1898(明治31)年
3月6日
子規『あきまろに答ふ』 (『日本』)
3月7日
イギリス、ロシアの対中国外交目的を察知。駐華公使マクドナルドはソールズベリ首相にロシアへの対抗措置を取るよう伝え、28日に総署と会談に入る。
3月10日
朝鮮、独立協会の主催で、ロシアの内政干渉を許した決定撤回を要求する万民共同会開催。
倍材学堂を卒業して教員になっていた李承晩は、万民共同会の総代委員として選出され演説、これを契機に本格的な政治的活動に取り組む。
集会は成功し、ロシアの軍事教官と財政顧問を送還させることになる。
万民共同会の開催によって政府の方針が転換されたことは、政府が単独で意思決定を下すことができず、大衆の意思を受容せざるを得ない状況に置かれていたことを示す。
万民共同会が成功した要因は、大衆にとって、ロシアの内政関与を認める政府の対外依存政策が「自主独立」に反すると捉えられたことにある。このことは、独立協会に対する大衆の支持は、独立協会が掲げる「自主独立」に正当性があるという意識が大衆化してきたことを意味するものである。
3月11日
二葉亭四迷、陸軍大学露語科教授嘱託となる。月給25円。離婚した妻つねとのやり直しを図るが、四迷以外の者の子を妊娠発覚。この月末、関係清算。
3月12日
朝鮮、京城・鐘路街、数万人の万民共同会、ロシアの軍事・財政顧問解雇、自主権回復要求。
3月14日
子規閲、上原三川・直野碧玲瓏共編『新俳句』民友杜刊。子規派(子規、鳴雪、虚子、碧梧桐ら)の新俳句集。子規、序文「『新俳句』のはじめに題す」。漱石の俳句79句収録。明治の俳句集のはじめ。
3月15日
第5回臨時衆議院議員選挙。自由党98、進歩党91、国民協会26、山下倶楽部48、無所属37となる。実業家議員が結成した山下倶楽部も26議席を占める。青木正太郎(自由党)、中村克昌(新自由党)当選。川上音二郎立候補惨敗。
この頃の米価は、松方デフレ下の2.5倍、日清戦争前の1.7倍⇒有権者の大半を占める農村地主は地租改正に興味を持たなくなる。
選挙前の伊東巳代治との密約により、自由党は板垣の内相就任を求めるが、閣内に反対多く入閣は見送られる。これにより伊東は農商務相を辞任。自由党も提携交渉を打ち切り、内閣に反対する方針を決定。
3月16日
北京ロシア公使パブロフよりウィッテ宛密電。「本日、小生は李鴻章に五〇万両を手渡した。…張蔭恒は非常に慎重でいまだ金を渡す機会がない。」
3月17日
国権主義者徳富蘇峰の「国民新聞」社説。
「露国はついに露国兵式をもって韓兵を訓練し、豆満江下流における孟山嶺一帯十五里の伐木特許、鬱陵島の伐木特許、三水、雲海の金鉱採掘権を得、済物浦の月尾島において石炭積蓄所の借り入れをなし・・・、見るべし露国はすでに全く半島の兵権を収めたるのみならず、また併せてその財権も全く収むるに至らんとしつつあることを」。
3月17日
子規、1年ぶりに人力車で根岸近辺を1時間余り巡る。
3月19日
外相西徳二郎、ロシア公使ローゼンにロシアが韓国に対する助言・助力を日本に一任すれば、満州は日本の利益範囲外と認める旨通告(いわゆる「満韓交換論」)。ロシアは拒否。
3月20日
子規『人々に答ふ』(『日本』~5月12日、13回)。
3月21日
漱石、虚子に宛てて句集『新俳句』を送られたことに対する礼状。
「小生爾来俳境日々退歩昨今は現に一句も無之候此分にてはやがて鳴雪老人の跡釜を引き受る事ならんと少々寒心の體に有之候」
「梅ちつてそゞろなつかしむ新俳句」
3月23日
高野房太郎(29)、本橋警察署に召喚。期成会大運動会中止を勧告される。
3月24日
宮田東峰、誕生。
3月25日
子規庵ではじめての歌会。
「出席者は子規のほか、碧梧桐、虚子、福田把栗(はりつ)、石井露月、竹村秋竹、梅沢墨水の七人、みな俳人であった」(関川夏央、前掲書)
3月26日
今東光、横浜伊勢佐木町に誕生。父は日本郵船勤務。
3月27日
清・ロシア協定(「旅大租借条約」)。旅順・大連の25ヶ年租借。旅順・シベリア間鉄道施設権・鉱山採掘権獲得(ロシアは東洋に不凍港を獲得)。ヴィッテは露清武力衝突回避のため、李鴻章の50万ルーブルなど贈賄。
3月27日
足尾銅山鉱業停止東京事務所に詰めていた栃木県足利郡(旧梁田郡)久野村在住の室田忠七の鉱毒事件日誌より
3月27日 特別免訴処分の件について上京する。
3月28日 神鞭知常の自宅を訪問する。
3月29日 農商務省に「巡視願書」を提出する。
群馬県邑楽郡全町村長は大蔵省に出頭し、地租条例による免訴処分について帝国議会で特別立法が成立するまで延期願を提出する。
3月30日 逓信省・内務省・大蔵省に出頭し、「被害地巡視願書」を提出する。"
3月28日
3月28日 この日付けの子規の漱石宛ての手紙。
拝啓 思ひながら御疎濶(ごそかつ)にうち過申訳無御座候。前月来歌の悶着にていそがしく、夜ふかしがちに相成候。しかし先々(まずまず)平和にくらしをり候。先日(彼岸の入)あまりあたたかきに堪へかねて車にのせられて(車までは負(おう)ていてもらひて)郊外をまはり、四年目に梅の花といふものを見ていとおもしろく覚え候。しかし絶えず胴がいたみ候故、全く気楽なわけには無之候。あとにて医師にきけばそんなことしては困ると叱られ候。来月の奠都(てんと)祭の行列といふもの見に行かんかと思候ひしかども、、いかがと案じをり候。
虚子、先日女子をまうけ候。厄介これより増可申候。
(略)
(略)
先日はじめて歌の会を催し候。会するものは矢張俳句の連中のみ。呵々(かか)。
歌につきてハ内外共に敵にて候。外の敵ハ面白く候へとも内の敵にハ閉口致候。内の敵とは新聞社の先輩其他交際ある先輩の小言ニ有之候。まさかにそんな人に向て理窟をのぶる訳にも行かずさりとて今更出しかけた議論をひつこませる訳にも行かず困却致候。しかシ歌につきてハたびたび失敗の経験有之候故、今度ハはじめより許可を出願して出しはじめしもの、此上ハ死ぬる迄ひつこミ不申候。・・・・・
*「内の敵」は天田愚庵と陸羯南"
3月28日
独、第1次艦隊法、成立。海軍に関する初の法律。
つづく
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