2024年8月28日水曜日

大杉栄とその時代年表(236) 1898(明治31)年3月末~4月25日 平塚明子、お茶の水東京女子師範附属高等女学校入学 芥川龍之介、江東尋常小学校入学 大杉栄、名古屋陸軍地方幼年学校の入試失敗(翌年合格) 石川啄木(12)、盛岡中学校入学 イギリス、威海衛租借 西・ローゼン協約       

 

威海衛の位置

大杉栄とその時代年表(235) 1898(明治31)年3月31日 カール・マルクス娘エレノア、自殺 〈エレノア・マルクスの生涯概観(2)〉 『ボヴァリー夫人』翻訳 イプセン翻訳 イプセン論争 イギリス新組合運動への貢献 インタナショナル統一 エンゲルスの遺産 機械工組合闘争の敗北 エイヴリングの裏切り より続く

1898(明治31)年

3月末

河南省最南部の大名府に大刀会の掲帖。西人の横暴を訴え、6月3日(旧暦4月15日)に彼らを襲撃すると予告。参加を誘う。

3月末

漱石、家主の落合東郭が宮内省(皇太子傅育官)を辞し東京から戻るため、大江村から市内の井川淵8の二階家に転居。

明治29年4月の赴任以来、最初に2週間ほど仮住まいした家を除いて、2年間で4つ目の家。

二階建だが、間数は少ない。庭には榎がある。眼下に白川が流れ、明午橋に近く藤崎八幡宮の百メートルばかり下手の家である。左手に龍田山、遠くに阿蘇山見える。「春の夜のしば笛を吹く書生哉」と詠む。

鏡子のヒステリー激化。


「引っ越す時、漱石は、俣野義郎・土屋忠治を呼び、「今度引つ越す家は、狭くて、到底君達を収容し兼ねる。就ては、君達は、修學寮に入つて勉強し給へ、食費は僕の方で出してやるから-。」と言うと、二人は「あと三、四か月で卒業するから、どうかそれまで置いて欲しい」と頼むので、昼は玄関の二畳、夜は二階の八畳に寝ることにして寄宿させる。」(浜崎曲汀「熊本時代の漱石」『文芸春秋』昭和九年七月号)



4月

この月、井上蔵相が閣議提出し決定された諸継続費予算において、4億986万円の55%に当る2億2668万円が外国払の予定となる。「戦後経営」進行に伴い、軍艦・兵器代を中心とする特別輸入額だけでも年々膨大な金額に達し、その大半はロンドンの賠償金で繰替支弁される。

予めこの事態を予想した日本政府は、賠償金をロンドンでボンドで受領することを清国に申入れ、半年に及ぶ交渉の未に同意を得ていた。賠償金のボンド貸受取りは、銀貨下落の下での償金価値保全の点からも要請される。更に、そのことは日本の金本位制移行(97年10月)を促す強力な要因となる。

4月

平塚明子、お茶の水東京女子師範附属高等女学校入学

4月

芥川龍之介、江東尋常小学校入学。抜群の成績

4月

国木田独歩「忘れえぬ人々」(「国民之友」)

4月

与謝野鉄幹(25)、朝鮮より帰る(3月説も)。

4月

与謝野晶子(20)、「読売新聞」(4月10日付)で初めて与謝野鉄幹の短歌を知る。「春あさき道湛山の一つ茶屋に餅食ふ書生袴つけたり」。旧派和歌から新派和歌への変化の直接の契機を与える。

4月

山川信次郎が小天温泉を再訪。漱石は同行せず(井川淵に転居して以来、鏡子の精神状態がふたたび不安定になりはじめていた)。

小天で山川は、卓に、

「奥さんがやかましくて夏目は来られませんよ」

と告げた。卓はなぜとなくこの言葉を印象にとどめた。

4月

大杉栄(13)、名古屋陸軍地方幼年学校の入試に失敗

4月1日

湖広(湖北・湖南)総督張之洞、「勧学篇」(「湘学報」連載~6月21日)。康有為・梁啓超らの湖南変法運動を押える目的。①民権が唱えられると、「愚民必ず喜び、乱民必ず作り」、教会破壊など外洋の中国侵略の口実を与える。②中国を教化し、外洋を禦ぐ第1は、人心に忠義を呼びかけ、天下の心を一合し朝廷の威令で天下の力を統合すること。

4月1日

警視庁、3日上野公園で予定されている労働組合期成会大運動会に対して禁止を命じる

4月2日

ロシア公使、西外相提案に拒絶と回答。

4月3日

イギリス、威海衛租借(25年間)。正式条約は7月1日。また、これと並行して2月11日、揚子江沿岸不割譲に関する交換公文取交す。

4月5日

日本鉄道機関方「矯正会」結成。

4月10日

フランス、広州湾を海軍の給炭地として99ヶ年租借内諾。正式条約は11月16日。また、トンキン隣接諸省不割譲交換公文取交す。

4月10日

労働組合期成会労働者800余、集会禁止反対デモ(皇居前~上野)、30余検束。

4月11日

足尾銅山鉱業停止東京事務所に詰めていた栃木県足利郡(旧梁田郡)久野村在住の室田忠七の鉱毒事件日誌より

免訴処分延期願書の提出のため、各村長に調印をもらいに巡回する

4月11日

イタリア人銅版画家キヨソネ(66)、没。維新の元勲の肖像を描く。

4月13日

閣議、板垣入閣問題検討。井上馨蔵相が猛反対し伊東巳代治農商相と対立。伊藤の入閣支持なく取り止めとなる。

14日、伊東、辞表と書簡を伊藤首相に送る。自由党との提携に関して伊藤・井上への抗議辞職。26日受理。商務次官・秘書官も連袂辞職。

4月17日

康有為、「第1回保国会会議」開催。北京。聴衆200。「いまや、人々に天下滅亡の責任がある…」。会試のため全国から挙人が集まる頃。

4月18日

フランス、画家ギュスターフ・モロー(72)、没。

4月19日

米議会、キューバ独立承認し、併合意図なしと表明。21日、米艦隊、キューバ封鎖。

4月23日

宮城県沖で地震。マグニチュード7.2、小被害。

4月24日

日本、福建省不割譲に関する交換公文取交し。

4月24日

労働組合期成会、会費を15銭から10銭に引き下げることを決定。

4月25日

西・ローゼン協約調印

西徳二郎外相・露駐日公使ローゼン、韓国の独立承認、韓国への勧告・助言・顧問任命などにつき両国は事前に協議、ロシアは日本の商工業の発達を妨害しない。朝鮮に関してロシアと条約上対等の地位を回復。

日本の再進出を支えたのは、日清戦争前から形成され始めていた日本の朝鮮に対する経済的支配で、朝鮮の貿易相手国の内で日本の占める決定的な高さにそれは表れている。輸入の6~7割、輸出の8~9割が一貫して日本との取引であり、朝鮮経済は日本資本主義にがっちりと繋ぎとめられている。この頃の日朝貿易は、「阪韓貿易」と云われるように、朝鮮米を消費する阪神工業地帯の労働者の生産した綿製品を朝鮮農民が購入するという特徴(「綿米交換体制」)をもっている。

4月25日

石川啄木(12)、盛岡中学校(現盛岡第一高等学校)に入学。11日入学試験。18日合格(128人中10番)。

2年に、板垣征四郎(陸軍大臣)・野村長一(作家・胡堂)、3年に、及川古志郎(海軍大臣)金田一京助(言語学者)・田子一民(衆議院議長)、5年に、米内光政(首相)らがいる。

宮沢賢治は明治42年(1909)に入学


つづく

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