大杉栄とその時代年表(406) 1902(明治35)年8月1日~6日 「鼠骨より贈つてくれた玩器は、小さい丸い薄いガラスの玉の中に、五分位な人形が三つはひつて居る。その人形の頭は赤と緑と黒とに染分けてある。それでその玉に水を入れて、口を指で塞いで玉を横にすると、人形が上の方に浮き上つたりまた下に沈んだりするやうになつて居る。(略)露店の群がつて居る中でも、この玩器を売る店は最も賑はふ処であるさうな。実際の口上は知らぬが、鼠骨の仮声を聞いてもよほど興がある。「赤さんお上り、青さんお上り」「青さんお下り、黒さんお下り」「小隊進めオイ」などとしやべりながら、片方の手でガラスの外から糸を引くやうな真似をするのは、鼠骨得意の処である。」(子規「病牀六尺」) より続く
1902(明治35)年
8月7日
この日掲載の子規「病牀六尺」.(八十七)
「〇草花の一枝を枕元に置いて、それを正直に写生して居ると、造花の秘密が段々分つて来るやうな気がする。
(八月七日)」
8月8日
この日掲載の子規「病牀六尺」.(八十八)
「○八月六日。晴。朝、例によりて苦悶す。七時半麻痺剤を服し、新聞を読んでもらふて聞く。牛乳一合。午餐。頭苦しく新聞も読めず画もかけず。されど鳳梨(パインアップル)を求め置きしが気にかかりてならぬ故休み休み写生す。これにて菓物帖(くだものちょう)完結す。始めて鳴門蜜柑(なるとみかん)を食ふ。液多くして夏橙(なつだいだい)よりも甘し。今日の番にて左千夫来る。午後四時半また服剤。夕刻は昨日よりやや心地よし。夕刻寒暖計八十三度。
(八月八日)」
8月8日
英、物理化学者ディラック、誕生。
8月9日
鳥島大噴火。住民125人が死亡。
8月10日、伊豆諸島の鳥島近海を航行中の船舶より、島から噴煙が上がり、集落が噴出物で覆われているのが確認された。噴火は8月7日から9日にかけて発生したとみられ、元々あった中央火口丘が吹き飛ばされ島中央部に大きな火口が生成された。
この噴火で、アホウドリの羽毛採集に従事していた全島民125人が死亡した。その後も島では噴火や地震活動が相次ぎ、現在は無人島となっている。
8月9日
この日掲載の子規「病牀六尺」.(八十九)
「○或る絵具と或る絵具とを合せて草花を画く、それでもまだ思ふやうな色が出ないとまた他の絵具をなすつてみる。同じ赤い色でも少しづつの色の違ひで趣が違つて来る。いろいろに工夫して少しくすんだ赤とか、少し黄色味を帯びた赤とかいふものを出すのが写生の一つの楽しみである。神様が草花を染める時もやはりこんなに工夫して楽しんで居るのであらうか。
(八月九日)」
8月9日
英、推理作家コナン・ドイル、サー称号授与。
「1900年にボーア戦争が勃発すると医療奉仕団に医師の1人として参加して戦地に赴いた(→戦地医療奉仕活動)。同年10月に行われた解散総選挙(英語版)に与党自由統一党の候補としてエディンバラ・セントラル選挙区(英語版)から出馬し、戦争支持を訴えたが落選した(→総選挙に出馬するも落選)。ボーア戦争がゲリラ戦争と化して焦土作戦や強制収容所などイギリス軍の残虐行為への国内外の批判が高まっていく中、1902年には『南アフリカ戦争 原因と行い』を公刊して、イギリス軍の汚名を雪ぐことに尽力し、その功績で国王エドワード7世よりナイトに叙され、「サー」の称号を得た(→英軍擁護運動)」(Wikipedia「コナン・ドイル」より)
8月10日
第7回総選挙。任期満了による初の総選挙。政友会191、憲政本党95、壬寅会28、帝国党17、同志倶楽部13議席獲得。原敬(46、大坂北浜銀行頭取)初当選。桜井静(憲政本党)初当選。
8月10日
山口・広島両県下に暴風雨。死者100余人(~12日)。
8月10日
この日の子規『草花帖』、「八月十日午後 此日衆議院議員総選挙 野菊 ノギク 縄前ニ咲キアリシ一枝ナリトテ折リ来リシモノ」
8月10日
この日掲載の子規「病牀六尺」.(九十)
「○梅も桜も桃も一時に咲いて居る、美しい岡の上をあちこちと立つて歩いて、こんな愉快な事はないと、人に話しあつた夢を見た。睡眠中といへども暫時(ざんじ)も苦痛を離れる事の出来ぬこの頃の容態にどうしてこんな夢を見たか知らん。
(八月十日)」
8月11日
この日の子規『草花帖』、「八月十一日朝 桔梗 盆栽の上部を写す」
8月11日
この日掲載の子規「病牀六尺」.(九十一)
「○日本酒がこの後西洋に沢山輸出せられるやうになるかどうかは一疑問である。西洋人に日本酒を飲ませて見ても、どうしても得飲まんさうぢや。これは西洋と日本と総ての物がその嗜好しこうの違ふにつれてその趣味も異つてゐるやうに単に習慣の上より来て居るものとすれば、日本の名が世界に広まると共に、日本の正宗(まさむね)の瓶詰が巴里(パリ)の食卓の上に並べられる日が来ぬとも限らぬ。しかしわれわれ下戸(げこ)の経験を言ふて見ると、日本の国に生れて日本酒を嘗(な)めて見る機会はかなり多かつたにかかはらず、どうしてもその味が辛いやうな酸ぱいやうなヘンな味がして今にうまく飲む事が出来ぬ。これに反して西洋酒はシヤンパンは言ふまでもなく葡萄酒(ぶどうしゅ)でもビールでもブランデーでもいくらか飲みやすい所があつて、日本酒のやうに変テコな味がしない。これは勿論下戸の説であるからこれでもつて酒の優劣を定めるといふのではないが、とにかく西洋酒よりも日本酒の方が飲みにくい味を持つてゐるといふ事は多少証明せられて居る。それでも日本酒好ずきになると、何酒よりも日本酒が一番うまいと言ふことは殆ど上戸(じょうご)一般に声を揃(そろ)へて言ふ所を見ると、その辛いやうな酸ぱいやうな所がその人らには甘(うま)く感ぜられるやうに出来て居るのに違ひない。西洋人といへども段々日本趣味に慣れて来る者は、日本酒を好むやうな好事家(こうずか)もいくらかは出来ぬ事はあるまいが、日本の清酒が何百万円といふほど輸出せられて、それがために酒の値と米の値とが非常に騰貴して、細民が困るといふやうな事は先づ近い将来においてはないといふてよからう。
(八月十一日)」
8月12日
この日の子規『草花帖』、「八月十二日朝 カハラナデシコ」
8月13日
この日の子規『草花帖』、「八月十三日午前ヨリ午後ヘカケテ 美人蕉 ハナバセフ」
8月14日
独、G・ワイスコフ、初の動力飛行。
8月15日
清国、欽定学堂章程公布。
8月15日
東京小石川砲兵工廠、120名ストライキ(~19日)。日常着のまま仕事をするよう命じられたがその費用に耐えかね、廠長の職工監督の厳しさに抗議。18人解雇。
8月15日
大阪砲兵工廠付属火薬庫(弁天島)爆発、職工70余人が重軽傷。付近の人家240戸に被害。
8月15日
大谷光瑞、中央アジア仏蹟探検のためロンドン出発(~1903.3帰国)。
8月15日
列国、天津都統衙門を清国に引き渡す。
つづく
0 件のコメント:
コメントを投稿