平民社の訳文(幸徳秋水「トルストイ翁の日露戦争論」『平民新聞』8月7日号)〉

第一章

戦争は又もや起れり、何人[なんぴと]にも無用無益なる疾苦此[ここ]に再びし、譎詐[きっさ]此に再びし、而して人類一般の愚妄残忍亦[また]茲[ここ]に再びす。

見よ天涯地角[ちかく]数千哩[マイル]を隔てし人類、而も其[その]人類の数十万人(一方は一切殺生禁断を旨とする仏教徒、一方は四海兄弟[けいてい]と愛とを公言せる基督教徒)は、今や極めて猛悪なる方法を以て、互いに残害殺戮を逞[たくま]しくせんが為[た]めに、陸に海に野獣の如く相逐[お]いつつあり、

嗚呼是れ何事ぞや、是れ夢なる乎[か]将[は]た真なる乎、是れ実に在らしむ可[べ]らざる事、在り得可[べか]らざるの事にあらずや、人は其[その]夢なるを信じて速かに醒め来[きた]らんことを希[ねが]う

然れどもあらず、开[そ]は夢にあらず、开[そ]は恐るべき事実なり!

想[おも]うに彼[か]の貧困無智蒙昧なる日本農夫が、其[その]田園より引離されて、仏教の本義は決して一切衆生を哀憫[あいびん]するに在らずして、唯だ其偶像に犠牲を供するに存[そん]ずと教えられ、又露国ツーラ{地名}若[もし]くばニズニ、ノブゴロツド地方より来[きた]れる同じく貧困無教育なる人民が、基督教の本義は唯だ基督、聖母、諸聖賢、諸聖像を礼拝するに在りと教えられしが如きは、世人の了解するに難からざる所也[ところなり]、而して更に此等[これら]不幸の人民が、数百年の間に受けたる暴虐と欺瞞との為に、人類同胞の殺戮てふ世界の最大罪悪をも、一個の徳行として承認するに至り、遂に此等の恐るべき悪事を犯して、而も自ら罪あるを悟らざるに至れるが如きも、亦[また]世人の了解するに難からざる所也

但[た]だ怪しむ、彼[か]の所謂識者てふ人々にして、而も如何にして能く戦争を唱道し、助成し之に参與[さんよ]するのみならず、甚しきは即ち自家[じか]は戦争の危険を冒すことなくして、徒に他を煽揚[せんよう]するに力[つと]め、其不幸蒙昧なる同胞兄弟を戦塲に送遣するに忍び得る乎、夫れ是等識者は、必しも基督教の法則と言わず(彼等自身は、基督教徒たるを承認せるも)唯だ一般戦争の残酷、無益、無意味に就[つい]て既に書れたる、現に書れつつある、既に語られたる現に語られつつある所の者を無視することを得じ、彼等が識者として目せらるる所以は、実に之を是[こ]れ熟知するを以ての故のみ、否な彼等の多数は実に彼等自身之を書[しょ]し若[もし]くば之を語れる也、彼[か]の全世界の称賛を博せし海牙会議{ハーグ会議}や、其他仲裁裁判に依て国際的葛藤の解決せられ得べきことを弁説せる一切の書籍、小冊子、新聞雑誌、演説を引照する迄もなく、苟[いやし]くも一個の識者にして、諸国武備の競争が、必ずや延[ひい]て無限の戦争となる乎、若くは一般の破産となる乎、或は二者の並至[へいし]を免かれざるを知らざる筈なし、彼[か]の戦争の準備の為めに、人間労働の結果たる数十億留[るーぶる]の財貨が、無意味、無目的に濫費せらるるのみならず更に戦時に於[おい]ては、数百万の強健なる壮丁[そうてい]が、其生涯中最も生産的労働に適せる時期に於て、無残に殺戮せらるるものなることは識者之を知らざる筈なし、(十九世紀中の戦争は実に一千四百万人を殺せり)、又戦争の起因が常に一人[にん]の生命をも抛[なげう]つ程の価値[かちょく]ある者にあらず、否な其要する費用の百分の一だも値いせざる者なることは、識者之を知らざる筈なし(黒奴解放の戦争に要せし所は、彼等を賠償して自由と為し得べき費用よりも、遙かに多額なりき)

就中[なかんずく]、戦争が極めて陋劣[ろうれつ]なる獣慾[じゅうよく]を催進[さいしん]して、人をして殺伐残忍ならしむるは、万人の知れる所なり、知らざる能わざる所なり、彼[か]の戦争を賛する者、ドマーストル、モルトケ其他の人々は、或[あるい]は如何なる人間の禍難中にも、之に伴う利福を発見し得べしとの詭弁を弄し、或は戦争は従来常に存在したるが故に、今後も常に存在せざる可[べか]らずと牽強し、恰[あたか]も人間の不正の行為も、其実現せる利益若[もし]くば有用に依りて、若くば其長日月間[ちょうじつげつかん]行い来れりてふ考慮に依りて、是認せられ得べきかの如く独断せるは、其論據[ろんきょ]の薄弱なる、亦[ま]た万人の知る所なり、而して彼の所謂識者も亦[また]皆[み]な之を知らざるはなし、然るに戦争俄[にわ]かに起るに及んでや、彼等は直ちに之を忘却し尽して、昨日戦争の猛悪、無用、無意味を説けるの同一人[にん]にして、今は可及的多数の人類を殺戮し、可及的多額なる人間労働の生産物を暴殄[ぼうてん]し破壊し、而して平和、無害、勤勉なる人民の間[あいだ]に可及的甚[はなはだ]しき憎悪[そうあく]の念を煽起[せんき]せんことをのみ思考し、口にし、筆にするなり、然り此等[これら]曲学の識者は、実に人民の労働に依りて其衣食を得、生活を支えながら、却って彼等人民を強[しい]て、其良心、安寧、若くば信仰に背きて、這箇[しゅこ]の暴挙を敢てせしむる者也


6月28日

ロシア・ウラジオ艦隊の第5回出撃。ベゾブラゾフ中将指揮。
30日午前5時30~6時40分、元山市内を砲撃。
午前7時20分、元山を退去。
1日、対馬海峡に侵入。
午後6時35分、警戒中の第2艦隊と2万2千mで遭遇、ウラジオ艦隊は高速で逃亡。
3日ウラジオストク帰着。
次の第6回出撃からは日本の太平洋岸シーレーンを脅かすようになる。

6月28日

(漱石)

「六月二十八日(火)、東京帝国大学文科大学で午前十時から十二時まで King Lear を講義する。午後一時から三時まで「英文学概説」を講義する。

川淵正幸宛手紙に、先日は突然立ち寄り失礼したこと、その後知らせて貰ったので見に行った牧野某という華族の家は、新しいが狭く、家賃も安くないので止めたと伝え、現在、ある家と交渉中で、そこへ移る積りだと書き添える。(川淵正幸は、小石川区小日向台町一丁目三番地(現・文京区小日向二丁目一番二号)に住む)本郷・小石川・四谷・麻布・青山を探し歩く。

★六月二十九日(水)、弥富浜雄(赤坂区氷川町十八番地、現・港区赤坂六丁目)来る。貸家探しを依頼する。

★六月三十日(木)、東京帝国大学文科大学で午前十時から十二時まで King Lear を講義する。」(荒正人、前掲書)

6月28日

アイルランド沖、蒸気船ノルゲ号難破。スカンジナビア人移住者700人以上死亡。

6月29日

清国、万国赤十字会に加入。

6月29日

清国の山東(膠済)鉄道完成。

6月30日

満州軍総司令部発足。第4軍(野津道貫大将)新編成。

第1軍(近衛・第2・12師団、朝鮮)

第2軍(第3・4・6師団、遼東半島)

第3軍(第1・9・11師団、旅順口)

第4軍(第5・10師団、第1・2軍から満州中部)


つづく


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