2024年3月28日木曜日

大杉栄とその時代年表(83) 1893(明治26)年4月25日~5月21日 東学党報恩集会 一葉(21)、頭痛に苦しむ 「蔵のうちにはるかくれ行ころもがえ」(一葉) 市川房枝生まれる 防穀令賠償問題妥結 戦時大本営条例公布  子規『獺祭書屋俳話』(処女出版)   

獺祭書屋俳話 全 正岡子規 獺祭書屋主人著 日本新聞社 初版
 
大杉栄とその時代年表(82) 1893(明治26)年4月1日~24日 あさ香社結成 徳富蘇峰の国家主義への傾斜 一葉(21)初めて伊勢屋に質入 政府機密費で通信社への助成開始 一葉、桃水を訪問 より続く

1893(明治26)年

4月25日

韓国、東学党報恩集会・忠清道報恩で東学2回目の集会。2万人。反侵略スローガン。政府、軍600派遣、解散。解散に際して提出された要請状を検討し、政府は2地方官を解任。参会者は平和的運動の限界を悟る。後、過激派(北接)と穏健派(南節)大分裂。

4月25日

一葉(21)、頭痛に苦しむ


「(四月)廿五日 早朝は晴れたる様なりしが、六時過るより空たゞくらく成に成て、雷雨昨夜にかはらず、しばしも戸を明がたし。・・・我れは文机に寄りて、とざまかうざまにものおもふほど、かしらのいとなやましきに、胸さへもたゞせまりにせまりてくるほしければ、ふすまかづきて打ふしたるまゝ、日くるゝもしらず、八時過るまで寐にけり。」(「蓬生日記」明26・4・25)

(二十五日。早朝は晴れていたようだが六時過ぎ頃から空はどんどん暗くなり、雷雨は昨夜にかわらないほどで、しばらくも戸を開けることが出来ない。・・・私は、机にもたれてあれこれ物思いをしていると頭痛が烈しくなり、雷雨の恐ろしさも何も耳に入らなくなった。私の魂が何処かへ誘われて行くのでしょうか。一時間ばかりは夢を見ているようでした。ふと目を覚ました時は、雨戸から漏れる日の光はあざやかになって、さしもの空も名残りなく晴れ渡っていました。午後からまた少し雨が降り出したが、まもなく風になった。頭がひどく痛く胸までもますます締めつけられるようで気が狂いそうなので、蒲団をかぶって寝てしまい、日が暮れたのも知らないのでした。八時過ぎまで寝てしまった。)

4月29日

一葉、桃水を訪ねる。


「・・・「又脳病におはしますよし、よくやしなひ給へよ。今君にして病ひおもからば、家の事をいかにせんとか覚(オボ)す。つとめて心のどかに、一日もはやく治せんことを覚せ。さはれ筆とるものゝならひ、此病ひなき人こそ少なかりけれ。我も昔しはいと健(スコヤ)かなりし身の、打つゞきて脳の病みつよく、此頃は少しおこたりし様なれど、いとなやましき也。今の病ひいゑなば、よし花はあらずともよし、何方(イヅク)の野山にもあくがれて、心かぎりなぐさまんとおもふぞかし。君にも籠居(タレコメ)のみにおはしまさで、新らしき風に当らせ給ふぞよき」とさとし給ふ。・・・」(「日記断片その二」)。


「・・・「あなたは頭痛がおありだとのこと、充分養生なきって下さい。今あなたが重い病気になられたらお家の事はどうなるとお思いですか。努力して一日も早く治るようになさい。それにしても筆で身を立てる人の常として、この頭痛を持たない人は少ないのです。私も昔は頑健な体でしたが、いつも頭痛が烈しく、此頃は少しは治ったようですが、時にはまだひどく痛むのです。今のこの病気が治ったなら、たとえ花は過ぎていても、何処かの野山を歩き廻って、心の限り遊ぼうと思っているのです。あなたも家にばかり閉じこもっていないで新鮮な風に当たるのがよいのですよ」・・・」

4月30日

「文学界」第4号が届く


5月

北村透谷「内部生命論」(「文学界」)

5月

鴎外(31)、「しがらみ草紙」を「城南評論」に合併。

5月

改進党島田三郎、「凡そかくの如く学問もなければ、勇気もなく、愛国心もなく、而して身体が強くて従順であるこういう国は、・・・属国になるよりほかに仕方がない。・・・今日は区々の理屈をいう時ではない。・・・強く出た以上はどこまでも強く出る」ことを政府に要求。

5月

海軍軍令部条例、制定。対清戦争準備。

5月

高野房太郎(24)、ワシントン州タコマ在住。

5月1日

夜、稲葉鉱が衣類を貰いに一葉を来訪。妹邦子の浴衣をやる。

5月1日

シカゴ、コロンブス記念万国博覧会。~10/3。高村光太郎「老猿」出品。

5月2日

子規、漱石を訪問、泊る。子規「時鳥江戸に旅寐の雨夜哉」(『獺祭書屋日記』)

5月2日

一葉、今月も手元不如意で、着物4枚羽織2枚を風呂敷に包み母と共に伊勢屋に行く。

「蔵のうちにはるかくれ行ころもがえ」

(春に着ていた着物が、長持ちではなく質屋におさめられていって、春が質屋にかくれてゆく。そんな貧しい我が家の衣替えであることよ)

西鶴の句に「長持ちに春かくれ行くころもがへ」がある。

5月3日

朝、一葉に星野天知から便り。「文学界」5号に少し長いものを20日までに貰いたいとのこと。「都の花」の方もまだ書き終っていないので、来月ならと返事を出す。母が、昨日につづき伊勢屋に行く。

5月4日

夕方、一葉、西村釧之助に金を返しに行く。稲葉鉱が来訪。これから西村に借金に行くとのこと。

5月9日

子規、漱石を訪問。

5月12日

1843年イギリスに併合された南アフリカ・ナタール共和国、再び完全自治権獲得。

5月15日

横浜正金銀行、上海の黄浦灘路31号に出張所を設立。

1890年ドイツの徳華銀行(黄浦灘路14号)、1896年ロシア華道勝銀行(黄浦灘路15号、主要株主はフランスの金融家)、1899年フランス東方匯理銀行(黄浦灘路29号)、同年日本台湾銀行(黄浦灘路16号)、1902年ベルギー華比銀行(黄浦灘路20号)、同年米国花旗銀行(九江路A字1号)、1903年オランダ銀行(黄浦灘路21号)などが進出。黄浦灘路一帯はこ外国銀行集中区となる。これらの銀行は資本輸出の職能を実施。列強諸国は独自の紙幣を発行し、中国の対外貿易及び国際為替を独占、また、金融及び清朝政府の貸付金を操作する事で政治権を掌握し、金融界を分断。上海租界内の黄浦灘路は名実ともに「ウォール街」となる(列強の中国侵略の橋頭堡「ウォール街」)。

5月15日

市川房枝、誕生。愛知県中島郡明地村字藤吉(現、尾西市)。男3人女4人の3女。

5月15日

一葉の母たきの誕生日。「こゝろうき人々なれども」兄虎之助と姉久保木ふじを呼ぶ。兄からは土産を貰う。夕暮少し前まで遊ぶ。

5月19日

韓国、防穀令賠償問題、4年ぶりに妥結。韓国より賠償金11万円支払い

賠償交渉、難航し、この月、駐朝公使大石正巳が最後通牒を発するまでに緊張。伊藤首相は、李鴻章に斡旋を依頼、指令を受けた袁世凱が韓国政府に賠償金支払いを受諾させる。清国の韓国における指導的立場を利用。

大石公使(自由党から抜擢)は、外交官としての習慣・儀礼を無視し、景福宮の奥深くまで輿を乗り入れるなど王室に対する非礼な行為を重ね、列国外交団の顰蹙をかう。

日本は、韓国で領事裁判権・日本貨幣流通権など多くの不平等特権を保持し、釜山・仁川・元山などの戦略要点に特別居留地(専管租界)を設定し、公使館保護名目により駐兵権を獲得。これら特権と地理的近接性を利用して、米・大豆などの穀物や金地金を収奪し、その代りにイギリス製綿製品の中継輸出を行う(米綿交換体制)が、清国が旧来の宗主権を近代的な保護属領体制に再編するににつれて困難となってくる。政治的条件により日本商人より相対的に有利な清国商人は、上海からの直輸入で日本の仲継貿易を圧倒し、韓国政府も日本商人の穀物買占めに防穀令で対抗。韓国は将来の輸出市場として、現実の原料・食糧供給地として重要で、特に安価な韓国米は低米価・低質銀政策維持の為に不可欠で、政府は最後通牒をかけて防穀令賠償を求める。

清国は、韓国に対する伝統的宗主権を再編成し、政治・軍事・経済面の支配を強める。北洋大臣・直隷総督李鴻章は、部下の袁世凱をソウルに駐在させ、政治・経済への介入を命じ、韓国政府が独立の為にロシアやアメリカに接近することを監視。清国は旧来の宗主権を条約上の権利に変更し、それを最恵国条款による均霑の対象とする事を拒絶、また韓国を指導して列強と通商条約を結ばせ、韓国に列強利権を引き込み、日本の独占的支配を防ごうとする。この一連の措置により、列強は清国の宗主棒を承認し、韓国は列強の通商上の権益が入り組む「国際保険の十字路」となる。李鴻章は盛宜懐を通じ、イギリス資本を背景に電信事業を起し、招商局を創設し、海運・電信を支配。洋務派は、この勧告支配方式を北洋艦隊と淮軍で擁護。清国の支配は旧来の伝統的な華夷秩序に支えられて強力であり、日本が韓国を支配する為には、或いは清国とともに朝鮮の「共同保護主」となる為にも、清国の伝統的・政治的・経済的影響力を軍事力で破摧する必要がある。

5月19日

戦時大本営条例、公布(勅令52号)。この年2月7日、参謀総長から陸相に内議。

この間、川上操六参本次長は清国・韓国の兵要視察旅行を行い、日韓関係は防穀令事件を巡り緊迫。4月2日閣議は、日本の対韓国外交は「通常外交上ノ範囲ヲ遠出シタル情勢二立チ到り居候儀ヲ発見」し、5月17日閣議は、大石公使に対し「何時タリトモ国際公法上許ストコロノ(報復)手段ヲ強行スルノ自由ヲ有スル」と宣言し、ソウルから引揚げるよう訓令を与えることを決議し、韓国に「軍艦ヲ派遣シ、反報ノ手段ヲ取ルコトニ決意」。

防穀令事件が統帥部に出兵権独占を決意させる原因となる。最後通牒送付後のこの日、日本政府が李鴻章から受取った電報は、日本が出兵する、帝国も「朝鮮保護ノタメ直ニ兵ヲ送ラザルヲ得ザルべシ」、それには「英露モ加ハルベシ」、「然ルトキハ此小問題ニシテ朝鮮卜修好条約アル諸国トノ紛糾ヲ惹起スべシ」と強調。伊藤首相はこの電報により北洋艦隊の威力を想起し妥協。この事態は政府指導者が軟弱との印象を与える(「原敬日記」同日条)。

5月19日

一葉、夜、号外が届き、福島県吾妻山大爆発とのこと。今日から四畳半の座敷に移る。

恋に関する考察。〈恋は、自分の命を失うと分かっていても道を踏み外させる力を持つが、すべては自分の心から出たものであり、是非も善悪も元は一つである。〉

吾妻山噴火: 

噴気活動が1893年(明治26年)5月19日から活発になって,燕沢で水蒸気爆発し,噴石と火山灰を噴出させる。6月4日~8日には水蒸気爆発が強くなって,7日、調査中の技師ら2名が噴石に当たって死亡。11月9、10日に小規模水蒸気爆発し,翌年には一連の活動が終息する。"

5月20日

一葉の母たきが西村釧之助のところに借金に行くが、来客中なのでそのまま帰る。朝鮮防穀事件、山梨県の霜害、吾妻山爆発、狂水病(狂犬病)など時事問題に関心を持つ。

5月21日

子規『獺祭書屋俳話』刊行(処女出版)

明治25年6月以来、新聞『日本』に掲載した「獺祭書屋俳話(だっさいしょおくはいわ)」を「日本叢書」の一として日本新聞社から刊行。

5月21日

西村釧之助が心配して一葉を来訪。1円借りる。すぐに菊池隆直のもとに持参する。

夜遅く、頭痛と胸の苦しみに喘ぎ、人生の浮沈など人の世のはかなさに心が攻め立てられる。"

5月21日

シチリア社会党結成。


つづく

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