1904(明治37)年
12月11日
旅順口港の艦船砲撃中止。市街に対する砲撃は続行。
12月11日
『平民新聞』第57号発行。
「平民日記」に、「十二月六日、某氏から軍艦○○乗組の水夫二十余名が調印した普通選挙請願用紙を送って呉れた」とあり。
この頃、社会主義協会は、普選期成同盟と合同し請願署名活動。明治39年2月20日署名2240以上を衆議院に提出。
12月11日
(漱石)
「十二月十一日(日)、または数日の間、『倫教塔』起稿する。『吾輩は猫である』の『ホトゝギス』掲載決定後と推定される。
十二月十二日(月)、東京帝国大学文科大学で午前十時から十二時まで Hamlet を講義する。
十二月十三日(火)、東京帝国大学文科大学で午前十時から十二時まで Hamlet を講義する。午後一時から三時まで「英文学概説」を講義する。野間真綱宛に俳体詩「無題」を送る。」(荒正人、前掲書)
12月11日
(露暦11/28)ロシア、ペテルブルク、学生デモ、官憲の暴行。統一歩調とれなかった社会民主党ペトログラード委員会不信。
12月12日
午前0時30分、日本水雷艇、「セヴァストポリ」攻撃、大破。
12月13日
仮装巡洋艦「香港丸」「日本丸」、佐世保軍港で修理終えシンガポール、インド洋、マレー群島巡航し、1月18日、佐世保戻り。
12月13日
平民新聞第53号事件(「共産党宣言」掲載)第1審第2回公判。
安住検事の有罪の論告。
「社会は一種の有機体であって、上等階級を耳目鼻口に譬えるならば労働階級は手足の如きものである。もし手足が不平を起して、われわればかり働いて目や口を楽しませているのは詰らないと言ったらどうなるか。社会主義の議論は実にこの手足の不平の如きもので、社会運用の原則に違背している」と、数千年の昔、ローマの貴族が平民を圧制するために用いた陳腐な比喩をもち出す。被告、弁護士、傍聴人は顔見合わせて苦笑する。
今村力三郎の弁護。
今村はマルクス『資本論』、価値論の大要を説き、「かくの如き学説はよし不当なものありとするも、一説としてこれを許容しなければならぬ。検事が軽々にこれを論断するは大胆至極」と嘲けり、「政治上の平等は得られたが経済上の平等はまだ一歩も認むるを得ず、この状態より見る時はマルクスの思想は拒むべからざる大勢である。然るに、人類に進歩の道を示したその思想に感謝しないで、その文字の頒布を禁ずるのは甚だしき謬見ではないか」と反駁。さらに「この宣言は五十年前に公表された歴史的文献であって、これを以て直ちに日本の社会秩序を壊乱するものとなすは不当も甚だしい。被告等の処罰と否とはむしろ些事に過ぎず、本弁護人は実にわが国裁判史上の一大事なるが故に、学問の独立のために無罪を主張する」と結論した。
ト部喜太郎の弁論要旨。
予は日本の言論出版の自由のために本件の無罪を主張する。ロシアですらトルストイの「日露戦争論」も、ポペドノスチェフの政治否認論も、自由に出版されているではないか。もし本件が有罪となるようなことがあれば、日本には言論の自由がまったく存しないといわざるを得ぬ。
板倉中の弁論要旨。
本件の原書は自由に頒布されているのだから、その思想の伝播が自由に許されていると認めねばならぬ。もし政治家が自己の学説政策を確信し、人民またこれに賛同していると信ずるならは、反対論を恐れるに及ばぬではないか。社会主義を真理と見るならば宜しくその自然の発展に任すべく、然らざれば学者の討究に委ねるべきであって、妄りに法権を以て圧伏すべきではない。
花井倬三蔵の弁論要旨。
明治の初年には、フラソス革命史もスペンサーの平権論も自由に刊行され、政体変更の要求に外ならぬ国会開設の請願運動も行なわれたが、そのために罰せられた者はなかった。しかるに明治37年の今日、この『宣言』が社会の秩序を壊乱するとなすがごときは、実に今日の社会を侮蔑するものである。この『宣言』がそれほど危険なら、原書の輸入を禁ずるがよろしい。原書はよいが翻訳は悪い、右に許して左に罰するのは不公平ではないか。
花井の弁論は冷嘲、諧謔、揶揄をほしいままにして法廷に人なきがごとく、判事すら時に微苦笑を禁じ得なかった。
最後に木下尚江は、『宣言』の内容たる国家、家族、および私有財産の三点を弁明。
社会主義者の国家観は井上哲次郎博士の著書『教育と宗教』に論ずる如き、夫婦兄弟朋友の愛情信義もみな国家のためとするような偏狭なものではない。余りに不当な価値を国家に附する時は、社会主義のみならず大概の倫理説、政治論はみな不都合となるであろう。偏狭固陋なる観念をこそ否定すべけれ、国家的生活を必要とするのは万国の社会主義者が肯定する所である。家族制度もまた歴史的変遷を経たものであって、今や実際に家族制度は破壊されつつある。女工の増加、売淫婦の増加を見ずや、家族制度を破壊するものは社会主義者にあらず、実に資本主義制度に外ならない。私有財産の観念は明治の産物で、われわれの祖先には今の私有財産の観念はなかった。これは封建時代において、豪族がつねに人民生活の安全を破ったのに反抗して起った思想で、永久の真理にあらざることは明らかである。
「宜言」は、今の社会では人口の十分の九はすでに私有財産を失えりという。資本合同の勢いは明白な事実、而してその結果、多くの貧民と失業者を生ずるは欧米のすでに実験し、日本もまた実験している所である。これを匡救(きようきゆう)せんがために、法律を改正して私有財産を禁ずることを要求せんとするが即ち社会主義者であって、これを要求する前にその理由を唱道して輿論を作らねばならぬ。これを許すは正義公道であり、而してこれ法律の介入する範囲ではないのである。
この裁判は日本国内の問題ではなく、世界に影響を有する大事件である。もしこれが有罪と決せば世界の新聞記者、政治家はいかに日本の文明を批評すべきぞ。ロシアの野蛮を罵る日本にしてこの事件を有罪となさば、日本の恥辱、実にこれに過ぐるはないであろう。
12月13日
ハンガリー、下院議場の組織的破壊と全国的扇動。議会解散。総選挙。与党159、独立党166、野党全体254。<30年間統治の自由党敗北>
12月13日
パラグアイ、クーデターにより自由党ファン・パウティスタ・ガオナが大統領就任。自由党の支配開始(~1936)。
12月14日
仏駐日大使、日本に和平の打診
12月15日
(漱石)
「十二月十五日(木)、東京帝国大学文科大学で午前十時から十二時まで「英文学概説」を講義する。
十二月十八日(日)、夜野間真綱来る。牛乳を飲む。」(荒正人、前掲書)
つづく

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