2025年2月12日水曜日

大杉栄とその時代年表(404) 1902(明治35)年7月5日~18日 「女子の教育が病気の介抱に必要であるといふ事になると、それは看護婦の修業でもさせるのかと誤解する人があるかも知れんが、さうではない、やはり普通学の教育をいふのである。女子に常識を持たせようといふのである。高等小学の教育はいふまでもない事で、出来る事なら高等女学校位の程度の教育を施す必要があると思ふ。」(子規『病牀六尺』)

 

「七月十六日 茄子」

大杉栄とその時代年表(403) 1902(明治35)年7月1日~4日 「只今巴理より浅井忠と申す人、帰朝の序拙寓へ止宿。是は画の先生にて色々画の話抔承り居候。又一所に参り候芳賀矢一氏も、浅井氏と同船にて来る四日出発、帰途に上る筈に候。・・・・・皆々が帰ると自分も帰り度なり候。」(漱石の手紙) より続く

1902(明治35)年

7月5日

フランス、コンゴ地域の植民地をチャド、コンゴ、ガボンに分離。

7月6日

笹子トンネルが貫通。

7月7日

この日の子規『病牀六尺』(五十六)。


「○酒は男の飲む者になつて居つて女で酒を飲むものは極めて少い。これは生理上男の好くわけがあるであらうか、あるいは単に習慣上然らしむるのであらうか。むしろ後者であらうと信ずる

 女は一般に南瓜(かぼちゃ)、薩摩芋(さつまいも)、胡蘿蔔(にんじん)などを好む。男は特にこれを嫌ふといふ者も沢山ないにしてもとにかく女ほどに好まぬ者が多い。これは如何なる原因に基くであらうか。

 男でも南瓜、薩摩芋等の甘きを嫌ふは酒を飲む者に多く、酒を飲まぬ男はこれに反して南瓜などを好んで食ふ傾向があるかと思はれる。して見ると女の南瓜などを好むのは酒を飲まぬためであつて、男のこれを好む事が女の如くないのは酒を飲むがためではあるまいか。酒は鮓の物の如き類とよく調和して、菓子や団子と調和しにくい事は一般に知つて居る所である。南瓜、薩摩芋、胡蘿蔔などは野菜中の最も甘味多き者であるので酒とは調和しにくいのであらう。酒飲みでも一旦酒を廃すると汁粉(しるこ)党に変る事がある。して見ると女は酒を飲まぬがために南瓜などを好むのに違ひない。

(七月七日)」


7月9日

文部省、各地の中学校・師範学校の騒動に対し、厳重取り締まりの訓令。

7月10日

東海道線急行列車の寝台車・食堂車に電気団扇機(扇風機)を設置。

7月10日

この日の子規『果実帖』、

「七月十日 昨日来モルヒネの利きすぎたる気味にて昼夜昏々夢の如く幻の如し食欲少しも無し今朝睡起漸く回復す 午餐を食し了つて巴旦杏を喫す 快言ふべからず」(原文カタカナ)。


この日の子規『病牀六尺』(五十九)。


「○今日人と話し合ひし事々

(略)

一、今度大学の土木課を卒業した工学士の内五人だけ米国の会社に傭(やと)はれて漢口へ鉄道敷きに行くさうな。世界は広い。これから後は日本などでこせこせと仕事して居るのは馬鹿を見るやうになるであらう。

(七月十日)」

7月11日

英、ソールズベリ、首相辞任。

7月12日

北京駐在の日・英・仏・独・伊5ヵ国公使、天津還付条件記載の同文公書を清国外務部に送付。

7月12日

アーサー・ジェームズ・バルフォア、英首相就任(~1905)。

7月14日

この日の子規『果実帖』、「七月十四日小雨 桃二顆」

7月15日

呉海軍工廠の職工1,600人、廠長排撃などで騒乱。翌日、職工5千人がストライキ。軍隊により鎮圧。

7月15日

大同生命保険(株)設立。本社は大阪。朝日・護国・北海の各生命保険会社を合併。資本金は30万円。

7月15日

啄木(16)、1学期末試験で友人狐崎嘉助に代数の答案を見せてもらい2度目の譴責処分。保証人の田村叶召喚。

1学期の成績:「修身、作文、代数、図画」不成立、「英語訳解、英文法、歴史、動物」不合格。出席104時間、欠席207時間。

9月2日、処分告示。狐崎嘉助は特待生を解かれる。 

7月15日

この日の子規『病牀六尺』(六十四)。


「○七月十一日。晴。始めて蜩(ひぐらし)を聞く。

梅雨晴(つゆばれ)や蜩鳴くと書く日記

 七月十二日。晴。始めて蝉(せみ)を聞く。

蝉始メテ鳴ク鮠(はや)釣る頃の水絵空

(七月十五日)」


7月16日

内田良平ら、日露協会発企会開催。

7月16日

この日の子規『果実帖』、「七月十六日曇 夏蜜柑又夏橙」「七月十六日 茄子」

この日の子規『病牀六尺』(六十五)。


「○病気になつてから既に七年にもなるが、初めのうちはさほど苦しいとも思はなかつた。肉体的に苦痛を感ずる事は病気の勢ひによつて時々起るが、それは苦痛の薄らぐと共に忘れたやうになつてしまふて、何も跡をとどめない。精神的に煩悶(はんもん)して気違ひにでもなりたく思ふやうになつたのは、去年からの事である。さうなるといよいよ本当の常病人になつて、朝から晩まで誰か傍に居つて看護をせねば暮せぬ事になつた。何も仕事などは出来なくなつて、ただひた苦しみに苦しんで居ると、それから種々な問題が涌(わ)いて来る。死生の問題は大問題ではあるが、それは極(ごく)単純な事であるので、一旦あきらめてしまへば直に解決されてしまふ。それよりも直接に病人の苦楽に関係する問題は家庭の問題である、介抱(かいほう)の問題である。病気が苦しくなつた時、または衰弱のために心細くなつた時などは、看護の如何が病人の苦楽に大関係を及ぼすのである。殊(こと)にただ物淋しく心細きやうの時には、傍の者が上手に看護してくれさへすれば、即ち病人の気を迎へて巧みに慰めてくれさへすれば、病苦などは殆(ほとん)ど忘れてしまふのである。しかるにその看護の任に当る者、即ち家族の女どもが看護が下手であるといふと、病人は腹立てたり、癇癪(かんしゃく)を起したり、大声で怒鳴りつけたりせねばならぬやうになるので、普通の病苦の上に、更に余計な苦痛を添へるわけになる。我々の家では下婢(かひ)も置かぬ位の事で、まして看護婦などを雇ふてはない、そこで家族の者が看病すると言つても、食事から掃除から洗濯から裁縫から、あらゆる家事を勤めた上の看病であるから、なかなか朝から晩まで病人の側に付ききりに付いて居るといふわけにも行かぬ。そこで病人はいつも側に付いて居てくれといふ。家族の女どもは家事があるからさうは出来ぬといふ。先づ一つの争ひが起る。また家族の者が病人の側に坐つて居てくれても種々な工夫をして病人を慰める事がなければ、病人はやはり無聊(ぶりょう)に堪へぬ。けれども家族の者にそれだけの工夫がない。そこでどうしたらばよからうといふ問題がまた起つて来る。我々の家族は生れてから田舎に生活した者であつて、勿論教育抔(など)は受けた事がない。いはゆる家庭の教育といふことさへ受けなかつたといふてもよいのである。それでもお三どんの仕事をするやうな事はむしろ得意であるから、平日はそれでよしとして別に備はるを求めなかつたが、一朝一家の大事が起つて、即ち主人が病気になるといふやうな場合になつて来た処で、忽(たちま)ち看護の必要が生じて来ても、その必要に応ずることが出来ないといふ事がわかつた。病人の看護と庭の掃除とどつちが急務であるかといふ事さへ、無教育の家族にはわからんのである。まして病人の側に坐つて見た処でどうして病苦を慰めるかといふ工夫などは固(もと)より出来るはずがない。何か話でもすればよいのであるが話すべき材料は何も持たぬからただ手持無沙汰で坐つて居る。新聞を読ませようとしても、振り仮名のない新聞は読めぬ。振り仮名をたよりに読ませて見ても、少し読むと全く読み飽いてしまふ。殆ど物の役に立たぬ女どもである。ここにおいて始めて感じた、教育は女子に必要である。

(七月十六日)」


7月17日

この日の子規『病牀六尺』(六十六)。


「○女子の教育が病気の介抱に必要であるといふ事になると、それは看護婦の修業でもさせるのかと誤解する人があるかも知れんが、さうではない、やはり普通学の教育をいふのである。女子に常識を持たせようといふのである。高等小学の教育はいふまでもない事で、出来る事なら高等女学校位の程度の教育を施す必要があると思ふ。平和な時はどうかかうか済んで行く者であるが病人が出来たやうな場合にその病人をどう介抱するかといふ事について何らの知識もないやうでは甚だ困る。女の務むべき家事は沢山あるが、病人が出来た暁にはその家事の内でも緩急(かんきゅう)を考へて先づ急な者だけをやつて置いて、急がない事は後廻しにするやうにしなくては病人の介抱などは出来るはずがない。掃除といふ事は必要であるに相違ないが、うんうんと唸(うな)つて居る病人を棄(す)てて置いて隅から隅まで拭き掃除をしたところで、それが女の義務を尽(つく)したといふわけでもあるまい。場所によれば毎日の掃除をやめて二日に一度の掃除にしても善い、三日に一度の掃除にしても善い。二度炊く飯を一度に炊いて置いてもよい。あるいは近処の飯屋から飯を取寄せてもよい。副食物も悉(ことごと)く内で煮炊きをしなくてはならぬといふ事はない。これも近処にある店で買ふて来てもよい。しかし病人の好む場合には特に内で煮炊きする必要が起る事もある。さういふ場合にはなるべく注意して塩梅(あんばい)を旨(うま)くするとか、または病人の気短く請求する時はなるべく早く調製する必要も起つて来る。たとへば病人が何々を食ひたいといふ、しかも至急に食ひたいといふ。けれども人手が少なうて、別に台所を働く者がない時には病人の傍で看病しながら食物を調理するといふ必要も起つて来る。かやうな事は格別むづかしい事でもないやうであるが、実際これだけの事を遣(や)つてのける女は存外少いかと思はれる。それはどういふわけであるかといへば、それを遣るだけの知識さへ欠乏して居る、即ち常識が欠乏して居るのである。女のする事を見て居ると極めて平凡な仕事を遣つて居るにかかはらず割合に長い時間を要するといふ者は、畢竟(ひっきょう)その遣り方に無駄が多いからである。一つの者を甲の場所から丁の場所へ移してしまへば善いのを、先づ初に乙の場所に移し、再び丙の場所に移し、三度目にやうやう丁の場所に移すといふやうな余計の手数をかけるのが女の遣り方である。平生(へいぜい)はこれでも善いが一旦急な場合にはとてもそんな事して居ては間に合ふ者ではない。それ位な工夫は常識がありさへすれば誰にでも出来る事である。その常識を養ふには普通教育よりほかに方法はない。どうかすると女に学問させてそれが何の役に立つかといふて質問する人があるが、何の役といふても読んだ本がそのまま役に立つ事は常にあるものではない、つまり常識を養ひさへすれば、それで十分なのである。

(七月十七日)」


7月18日

清国、日・英・仏・独・伊5ヵ国の天津還付条件の承諾を回答。還付期日を8月15日と決定。

7月18日

西郷従道(59)、没。

7月18日

ロシア、鉄鋼シンジケート、プロダメト設立認可。


つづく

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