大杉栄とその時代年表(229) 1898(明治31)年2月12日 子規「歌よみに与ふる書」(その3) 関川夏央『子規、最後の八年』 (講談社文庫) より より続く
1898(明治31)年
2月12日
大阪歌舞伎座、開場。9代目市川団十郎が5万円で出演し話題となる。
2月15日
井伏鱒二(本名満寿二)、誕生。
2月20日
中江兆民「我邦近時」(「萬朝報」)。朝野政治家の堕落を怒り、これを正すべき社会制裁力の薄弱を憂うる。
2月22日
朝鮮、独立協会会長安駉壽(アン・ギョンス)が高宗皇帝に上疏。
朝鮮、独立協会は、官僚の不正批判や、ロシアの接近に対抗する「自主独立」の守護について、2月から2 ヶ月間討論を行なっていた。
この日(2月22日)、討論会開催と同時に、ロシアの内政関与の問題について上疏することが満場一致で可決され、会長安駉壽(アン・ギョンス)が高宗皇帝に上疏を提出。
上疏では、国たる条件として「自立して他国に依存しないこと」、「政事と法律を整備して全国に行使すること」が必要であり、それを推進するのは皇帝の権限であること強調した上で、ロシアの内政関与の問題について、人々の意思が反映されていないことを申し出た。
2月22日
朝鮮、大院君(79)、没。
2月22日
板垣退助、伊藤博文内閣を衆議院で助けるため、自由党を伸ばしてくれと演説。自由党の「官民調和論」。
2月24日
日本鉄道の機関方、待遇改善要求してストライキ。東北線(東京~青森)全線ストップ(24、25日)。
28日~、「我党待遇期成同盟会」(秘密結社)の機関士代表と日本鉄道との交渉。
3月6日、臨時昇給など労働者側要求が全面的に認められ妥結。
2月26日
乃木台湾総督、依願免官。男爵児玉源太郎陸軍中将と交代。
2月26日
幸徳秋水「教育界の迷信」(「萬朝報」)。教育勅語一辺倒の時流批判。
2月27日
子規 『百中十首』(『日本』連載~3月10日)。
「子規自身が創作した百首の歌から、十首を選者に選ばせて発表するという、きわめで独自な発表形式であった。岡井隆氏は「作品というものの成立に、読者(この場合、読者の一人としての選者)を介在せしめようとする、子規固有の文芸観さえそこに覗かれる。こういう発表形式は、句会などの体験を通じて、子規にはごく自然にかんがえ出されたもののようにも思われる」(『正岡子規』、近代日本詩人選3、筑摩書房、一九八二)と指摘している。選者の中には新聞『日本』の経営者であった陸羯南までが入っていた。」(小森陽一『子規と漱石 友情が育んだ写実の近代』(集英社新書))
3月
中国、趙三多、梅花拳を義和拳と改める。公然とした反教会闘争に乗出すが、由緒ある梅花拳に影響を及ぼさないため。
3月
駐清公使矢野文雄、列強の本格的中国分割開始を指摘、台湾対岸福建省を勢力範囲とする必要ありと力説。
4月24日、福建省不割譲の交換公文。
3月
子規、子規庵(根岸庵)で初めての歌会。
3月30日、「新俳句」刊。
3月
漱石、同市井川淵8に転居。鏡子のヒステリー激化
この月、漱石、「明治三一年三月」と明記して四つの詩を作る。①「菜花黄朝暾」で始まる十二行の「菜花黄」と題する漢詩、②「吾心若有苦」で始まる十六行の「失題」と題する漢詩、③「青春二三月」で始まる「春日静座」と題する五言十四行の古詩、④「出門多所思」で始まる「春興」と題する五言十八行の古詩。
そのうち、③「春日静座」と④「春興」は小説『草枕』に引用され、①「莱花黄」は、『草枕』冒頭部分と重ねて解説される。
吉川幸次郎『漱石詩注』では、「野花黄」について、「五言古詩。似た心理は『草枕』首章にも述べられている」と述べている。
また、徐前著『漱石と子規の漢詩』も、この三編には「作品中の詩情がよくまとめられており、しかも『春日静座』と『春興』という二首はそのまま作中に引用された」とし、「菜花黄」については、詩そのものの引用はないものの、「明らかにその詩境を描いている」と明快に述べ、『草枕』冒頭の情景描写はこの「菜花黄」を文章化したものと断定している。
3月
中里弥之助(介山、13)、西多摩小学校高等科を卒業。日本橋浪花町電話交換局に交換手見習いとして勤務。
3月
大杉栄(13)、北蒲原尋常尋常中学校第1年終了。成績は112人中58番
3月
シンガポールに滞在する日本人600人中400人は娼妓、ホノルルには100人、澎湖藤島に百数十人、その他ウラジオストック、オーストラリア、南米等至る所に日本人娼妓がいるとの記事がある。
3月
文部大臣、東京府に対し、「公立尋常小学校ハ学齢児童ノ六分ノ一ヲ収容スルニ過ギズ、此ノ如キハ小学校令ノ命ズル学校設置ノ義務ヲ尽サザルモノ」と注意。
この訓令を受けて東京府は東京市に対し今後10年間に公立尋常小学校90校増設を勧告するが、それでもこの計画の予想就学率は45%。改善の為には、小学校の授業料廃止と教育費の国庫負担の増大が必要。
この年の不就学率は40%で、10年間に13%減少のみ。不就学事由は、総数11万5258人のうち、貧窮2万7793人、疾病1万306人、其他7万7159人。
なお東京府の授業料(月)は尋常小学校195厘、高等小学校495厘で、全国平均(尋常62厘、高等228厘)より著しく高額。府県郡市町村費100円に対する公学費は、全国平均22.78円に対し東京は9.19円と全国最少額。
3月
オーストリア、トゥーン内閣成立。ドイツ・チェコ人宥和策とられる。スラブ民族にもハンガリーと同等のアウグスライヒを認める議論。マジャール人の反撥。また、他宗派との結婚を禁じるローマ・カトリックとの対決。「ローマと手を切ろう運動」盛んになる。
3月1日
朝鮮、済州島、房星七の乱。数百の火田民を組織
3月1日
ロシア社会民主労働党創立。ミンスクで創立大会。参加者9人全員逮捕。宣言起草はピョートル・ストルーヴェ(後、自由主義指導者、更に、教会的・君主主義的反動の政治家)。
3月3日
幸徳秋水「社会堕落の本源」(「萬朝報」)。社会堕落の本源は貴族世襲の制度であり、政治的人権から社会的人権へと認識を高めることが必要と主張。
3月4日
「朝來寒氣強くして八時頃より雪となる。気候の不順可驚哉。」(「寺田寅彦日記」)
3月5日
幸徳秋水「社会的人間の認識」(「万朝報」)。基本的人権の立場より、鉄道ストライキ支持。翌6日、労働者側、勝利。
つづく
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