カザノヴァ(カサノヴァ)
*当時のローマでの生活の実状がどういうものであったか?
ミゲール・デ・セルバンテス・サーベドラの言葉:カメレオンでなくてはならない
「その当時のローマでの生活の実状がどういうものであったか? ・・・ミゲール・デ・セルバンテス・サーベドラ(の言葉によると)・・・
このイタリアの青い都で成功を約束されている人間は、その雰囲気に応じて光が反映させているあらゆる色彩を受入れることのできるカメレオンでなくてはならない。つまり、柔軟で、巧みに取り入ることができ、空とぼけの大名人、相手に底を知られず、追従し、しばしば下手にでて、偽の誠実さを示し、つねに知っていることを知らぬとよそおい、音声語調は唯一色としなければならない。そして忍耐強く、何事も顔色にあらわさず、他人が烈火のように怒るときも、氷のように冷やかでなければならない。もし不幸にして心に宗教をもたないならば、精神においてそれを持たねばならぬ。もし正直な人間であるならば、自らを偽善者と認める不面目をも、じっと耐え忍ばねばならない。こうした作りごとを、もし嫌悪するのであれば、よろしくローマを去ってイギリスに幸運を求めるべきである。・‥…」
ジャコモ・カザノヴァ・デ・サンガールの言葉(ゴヤの26年前):
ローマで成功をするにはペテン師でなければならぬ
「ローマでの、かくの如き「カメレオン的」でなければならぬ生活の批判は、ちょっと見のところでは、たとえば「キリスト教徒はローマに近づけば近づくほど邪悪になる」と言う、マルティン・ルターでもが言ったものか、と疑われるかもしれなかったが、かくまでの真実のところを言い抜いたのは、ジャコモ・カザノヴァ・デ・サンガールであった。ローマで成功をするにはペテン師でなければならぬと彼は言っているのである。カザノヴァは、われわれの主人公よりも二一歳年長の一七二五年生れであり、ここにえぐり出されているローマは一七四三年のそれであって、さらに二六年の時日をへたローマにわれわれはいまつきあっているわけであるが、歴史はローマでの道徳、風儀はよくなるどころか、よりいっそう悪くなっていたことを告げている。・・・
ローマでは、誰でもが神父であるか、或いはそうであろうとしている。神父の服をつけることは、何人にも禁じられていないから、宗教上の要職についていない貴族は別として、人に尊敬されたいと思う者は、誰もが神父の服をつけるのである。……
ひとりの神父は、なぜB枢機卿のところの仕事をやめたのかときかれて、それは、(この枢機卿が)ナイト・キャップをかぶったまま要求されるある特別な仕事以外には、手当てを払う必要がないといわれるからだ、と返事をした。……
そのとき、人目をひくほど美しい顔つきの神父が入って来た。わたしはかれの腰や腿をみて、娘が変装しているに違いないと思ったので、このことをガマ神父にいった。するとかれは、あれは有名な去勢された男だと教えてくれた。神父はかれを呼んで、わたしが娘と思い違いをしたと笑いながら話すと、この破廉恥漢はわたしをみつめて、もし夜を共に過ごしたいとおっしゃるなら、娘としてであろうと、少年としてであろうと、同じようにお役に立ちましょう、といった。……
ともにカザノヴァの証言であり、この、当のカザノヴァ自身もが当時司祭であり、神父であるのである。
堕落もここにきわまれりと言わねばならぬような状況なのだが、これよりも、二六年後には、もっと悪くなっていたというのであるから、どういうひどいことになっていたものか、ちょっと想像を絶する。」
各階級は・・・人殺しをはじめとしてありとあらゆる罪業をやらかしていた
「一七六九年の二月に死んだ前教皇クレメンス一三世は毒殺をされたものであったようである。そうして、この頃には堕落は道徳や風俗上のことだけではなくて、それらを取りしまる筈の法体系自体もが解体しはじめていて、各階級はそれぞれになんのかんのと文句をつけ、金も貼りつけた上で、無罪権限、つまりは治外法権のようなものを当局からとりつけた上で、人殺しをはじめとしてありとあらゆる罪業をやらかしていたというのだからあいたロがふさがらない。・・・
夜はマドリードよりは明るかったにちがいもないが、・・・。よほど無謀な人でなければ夜の一人歩きなどはせず、それでもなおかつ夜外出する人は、しばしば大貴族や、大使、枢機卿などにやとわれた殺し屋に襲われたものであった。」
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